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【信念】9.11後、「命の値段」を計算した男がいた。映画『WORTH』が描く、その凄絶な2年間(主演:マイケル・キートン)

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信念を持って「命の値段」を計算した男の実話を基にした映画『WORTH』は、改めて9.11テロの凄まじさを思い起こさせる衝撃作

凄まじい作品だった。私は「実話を基にした作品」をよく観に行くのだが、本作『WORTH』で描かれるのはあまりにも巨大すぎる現実である。なにせ、未曾有の犯罪である9.11テロに関わる話なのだ。「現実の不条理」がこの作品にすべて詰め込まれているのではないかとさえ感じさせられた。こんな世界に自ら志願して飛び込み、そのあまりに辛い2年間をやり遂げた人物がいたことに、驚きを隠せない。

9.11テロの犠牲者の「命」に値段を付けた男

映画『WORTH』は、9.11のテロで命を落とした被害者の「命の値段」を算定した男の物語である。

映画を観る前の時点で私は、この情報だけは知っていた。どんな物語になるのかは想像していなかったが、しかし漠然と、「裁判資料に載せるのに値段の算出が必要だったのだろうか」ぐらいに考えていたのだと思う。映画を観る前の時点では正直、「『命の値段』を算定する」という状況が上手くイメージ出来ていなかったのだ。

その辺りの事情が映画の冒頭で説明されるのだが、9.11テロならではの特殊な事情が様々に絡んだ、かなり特例的な状況だったことが理解できた。というわけで、まずはその辺りの事情について説明したいと思う。

9.11テロの直後、アメリカの航空業界、そしてアメリカ国家は「ある懸念」を抱いた。それは、「テロ犠牲者の遺族が、航空会社を訴えるかもしれない」というものだ。訴訟大国と言われるほどの国であれば、当然想定しておくべき状況だろう。そして、もし本当にそうなってしまえば、とんでもないことになる。

恐らく、裁判は何年もの月日を要する長大なものとなるだろう。さらに、死者数が3000人弱に達した9.11の裁判で航空会社が負ければ、莫大な賠償金が課せられることにもなる。もちろんそれは、航空業界への大打撃となるわけだが、決してそれだけに留まらない。アメリカ経済にも甚大な影響を及ぼすことになるはずだ。いち業界の問題ではなく、国家的問題だと認識されていたのである。

そこで航空業界とアメリカ国家は、「どうにかして訴訟を回避する方法」を模索した。そして、たった1日の審議である法案が可決されることになる。それが、「『訴訟権を放棄すること』によって、国から補償金が支払われる」という基金の創設を認めるものだった。

先述した通り、裁判ともなれば長い時間が掛かる。勝てば大金を得られるかもしれないが、それより低い金額だとしても確実にもらえる補償金の方を選ぶ人だっているはずだ。全員がその選択をするわけではないにせよ、一定数の「訴訟権の放棄」が実現されれば、仮に訴訟に発展しても損害は低く抑えられる。そのような思惑の下に作られた仕組みというわけだ。

さて、早々に法案だけは成立した。しかし問題は残されている。「補償金の額をいくらに設定すればいいのか」だ。

シンプルなのは、「被害者全員が一律の金額」という設定だろう。しかし、そうするわけにはいかない事情があった。それは、9.11テロの標的になったのが、大企業のオフィスが多数入る「ワールド・トレード・センタービル」だったことに大きく関係している。

被害者には様々な人物がいたはずだ。オフィスで働いていた人、荷物を届けにきた人、トイレ掃除をしていた人など、様々な事情でビルやその周辺にいたことが想定されるだろう。そして、いわゆる「高給取り」だった「ビル内で働いていた人」の補償金と、そうではない「平均程度の給与の人」の補償金を同等に設定したら、納得されないのではないかと考えられたのだ。

現に映画では、「高給取り」側の遺族の関係者だろう人物から、「金額に納得出来なければ別の手段を取る」と、暗に訴訟に踏み切るつもりだと示唆するような場面が描かれる。「補償金」は表向き「被害者遺族救済」の名目で作られたわけだが、真の目的は「訴訟権の奪取」なのだから、遺族が金額に納得しなければ話が進むはずもない。

このような事情があったため、「被害者ごとに異なる補償金額を算出する」ことが必要とされたのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが、本作の主人公ケネス・ファインバーグである。周囲からケンと呼ばれているこの人物は、これまでも様々な事件で和解や補償の交渉をまとめたことがあり、この難題にうってつけだと判断されたのだ。

打診を受けたケンはなんと、この依頼を無償で引き受ける決断をする。そこには、彼なりのこんな想いがあった。

ケンは当然のことながら、この基金の目的が「訴訟権の奪取」なのだと理解している。一方で彼は、弁護士としての経験から、「訴訟を起こすことがベストな選択とは思えない」という確信を抱いてもいたのだ。裁判は恐らく10年以上に渡って続くし、必ず勝てる保証もない。だから、補償金をもらうのが最善だ。彼はそのように考えていたし、遺族も必ずそう判断するはずだと思っていたのである。そのため、「遺族のためになることなのだから、手弁当でやりたい」と、無償で引き受けることにしたというわけだ。

しかし彼は、想像もしなかった状況に直面することになる。

合理的に物事を考えるケンには予想出来なかった、被害者遺族たちの反応

さて、9.11の犠牲者と直接関わりのない第三者の視点からは、ケンの判断はとても「合理的」に映るだろう。長い長い裁判をやっても、賠償金は得られない可能性がある。だったら確実に補償金を受け取っておく方がベストだと、誰もが判断するはずだ。

このような発想は、「人間はすべての物事を合理的に判断するはずだ」という前提で研究がなされる「経済学」のようなものと言えるだろう。そしてそのような人のことを経済学の用語で「合理的経済人」と呼ぶ。例えば、「合理的経済人」は、同じ商品の分量・値段が「150g 320円」と「230g 450円」だった場合、1gあたりの値段が安い「230g 450円」を必ず選ぶ。しかし普通は、わざわざ電卓で割り算をしてまで値段の比較をしたりしないものだ。このように、「現実の人間は、必ずしも合理的とは言えない選択をする」という条件を組み込んだ経済学が「行動経済学」と呼ばれ、より現実に近い行動を説明する理論として研究されている。

ケンはまさに「合理的経済人」そのものだと言っていいだろう。確かに合理的に考えるなら、ケンの判断が正しいと言える。そしてケンは、「遺族もまた、自分と同じように合理的に判断するはずだ」と思っていた。さらに彼は、この難題に向き合うにあたって、「『公平さ』よりも『前進すること』の方がより重要だ」と考え、こちらについても遺族が同じように判断するはずだと思っていたのである。だからこそ彼は、様々な要因を組み合わせた「計算式」を定め、「その計算式に則って補償金額を算出する」のが現実的に最もベストな進め方だと信じていたのだし、そのようなマインドで遺族とも向き合っていたというわけだ。

しかし当然ではあるが、そのようなケンの態度は遺族から反感を買うことになる。さらにケンは事故直後、法案が成立してすぐに動き始めた。もちろんそれは、「早く終わらせた方がいい」というケンなりの配慮だったのだが、これもまた遺族には伝わらない。なにせ、テロが起こってからあまりにも日が浅いのだ。気持ちの整理もつかない状況で、「計算式によって、あなたの親族の補償金はこうなります」と言われても、「はいそうですか」などと言えるはずもないだろう。

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