憤りと、諦観の淵へ沈みかけたる楽観と
*警告*
今回は多少、毒吐き気味な記事となっております。
ご気分を害す恐れがありますので、じゅうぶんご注意の上、お読みください。
(ごめんなさい🥺)
去年の今頃、国境付近へ軍を集めていた"彼"は
その不穏な動きを警戒し、指摘する者たちに、
ただの演習だと白々しくも嘯きながら、
やがて
"まともな頭を持つ者"ならば、誰も実行しようとは思わない殺戮を始めた。
私は物を考えるようになる年頃から
漠然とだが
明るく平和で、皆が幸せで
悲しみ、不幸になる人がなるべくいなくなるような世界を願い、
大人になったら
自分はそんな世の中を実現させるための仕事につきたい と思っていた。
幼い子供の見る夢だ。
冷戦下に生まれ育ったことが影響していると思う。
私が子供の頃、ロシアはソビエト社会主義共和国連邦
ー 通称ソ連と呼ばれる国で
東欧の国々をも抱き込んだ『鉄のカーテン』の向こう側で、軍備拡張を続けていた。
アメリカと西欧諸国を『西側』
ソ連と東欧諸国を『東側』と呼び、
全てにおいて対立していた。
東西の軍事的緊張が高まれば
やがて核戦争が起きるかも知れない と
大人たちが話すのを、
恐怖に震え、怖れながら聞いていた。
映画007の内容が娯楽よりもなお現実味を帯びていた時代、
戦争とは物に語られる遠い歴史上のものなどではなく
両親はじめ、身近な大人たちが実際に経験して来たリアルなもので、
それがどれほど恐ろしく、凄惨で、この世の地獄であるかについては
折に触れ
大人たちの会話の中で
学校の教室で
テレビや映画、物語の中で
私たち子供は繰り返し、聞かされてきた。
やがて長じるにつれ、
新聞を自分で読み、ニュースを聞き、
さまざまな情報に直接触れるようになると
親分格の米ソだけではなく
他の地域、
ことに中東やアフリカなどの国同士でも
一体どこと誰が、どうなっているのか、
原因や状況が複雑過ぎて「???」としか捉えられない戦争が、
あちらでもこちらでも起きていることを知り
もはや珍しくもなく
当時も今も、おそらくもっと昔も
きっと全く同じで、変わらないのに
ただの世間知らずの子供だったから
飽きずに怪我をさせ合い、殺し合っている男たちや
悲しそうな顔をした女たち、
痩せ細り、笑顔など知らないような子供たちなど
悲惨で気の毒な人々の姿に胸を痛め
大人たちは一体何をやってるんだ
どうして止めないんだ
国連はいったい何のためにあるんだ と、
幼い怒りを持て余し、苛立っていた。
そのころ書き始めた詩がある。
未完のまま捨て置いて何年も忘れていた、
あの頃の、義憤とも言うべき純粋な、
怒りと悲しみ。
ずっと気にはなっていた。
書きかけの詩は魂の入り損ねた人形のようで、
目にする度に
どこか可哀想な気持ちと
責めを負うような、落ち着かない気持ちになる。
なのでとりあえず一度、完成させてみようと思った。
高校生の頃の私と、大人になった私との合作。
感情が迸り出るに任せ、
書き殴るようにして生まれていた言葉たち…
昔に書いた部分と
その言葉たちの間を拾い、繋ぐべく
とっくに諦観の淵に沈み込んで、見えなくなっていたはずの
理想や夢、希望、楽観などを
無理矢理引き上げて綴った、
今の部分…
それらが融合し、溶解し合って、ひとつの詩としてまとめられたかどうか
その判断すらもまた未完のままだし、
いつか書き直す可能性もある。
これと思えるタイトルもいまだ浮かばざれば、
題名も『無題』のままに残す。
それでも
現在行われている殺戮への"抗議"として
その上まだ新たな暴力を始めようと密かに考えている者たちへの"軽蔑"として
いま、公表しておきたいと思った。
争いの無い世界を希求しなくなったら、
ほんとうに人類は終わる。
けれどその道程は真っ直ぐではない。
世界平和への近道など、更に存在しない。
小さな歩を一つずつ進める以外、何が出来る?
より邪悪な意図を持つ者たちに、
私たちの生殺与奪を操る力を渡したいのか否か。
今は軍備を整えて、
使わずに済めばそれで良し
だが失うわけにいかないものを守るためには、
全員が各々の"戦闘"に備え、
大切なものは、確実に守り抜かねばならない。
犯罪の被害が周辺に出ていて恐いから
家を頑丈に作り変え、
防犯設備を増やし、
ここに侵入し襲おう という気を無くさせる。
「好き勝手にはさせない、
こちらに危害を加えるなら、同じ目に遭うことを覚悟せよ」
相手にその意思を示す。
軍備の意味とは、そういうものだ。
子供なら夢を見ていていい
だが彼らを守るべき大人は
身を呈して戦ってでも、彼らを守るべきじゃないのか。
"彼"のような人間が差し向けて来る者たちに
抵抗せず、命を差し出すのは個人の自由。
だが他人にまで、
まして国全体にまで
同じ事をせよと求める声に、付き合う義理も暇もない。
国が滅びる。
今は偽善は要らない。
*****
『無題』
そも生く者は 知るらむか
記憶とどめぬ太古より
幾度 数多の戦ひが
虚無の限りに哭きながら
いとど哀しき紅涙の
贖い果てぬを知りながら
猶新たなる贄を喰み
屍を地に還しつつ
果てなき憎苦の応酬を
寄せては返す波の如
土に吸わるる雨の如
終なく 飽くなく 止めなく
愚かしきとは知りつつも
或ひはこれも ひとつには
この世の摂理の顕れか
時に山火があるが如
時に嵐が猛る如
人の自然の営みが
時に殺め合うとては
否
たとい そが摂理とて
この虚しさや 悲しみの
こころは ならば何処から?
思い出せ思い出せ
この世に出でた その時に
おまえを抱く腕あり
喚き求めるその口に
乳を含ます情あり
古今東西かくごとく
人の生とや始まらん
母の慈愛を追い求め
父の養護を請い求め
友はらからと学び生き
やがてはそれを子に返す
その平穏なる反復を
等しく幸と呼ぶならば
などか思わん 敵もまた
等しくそれを求めんと
よし勝鬨の声聞きて
空虚を裡に感ずれば
そは はらからを手にかけて
我が身貫く両刃ゆえ
生く者よ皆いま一度
刮目せしめ 思考せよ
意識の底にたどり着き
わけても探せ 真実を
真に求むるものや如何
真に望みたるは如何
血の応酬が宿命か
終に愚鈍が人間か
よも言うまいぞ 過現来
悪鬼羅刹の跳梁が
定められたる道にして
人の世の行く帰結とは
刹那の光に惑わされ
な誤りそ 玉と石
華美を誇りし玉座より
虚飾の衣引き剥がし
盛者必衰の理を
今こそ示せ 沙羅双樹
やがては敵の手を取りて
共に互いの家を建て
蹂躙至極のその土地に
新しき木を植え初めよ
な疑ひそ 人の世は
火と暗黒と怒りより
光と水と笑みに満ち
花を愛でつつ過ぎるらん
など迷ひしか
今はただ
己の気をぞ そこに乗せ
唯ひと足を踏み出しぬ
その一歩こそ全てなり
眼を開き
顔を上げ
肺に空気を満たしなば
いざや進めん 新しき
浄土と紛う
我等が国を
-fine-
*いきなり古文調の詩で、みなさんドン引きされたかと思います、すみません
m(_ _)m
実は私、島崎藤村の文語詩にハマりまくっていたJKでした。
この詩、モロに影響受けてますね…
はい、友達は少なかったです♪(なぜ自慢気)
でもTM Networkとかも好きだったからね!
明治生まれじゃないよ!(˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
(生まれてみたくはあった♫)
書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡