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過去のいじめを振り返る

中学生の時、いじめにあっていた。

そのときの経験が、今の人格形成に深く関わっている。
自分を認められなかったり、劣等感にかられることが多くなったのは間違いなくこの時のせいだ。

2年生のクラス替えや部活動がきっかけで人間関係が悪化し、いじめにあった。暴力・暴言、物を隠されるなど、いじめという行為のほとんどは経験した。
誰も助けてくれなかった。
誰に話してもどうかしようとしてくれなかったし、それに対して私は諦めていた。人に頼ることを辞めてしまった。
ひたすら我慢の毎日だった。

同じ中学校から高校に進学する人が私だけだったこともあり、中学校卒業と同時にいじめは終わった。
その後は、友人にも恵まれて楽しい毎日を送ることが出来た。

振り返ってみると、たまたまいじめの標的にされただけであった。
いじめの標的にされる顕著な要因はなかった。
いじめられて辞めた部活動では、私が辞めた後、次の標的(私をいじめていたグループの一人)がいじめられて、その子は不登校になった。
そのことがきっかけで部内のいじめはなくなったらしい。

学生は、学校が社会のすべてである。
課外活動やアルバイトをしていなければ、学外の人や先生・親以外の人間と関わることはない。
学校の先生に相談しても、閉鎖的な空間である限り人間関係が改善されることはない。
なぜなら、いじめの仲裁を行ったところで、先生がいる空間だけで平穏が保たれるだけだからである。
休み時間や放課後はいじめが続くだろう。陰でこそこそ文句を言われるだけだ。根本的な解決にならない。

今では、中学生の同級生とは数人しか連絡を取っていない。
ほとんどの人は何をしているか分からないし、知りたいとも思わない。
極端な話、生きているか死んでいるかとかどうでもいい。
ただ、いじめっ子には不幸になっていてほしい。

いじめていた子を許す気持ちはないし、許そうとも思わない。
もし再会すれば、一発ぐらい殴ってしまうかもしれない。
過去の経験は簡単に癒えることはないし、心の中に深い傷を負ったままである。私はこの傷とともにこれからも生きていく。
過去を忘れることは出来ない。

しかし、今は幸せだ。
私を慕ってくれるたくさんの人たちに恵まれているし、頼ってくれる人たちもたくさんいる。私の人格を否定する人はいない。
もちろんこれはたまたま運が良かっただけのことであり、いじめられていたから今があるとは思わない。

いじめのニュースを目にする度に、胸が痛む。
学校や周りのフォロー体制も整っていない中で解決することは難しいと思う。

今いじめられている人に願うことが一つだけある。
どうか生きてほしい。

生きていれば何とでもなる。
将来の可能性を潰すことはやめてほしい。

この記事が誰かの希望になりますように。。。


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