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強すぎる感受性は、ちゃんと"武器"だったの。

まだ自分の得意なことが音楽以外なにもなく、
毎日まいにち働き続ける人生があと40年くらい残っているのか……と絶望していた頃
こんな歌詞を書いておりました。

〽︎朝になって目が覚めて
  ごはんを食べて仕事して
  仕事が終われば帰って寝る
  繰り返し、繰り返し

  お金をもらってなにかに使い
  お金を使えばまたなくなって
  繰り返し繰り返し……虚しいなー!!

  なんのために生きてるのかわからない
  でもどうしようもなく自分の命が愛おしくて

  生きてるぜ色々乗り越えて
  きょうも生きてるぜ
  上出来だ!それだけで私は偉い!!
  だけどただ生きてるだけじゃ面白くないから
  わたしはこうして、歌っているのさ……

(2番まで作ったけど1番しか覚えてないや。)

でも、2番の中で唯一覚えている箇所があって
「私の武器は感受性だけ、これで何を闘えるというの?」という一節を、歌の中で訴えていました。

その頃はバンド活動とかライブとか作詞とか色々やってたのですが、バンド繋がりで知り合った人の中には「作りたいものが、勝手に降ってくる」
私には到底理解しがたいような感覚をお持ちの
"ひらめき天才系"であったり、生きづらさや壮絶な経験を素晴らしい作品に昇華させているような方、「私にはもう音楽しかないんだ!」というものすごい気迫で大活躍してる方などなど……いろ〜んなアーティストさんがいました。

しかし私はというと、
バンドメンバーから「曲できたから歌詞作って!」って渡されて、渡された曲の世界観を壊しちゃったらどうしよう……と思いながら、涙を絞り出すように必死に歌詞を書いておりました。(「降ってくる」とか、まじで1ミリもわからんw)

当然、天才的な人とか自分にはないものを持っている人、人気者で集客に困らない(ように見えた)人、アップされた告知ツイートや演奏動画にすんげぇ数の "ふぁぼ" がついてる人など……

まぁ比べちゃうよね。
そりゃそうだ、にんげんだもの。

比べれば比べるほど自信もなくなっちゃうし
どんどん自分への評価が辛口になる一方で、
心はすごく忙しく動くし涙は毎日止まらないし
「私だって辛い経験をいろいろ乗り越えてきたはずなのに、どうして何にも生かせないの?」
毎日毎日ブルーな気持ちになっていました。
(病みツイだけは饒舌だったけど「作品」としての歌詞は全然書けなかったw)

そして切実に思った。
私の感受性の強さは私を苦しめて身動きをとりづらくさせ、行動しようとした気持ちにストップをかけるだけの存在であって、何の役にも立たないと……

なんで苦しめるだけ苦しめて、
自分のことを助けてはくれないんだろう。
自分自身の脳(心)なのに。。



たとえばすごく意地悪な上司がいる職場で
すごく意地悪な上司に苦しめられているのなら、
その職場を辞めてしまえば、とりあえずその上司から離れることはできます。物理的に。

自分以外の誰かにいじめられている場合なら
難しい状況があったり時間がかかることはあるけど
「その人から離れる」という選択肢は、
(細く消えそうであっても、)存在はしています。

しかしながら
自分の脳内に意地悪な上司やいじめてくる人を飼ってしまっていると、逃げられないんですよね。

その時の私は、
自分自身から離れたくて離れたくて仕方なかった。


でもあの頃から数年経った今、
自分の中にいた「パワハラみこるん」は
完全に消えてはいないものの、だいぶ小さくなって存在感が薄くなりました。

いまだに人と比べて辛くなることはしょっちゅうありますが、前ほどジュクジュクしなくなりました。

やはり
「合わない活動をスッパリ辞めた」
「自分の得意なことが分かってきた」
「自分の苦手なことや苦手なタイプの人がわかってきたので、そこから距離をとれるようになった」
ことが大きかったのかなと思います。

私は音楽も好きだし文章を書くことも好きだけど、
集客が必要となるバンド活動は合わなかったし
(曲の音数に合わせて)決められた文字数の中で表現しなければならない状況には窮屈さを感じるようです。

音楽やるなら、私にはYouTubeのほうが合う。
それなら相手にチャージ代とか交通費を負担させなくて済むし、好きな場所やタイミングで気が向いたときだけ見てくれればオールオッケー!になる。

そして、冒頭の歌詞では
憎しみしか感じていなかった「仕事」にも
ずいぶんと助けられるようになりました。

音楽を仕事にするとか「好きを仕事にする」のは非常に難しいことだけど、
苦にならないことを仕事にしていけば
自分にとっては"苦にならない"ことを苦手としている人(つまり自分と逆のタイプの人)を助けられる瞬間が、きっとある。

だから世の中には色んなタイプの人がいるんだな〜って、つくづく思います。


私の苦手な人は
いわゆる「イケイケポジティブタイプ」というか
ネガティブな本音を「無きもの」として扱ってしまう(そしてそれを周りにも押し付けてしまう)タイプなのですが、
それ以上に「"人間みんなプラマイゼロ"の法則から外れているような、なんか優等生すぎて親しみを感じられない人」が苦手なんだなということに気付きました。

Twitterではキラキラな有名人をそれはそれはすごい数ミュートしてましたし(苦笑い)、会ったこともないのに「人気者っぽいから」「見てると劣等感を刺激されるから」という理由でミュートしていた人もたくさんいます。ごめんなさい!!!
でも、それでいいと思います。自衛は大事です。


そしてもうひとつ、今になって思うこと。

グジュグジュの生々しい感情をリアルに感じている瞬間でないと、生まれてこない作品がいっぱいあるということです。

バンド活動をしていた頃の思い出がつらくて
当時書いた歌詞のメモも全削除してしまったし、
Twitterアカウントも消してしまいました。

でも、ちょっと勿体なかったなぁ……
あの頃の作品や血の滲むような思いで書いたツイートは、もうこの世にないんです。

今生きるのが少しだけ楽になって幸せなことではあるのですが、同時にあの頃の鋭い視点やマグマが煮えたぎるような感情、切りつけられるような胸の痛み、そしてそこから湧き上がる叫びのような想い……そういうものを失ってしまったような切なさは、ものすごく感じています。

だから私は、昔の自分や
今まさに似たような状況にある人に言いたいです。

あなたの強すぎる感受性は、ちゃんと武器。
かけがえのない、価値のある武器。
どうか消さないで大切にしてあげて。
強くなれなくていいから、感じるままを感じて。
今のあなたにしかできないことは、すごくいっぱいあるんだよ。


ほんの少〜しだけマダムに進級した姐さんより。

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