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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 夏・壱2

 墓前に手向ける花を求め、町へ。夏空の下、半里ほどの道のりを歩くのは全く苦ではない。体はもう完全に、こちら側の気配を捉えている。頭上で強さを誇る太陽も、執拗に纏わりつく熱気も、ただそこにある事象のひとつ。

(夏に汗を流し、冬に身を縮める……それが世のことわりなら、俺は全てに反していると言える)

 宿災(しゅくさい)の守護 身に纏う結界はあれど 宿る災厄無し

 脱厄術師は、生まれながらに結界に守られた存在。自らが持つ特性を、便利と思えば顔を持ち上げられる。不憫と思えば、ここまで生きてはこられなかっただろう。

 思いを内へ内へと向けるうちに、汗にまみれることなく町に着いた。まっすぐに花屋を訪ねる。店頭の花をしばらく眺め、大輪の白いユリを買い求めようとした瞬間、背中に柔らかな熱がぶつかった。

「やっぱりここだった!」

 深遠の体に回された細い腕。しかしその力は強く、深遠は僅かによろめいてしまった。花屋の主人は目の前の光景に驚きを見せたが、すぐ目を細め、店の奥へ。

「ちゃんとご飯食べてないでしょう? 何だか華奢になった気がするわ」

 軽やかに悪戯に、深遠を抱き締める者は、くすくすと笑いを零す。深遠は意識して表情を無にし、ゆっくりと白い手を解いた。

「相手の顔も確かめずにこんな真似を……危険だ」

 言いながら振り返ると、そこには夏物のセーラー服を纏った維知香の姿があった。

 濃紺の襟に、白い線が二本。胸元で結ばれた海老茶色のスカーフ。艶やかな黒髪は左右の耳の下で括られ、すっかり女生徒といった様相。二年前、鷹丸家の玄関で迎え出たお転婆娘とは、まるで異なる印象を受けた。

 維知香は両手を後ろで組み、深遠の顔を覗き見るように視線を送ってくる。その目の位置は、以前より深遠に近づいた。

「私が深遠を見間違うわけがないでしょう? ああもう、髪の毛が伸び放題じゃない。お花を買うより先に、床屋さんへ行ったら? すぐそこにあるわよ。そんなボサボサの頭で、おじい様に会うつもり?」
「それは、失礼極まりないな」
「じゃあ、行きましょう……あ、その前に」

 維知香は花屋を出てすぐ、路上で足を止めた。深遠と視線を交え、音を放つ。

「お帰りなさい」
「……ただいま」
「一番先に顔を見せるのが私の所じゃないのが悔しいけど……貴方はきっと、おじい様のところに立ち寄ると思ったの。それならお花を買うだろうって。正解だったわね」
「散髪が済んだら、一緒に花を選んでくれるか?」
「勿論よ」

 並んで歩き床屋へ。維知香は行きたい場所があると言い、手を振って場を後に。前は、片時も側を離れたがらなかった維知香。その変化を喜ぶべきところであるが、深遠は何故か、胸の奥に疼きを覚えた。


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