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【痛快】精神病院の隔離室から脱した、善悪の判断基準を持たない狂気の超能力者が大暴れする映画:『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』(主演 チョン・ジョンソ)

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ここまで”イカれてる”と逆に痛快だ!映画『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』が描き出す、「普通が分からない少女」による大暴れ

これは面白い映画だったなぁ! 冒頭から清々しいほどにぶっ飛んでて、正直「意味不明だな」と感じさえしました。ただ、ここまで突き抜けてると、「もうちょっと説明してほしいなぁ」なんて思う暇もなく振り回されているみたいな感覚もあって、個人的にはとても素敵な鑑賞体験になったなと思っています。

まずは内容紹介

舞台はとある精神病院。その奥には、厳重に施錠された「特別警戒区域」がある。重度の患者が収容されている場所だ。そこに、1人のアジア系の少女いる。彼女は拘禁服を着せられ、身動きが取れない。室内にはベッドぐらいしかなく、そこで日々何をするでもなく過ごしている。後で分かることだが、彼女は「モナ・リザ・リー」という名前の韓国人であり、10歳からこの精神病院にいるという。およそ10年以上も、隔離された生活を続けているというわけだ。

そんなモナ・リザの部屋に、ガムを噛みながら女性職員が近づいていく。中に入ると職員は、モナ・リザの爪を切り始めた。拘禁服を着せられているため、モナ・リザは自分では何も出来ないのだ。職員はモナ・リザに、「調子はどう? バカ」「お前の爪を切って得た金で、私はネイルに行くんだ」などと口にしては、彼女のことをとても雑に扱う。とはいえ、モナ・リザにとっても職員にとっても、このような状態は日常茶飯事だったはずだ。

しかし、その日はいつもとは違い、実に不可思議なことが起こった。職員がモナ・リザと目を合わせると、なんとモナ・リザの首の動きに合わせるようにして、職員が爪切りを持つ手を自身の太ももに突き立てたのだ。「助けてくれ」と懇願する職員にモナ・リザは「拘禁服を解け」と命じ、そのまま彼女はあっさり精神病院から抜け出すことに成功したのである。

その夜は、とても綺麗な満月だった。

10歳から精神病院に閉じ込められていたモナ・リザは、当然、社会のことなど何も知らない。そのため、夜の街に屯する「危なそうな人たち」にフラフラと近づいては、ほとんど何も喋らないまま、靴やらTシャツやら食べ物やらを手に入れたりする。あるいは、通りかかったハンバーガーショップで、「彼女自身にもよく分からない理由で突然覚醒した『超能力』」を駆使して人助けもした。そしてそのお礼にと、ハンバーガーを奢ってもらうのだ。

奢ってくれたのは、ストリップ嬢として働くボニー・ベル。彼女は、「モナ・リザの『特殊能力』を使えば、楽に金が稼げるはずだ」と考え、そんな悪巧みに利用するつもりで、モナ・リザをしばらく家に住まわせることに決めた。そしてモナ・リザはそこで、ボニーの幼い息子チャーリーと出会うことになる。

一方、「酔っぱらいに対処するように」との出動命令を受けて出向いたハロルド巡査は、そこでたまたま見かけた不審な少女を保護しようと追跡していた。しかし、少女に声を掛け、安全のためにと伝えた上で手錠を掛けようとした時、巡査は操られるようにして拳銃を抜き、そのまま自らの膝に発砲した。

もちろん、モナ・リザの仕業である。

この件でハロルドは大怪我を負い、杖をつかなければ歩けない身になってしまった。しかし、自身が遭遇した”悪魔”をどうにか追い詰めるべく捜査を開始するのだが……。

チョン・ジョンソ演じる、絶妙な雰囲気を醸し出すモナ・リザが「アジア人」である必然性

とにかく素晴らしい作品でした。しかし、まず伝えておくべきは、本作には細部の説明が一切無いということでしょう。「モナ・リザは何故覚醒したのか?」「そもそも彼女はなぜ超能力を持っているのか?」などについて、まったく触れられていないのです。

普通だと、そのような「投げっぱなし」の物語はまとまりを欠き、「作品として成立している」とはとても言えないような状態になりがちでしょう。しかし本作の場合、そんな印象にはなりませんでした。恐らくその最大の要因が、モナ・リザを演じたチョン・ジョンソにあるのではないかと思っています。

本作においてはとにかく、彼女の存在感が半端ではありませんでした。モナ・リザは、「統合失調症のため10歳から精神病院に入院し続けている」という役柄であり、演じる難易度がかなり高いように思います。しかしチョン・ジョンソは、「本当にそういう人なのだろう」と感じさせるくらいの強い存在感を放っていました。精神病院にいた頃は「生きた死人みたい」と職員に言われるほどで、人間らしい感情など持っていないように見えるのですが、その状態のまま社会に飛び出して様々な経験をしたことで、知識や価値観が蓄えられて少しずつ人間っぽくなっていくのです。その過程がとても魅力的で、その演技力にも驚かされました。

モナ・リザは本当に、最後の最後まで「何を考えているのか分からない」という雰囲気のまま突っ走っていきます。そして、そう感じさせる演技力に、とにかく圧倒させられてしまったというわけです。

しかも本作の場合、「モナ・リザがアジア人である」という設定が、とても重要なものに感じられました。その理由についてはあまり上手く説明はできないのですが、例えばモナ・リザが白人だとしたら、悪い意味でかなり違った印象の作品になっていたのではないかと思います。黒人でも上手くハマった可能性はありますが、私にはやはり、アジア系であることによってモナ・リザの「ミステリアス感」がグッと上がっているように感じられたのです。同じアジア人の私がそのように感じるというのも変な話だとは思いますが。

そしてさらに、「『モナ・リザがアジア人』という設定にちゃんと意味がある」という要素は、また別の意味で本作にとって大事なポイントになっていると感じます。それについて説明するためにまず、私が「ポリティカル・コレクトネス」に対して抱いてしまう違和感について触れておきましょう。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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