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ランチパック もんじゃ焼き風と和風焼きそば

小中学校で不登校の方が増えてきているようです。
小中学校合わせて約30万人。中学校ではクラスに2人程度という割合だそうです。

中学生にもなると多感な時期でもあると同時に、スマートフォンを持ちSNSでつながりを持ったり、Webサイトから様々な情報を仕入れることもできるため、もはや20世紀の「中学生」感で今の中学生を見てはいけないのでしょう。環境が大きく違うのであれば悩みも違うのです。

学校の教職員についても、デジタル化への対応、保護者対応など、現場から離れたボスたちが経験してきた時代より複雑な中、繊細な対応をされていることと思われます。
それでいて、学校教育制度という大きな制度の中で現場ができることも限界があることでしょう。

政治家は保身のために日々お忙しいところでしょうが、たまには日本の将来のことも考えてもらいたいものです。

日付:2023/10/26
味の種類:498

農林水産省のWebサイトにもんじゃ焼きの発祥・由来が書いてあり、とても分かりやすいので引用させていただきます。

もんじゃはゆるく水で溶いた小麦粉に具材を混ぜて鉄板で焼き、めいめいのヘラで熱々を食する料理。

江戸時代末期、月島の駄菓子屋の前で手頃なおやつとして売られていたのが根源である。食料難であった昭和20年代頃、うどん粉を溶いて醤油やシロップを加えたシンプルなもんじゃ焼きが子どもたちに広く親しまれていた。江戸末期から明治にかけては物資が不足していた時代、紙や習字の道具をなかなか手に入れることができなかった子どもたちに、小麦粉を水に溶いた生地で鉄板に文字を書いて教えたり遊んだりしていたことから「文字焼き」と呼ばれ、もじがもんじと転じて「もんじゃ」へ変化していった。

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_3_tokyo.html

もんじゃ焼きについて、お世辞にも「高級食材による品のある食べ物」とは思っておりませんでしたが、この背景はなかなか痺れますね。ランチパック列伝を通じて様々な食べ物の由来を見てきましたが、学習行為と結びついたものはこれが初めてではないでしょうか。

小学館のサイトによると、江戸時代の寺子屋は、長く続いた江戸幕府による安定した社会を背景に、法令文書の理解や取引・年貢の計算のために、読み書きそろばんや道徳教育を教える場として広まりました。
また、明治時代に西洋文化を急速に取り込めた背景にも、この私塾が役立ったと考えられているとのことです。

その一端を担うものが、月島の駄菓子屋だったということを考えるととても感慨深いです。
学びとは、立派な制度、立派な道具が必要なものではなく、学ぼうとする意志、伝えようとする意志により成立するものではないでしょうか。

幸いなことに現代社会では、我々はWebメディアによる有償無償の様々な教育コンテンツに等しくアクセスすることができます。

100年前の制度にとらわれず、新しい時代の学習のあり方によって成長した人を迎え入れられる社会でありたいと思います。

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