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【偽チキン配達員、再び。 Part.1】

【前回】


 カラーコーン、タクシー、ウーバーイーツのリュック、作業着で歩く男、配達用のスクーター、転がる空き缶。
 街のどこにあっても、誰も気にしない。
 オフィスの周辺、住宅街、路地裏の景色、どこにでも溶け込む。視界に入っていても、脳が意識の外にやってしまう。
 チキン配達員の制服がリニューアル前のデザインだったとして、誰が気にする? 気付けるか? 気づけたなら、不幸中の幸いかもしれない。もしもお前が人に恨みを買っているなら、そいつから離れるべきだ。全速力で、今、すぐに。 

◆◆◆

 シシバヤシは動画編集ソフトを終了し、PCをスリープ状態にした。口にあったタバコを灰皿に押し付ける。指を組み、手を上にやり、大きく伸びをする。
 夕暮れ時のマンションの低層階。下校中の子供たちの声が響き始める。シシバヤシは音があると仕事に全く集中できないタイプだった。イヤホンで音楽を聞くのもダメだ。ストレスフル。子供の頃から35歳の今に至るまで、とにかく静音でないと作業がはかどらない。この時間帯になると、シシバヤシは仕事を中断し、散歩に行く。規則正しく、必ず、平日の4時前。
 イヤホンを耳栓代わりに装着。安全に配慮した、赤の原色が目立つマフラーとウインドブレーカー。お気に入りのデザインのウォーキングシューズを履いて、シシバヤシは部屋を出た。

 20分も歩くと、海沿いの道路に出る。輸送用のコンテナが無数に並ぶ。人通りは殆ど無い。イヤホンを外す。波の音に耳を済ましながら、潮風を吸い込む。シシバヤシはこの海辺、この静かな場所が好きだった。冷たい風に鼻が痛くなるのを感じながら、ゆっくり歩を進める。
 夕食は何にしようかと考えながら歩いていると、原動機付自転車の控えめなエンジン音が聞こえてくる。振り返ると、近づいてくるのは配達用スクーター。このあたりで目にするのは珍しいな、と思いつつ、視線を前に戻す。イヤホンを装着し直してエンジン音を遮断する。白い吐息が背後に流れてゆくのを感じながら、原付が通り過ぎるのを待つ。静寂が戻るまで立ち止まって――――次の瞬間、シシバヤシの体は地面に叩きつけられた。背骨が折れるかという強い衝撃、そして遅れてきた痛みを感じながら背後を見遣みやると、チキン配達員の制服を着た男が近づいてくるのが見えた。

◆◆◆

 男に激突したスクーターは静かに停車した。ドライバーはゆっくりと降車する。人を跳ね飛ばしたにも関わらず、慌てる様子はまったくない。ヘルメットを外してハンドルにぶら下げる。チキン屋のロゴが側面に入った配達用ボックスを開ける。中から取り出したのは、チキンのバスケットではなく、細く頑丈なロープ。
 配達員はゆったりとした足取りで転がったシシバヤシに歩み寄り、腹に鋭い蹴りを叩き込んだ。キックボクシングで鍛えられた蹴りがみぞおちを直撃。シシバヤシは細い悲鳴を上げる。
 配達員は周囲、コンクリートの路地を見回した。フレームの割れた自転車が目にとまる。潮風で全体が錆びついた、ブリジストンの通学用自転車の残骸。ハンドルを掴んで運び、シシバヤシに叩きつける。そして、手首、足首、胴を自転車にロープで結びつける。
 ろくに抵抗できないまま、シシバヤシは金属製フレームにはりつけとなった。配達員は、シシバヤシのポケットからスマホと財布、キーケースを取り出す。

 チキン配達員の制服を着た男、カタマチはうめく男を見下ろしながら考える。こいつは危機管理がまるでなっていない。人通りの少ない道。しかも、規則正しく毎日同じ時間に。イヤホンを耳につけた状態で周囲の音も聞こえない。極め付けはここが海沿いだということ。ハッキリ言って、沈めてくれと言っているようなものだ。
 自分がやってる仕事の性質を理解していないのか? どれほどの人間から恨みを買っているのか全く分かっていない。この仕事をカタマチに依頼した女性の表情は、憎悪そのものだった。
 真っ当に生きていれば、冬の海でショック死せずに済んだものを。悲惨な死を遂げる男を前に、カタマチには同情する気も起きない。
 カタマチは自転車フレームに縛られた男を引きずり、海に放り込んだ。ドボン、という間抜けな水音。
 ブリジストンの通学用自転車アルベルトのフレームは、長期間の通学に耐えられるように、重く、頑丈に作ってある。当然、シシバヤシが再び浮かんでくることはなかった。

 カタマチは再びスクーターにまたがった。アクセルグリップを回して、ゆっくりと発進する。速歩きほどの速度、監視カメラも人目も無い道を選んで数キロ移動。途中、シシバヤシのスマホを捨てる。これで死体が発見されなければ、行方不明扱い。事件化されることはない。まともに探したり、失踪届を出したりする者がいるとも思わないが、念には念を入れておく。
 続いて、シシバヤシの職場を張っている相棒に電話をかける。
「カナヒラ、こっちは済んだ。誰か入ったか?」
「お疲れさまです〜、カタマチさん。こっちはだれも来やしませんよ〜」
 ルームメイト兼相棒の間延びした鼻声。
「そうか。鍵を盗ったから、このまま侵入する。入って来るやつがいないか、監視を続けてくれ」
「了解っす。ここ寒いんで早めにお願いしますね〜。あとで、おでんと肉まん奢ってください〜」
「分かった」
 相棒が風邪をこじらせる前に、さっさと依頼を済ませてやろう。
 通話を終了し、シシバヤシの職場であるマンションに向かってスクーターをとばす。
 
 このとき、カタマチは気づいていなかった。依頼人も知らなかった。残念ながらカナヒラも。奪ったキーケースの中の鍵。職場であるマンションの鍵は2本。2室。
 相棒であるカナヒラが監視している部屋とは別に、もうひと部屋。

【続き】

【あけましておめでとうございます。】