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【偽チキン配達員、再び。 Part.2】

【前回】


「寒いのなんの…。耳あて持ってくりゃよかったかなあ〜」
 日も沈み始めた。冷たい風が容赦なく、マンション上層階の壁面に吹き付ける。
 シシバヤシの職場の向かい、マンション6階、空き部屋のバルコニー。化学繊維ジャケットの下にも何枚か着込んでいるのだろう、着膨れた男が震えていた。双眼鏡でシシバヤシの職場を監視する男、カナヒラである。

 カナヒラリュウは早朝に、階段から壁面を伝ってバルコニーに侵入した。器械体操でつちかった運動能力。この手の曲芸はお手の物だ。そこまでは良かった、が、南国出身のカナヒラは、寒さへの備えにはそれほど詳しくなかった。モンベルの店舗でマネキン買いした防寒着一式。残念ながら、10時間以上、地上30メートルのベランダにいるには不足だった。
「もう一つとなりのマネキンの方を選ぶべきだったかな〜」
 冬の登山向けの本格装備を選ばなかったことを悔やむ。街で着るには大げさだと思ったし、なにより値札をみるとどうしても……。金を出し惜しみしてしまった。カナヒラの本業は下積みの若手舞台俳優だ。経済的に不安定な仕事ゆえの判断ミス。
「貧乏はつらいねえ〜」
 鼻声の独り言で寒さをまぎらわす。体温と血糖値を維持するために、カントリーマアムのチョコ味をかじる。これも値段据え置きで中身減ってるんだよな〜、と嘆きながら、唇についた食べカスを払った。
 ふところから台本を取り出す。マンションを監視しつつ、時折、チラリとプリントアウトに目をやる。次の舞台のセリフを確認する。ひと通り覚えてはいるが、念の為。

 白い息を吐き出しつつ、役作りについて考えていると、ポケットの中でiPhoneがふるえ出した。
 ディスプレイを確認すると、『カタマチさん』。
 役者仲間、ルームメイトにして、この副業の相棒。
「もしもし〜」
「シシバヤシのマンションに着いた」
「え、こっちからは見えませんよ〜」
「裏手の少し離れたところにスクーターを停めた。状況は?」
「誰も入ってませんよ〜、無人です〜」
「周りの部屋はどうだ」
「407号室は空き部屋、306号室は留守、207号室はキンタマでかそうなオッサンが4人です〜。麻雀でもしてるんじゃないですか〜」
「そうか。今から中に入る。誰か来るようなら電話してくれ」
「了解〜」

 あと少しでこの依頼も終わりだ。おでん、肉まん、ラーメン。冷えた体が温まる瞬間に思いを馳せつつも、カナヒラは監視を怠らない。
 数分後、シシバヤシのいた部屋、307号室にチキン配達員の制服を着た男が侵入するのを確認した。カナヒラは台本を懐にしまうと立ち上がり、冷えた体を伸ばした。
 カタマチが部屋の中でブツを片付けて出てくるのを今か今かと待ちながら双眼鏡を覗いていると、シシバヤシの部屋の下、207号室から男たちが出てきた。妙に高価そうなスーツ、背が高く分厚い体の、脂ぎった中年男性が4人。何度見ても、キンタマでかそうなおっさんたちだ、とカナヒラは思った。ちょうど夕食時だ、外に食べにいくのだろう。妥当な推測のはずだったが、これは間違っていた。男たちは階段を降りるのではなく、一つ上の階に登ったのだ。
 なぜ? だが、驚いている暇はない。カナヒラは迷わず偽チキン配達員に電話をかける。応答があった瞬間、
「下の階の4人!! そっちに行く可能性が!!」
「了解」
 通話が切れる。カタマチからの返事は異様なまでに冷静だった。落ち着いているのか、感情が出ないだけなのか。

 偽チキン配達員カタマチは、任侠Vシネマを中心に活動する若手映像俳優だ。頭の足りなさそうな下っ端ヤクザの役を演じたかと思えば、恐ろしいほど感情のにじまない鋼のような鉄砲玉の演技を見せる、妙な存在感のある脇役バイプレーヤー。どうすればあんな演技ができるのか、カナヒラは学び取りたかった。ルームメイトという、かなりちかしい場所にまで近づいてもなお、得体のしれない男。その演技の秘密はこの副業にあるのかもしれないと思い、カナヒラは偽チキン配達員の相棒となった。

 4人の男は307号室の鍵を開け、部屋に入っていった。偽チキン配達員はどう切り抜けるのか。カナヒラはかじりつくように双眼鏡を覗き込んだ。

【続く】