【あらすじ】映画『1917』は、ワンカット風の凄まじい撮影手法が「戦場の壮絶な重圧」を見事に体感させる
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映画『1917』は、「全編ワンカット風」の撮影手法によって、「戦場の緊迫感」をリアルすぎるほど描き出している
凄まじい映画だった。話題になるのも当然だと思う。
ストーリーは、これ以上シンプルには出来ないくらいシンプルだと言っていいだろう。「離れた場所にいる第2大隊に、明朝までに『攻撃中止』を伝えること」。設定はこれだけだ。
有名なので知っている人も多いだろうが、本作は「全編ワンカット風」に撮られている。実際にワンカットで撮影したわけではないそうだが、そういう風にしか見えない作品というわけだ。そんな構成の映画だから当然、「過去の回想シーン」など一切ないし、先述したミッションに関わらないサイドストーリーもほぼ描かれない。とにかく映画で描かれるのは、「ついさっきまで敵陣だった場所を突っ切って、様々な困難を乗り越えながら、伝令として課されたミッションを遂行すること」だけなのである。
そんなストーリーそのものももちろん良かった。しかし『1917』ではそれ以上に、「全編ワンカット風」という撮影手法が、物語の受け取り方に影響を与えているように感じられた。
まずはその辺りの話に触れていきたいと思う。
「全編ワンカット風」という撮影手法ががもたらす、戦場の緊迫感・臨場感
私は以前書店で働いており、当時は「ちょっと目新しい本の売り方」を色々と考案しては実行していた。本をただ並べているだけではなかなか売れないため、目を惹く仕掛けや興味を喚起するような工夫を施して売り場で展開していたのだ。
その際、かなり意識していたのが、「その本に見合った売り方をすること」である。つまり、「必然性があるか」というわけだ。どれだけ奇抜で斬新な売り方を思いついたとしても、それがその本を届ける手法として見合っていなければなかなか上手くいかない。これは私のポリシーの話なのではなく、「本の中身」と「売り方」が合っているかが売上に影響するのである。
何故こんな話をしているのか。それは、映画『1917』における「全編ワンカット風」という撮影手法が、作品の内容に見合っているのかについて考えたいからだ。そして結論から書けば、「物語の中身」と「撮影手法」がとてもよく響き合っていると私には感じられた。もし、「何か斬新なことをやってやろう」という発想だけで「全編ワンカット風」という撮影手法を採用したのだとすれば、ここまで感動をもたらす作品に仕上がったかは分からない。私はこの点、つまり「『物語の中身』と『撮影手法』が見合っていること」が、まず素晴らしい点だと感じた。
映画の設定にもう少しだけ触れておこう。物語が始まるのは1917年4月6日の昼頃から。そしてそこから翌朝に掛けての1日に満たない時間軸の中でストーリーが展開されていく。詳しい内容には後で触れるが、伝令たちが置かれた状況はかなり厳しい。一分一秒でも早く行動し、伝えるべきことを伝えなければ、多くの命が喪われてしまうかもしれないのだ。そんな重要なミッションを、たった2人でやりきらなければならないのである。
時間は限られている。進むべき道はかなり険しい。たった2人で遂行するミッション、失敗は許されない。戦場なのだから、このような極限状況はむしろ「当然」と捉えるべきだろうか。しかしそんなこと、2人の伝令には関係ない。彼らは、個人が抱えるにはあまりにも大きな重圧にプレッシャーを感じ、それでもどうにか、共に戦う者たちのために歩みを進めていくのである。
そして「全編ワンカット風」という撮影手法が、その凄まじい緊迫感をリアルに観客に伝えてくれると私は感じた。
「全編ワンカット風」という撮り方は、その場その場における登場人物についての情報をすべて途切れることなく伝えてくれる。映像が編集される場合、その「切り取られた場面」に含まれていたはずの情報は観客には届かない。しかし『1917』では、伝令たちが見たもの、聞いたもの、触れたもの、嗅いだだろうもの、そのすべてを同じように経験できるのだ。メインとなる登場人物が2人しかいないのだから、彼らは大体常にカメラに映し出されている。つまり、彼らの体験がまるごと観客の体験になるような造りになっているというわけだ。それはまさに、「映像世界の中に入っているようなもの」だと言っていいだろう。
そしてその上で、「全編ワンカット風」という撮影手法はさらに、特殊な「緊迫感」を観客にもたらしているように思う。これは、自分でも変な感覚だと思うのだが、カメラを長回しで撮っている映像をずっと観ていると、「役者が間違えて撮り直しになったりしないだろうか?」とドキドキしてくるのだ。
劇中には、「恐らくここで一旦カットを割っているのだろう」と想像できる箇所がいくつかある。たぶん、20~30分ぐらいのロングショットをいくつか繋いで1本の映画に仕上げているのだと思う。だとすれば、役者やスタッフは最低でも20分間は演技やカメラワークを間違えられないことになる。
「映画として完成している」のだから、「役者が間違えて撮り直しになる」はずがない。そんなことは分かっている。一方、先述した通りこの映画は、「映像世界の中に入っている」ような臨場感を与える作品だ。もちろんそれは、「自分が1917年当時の戦場にいる」という感覚なのだが、同時に「自分が映画『1917』の撮影現場にいる」という感覚も重なってくる。そして後者の感覚に付随して、「役者やスタッフが間違えて撮り直しになる可能性」が頭を過ぎるというわけだ。
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