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今日も、雪が降るという。
2月の初旬に降る雪は、父が他界した日を思い出させる。

雪が降っている中に立って、パールグレイの空を仰ぐ。
ひらひらと舞い降りてくる雪が、軽くて綺麗な天使の羽のように見える。
手を広げて私が回ると、空も回って、雪が舞い降りてきているのか、私が天に昇っているのか、わからないような錯覚に陥る。

そういえば、あの日も雪が降っていた。
広尾にある病院に駆けつけた時には、すでに父は人工呼吸器に繋がれていた。
朝、人工呼吸器を止めると決めた時間あたりから、曇り硝子の向こうに白いものが散らついて見えた。
それが、だんだんと窓の向こう側に積もっていく。
はっきりとした形に見えなかったのは、曇り硝子のせいだったのか、私の脳が何かを受け付けないようにベールをかけたせいなのか、涙のようなもののせいだったのか・・・。

いや、私は泣いてはいなかった。
私は、究極の決断をした時には、自分が無感覚になるのだと知った。
人工呼吸器の音が止んで静けさが戻ると、医師が腕時計を見て臨終の時間を言った。

あの日の空は、鉛色をしていた。
しんしんと重い白い物体が降りてきていた。
タクシーに乗り、車窓から大粒の雪を眺めていた。
あの日の私はまだ、20歳に達していなかった。

涙を想起させる雨ではなく、風に吹かれて舞い降りてくる雪の白さに、救われたような気がする。

先日の雪で、駅からバスで帰る途中、バスのフロントガラスに吹き付ける大粒の雪をみて、そんなことを、ふと思い出したのだった。
道路脇の黄色い街頭の光に照らされて、滲んだように光るフロントガラス。
ワイパーに掻き消されながら、大粒の雪の破片が吹き付けてきていた。

一昨日は、父の命日だった。
「そばにいるのかも知れない」などと思うことは、今まで一度もなかったけれど、
ふと何かを感じる瞬間だった。

正月に、父が冗談で母に笑って言ったそうだ。
「この写真を遺影にしてくれ」
身体のどこも悪くないのに縁起でもない、と母は怒ったという。
そのまま仕舞われたと思っていた写真が、父の仕事関係の本棚の隙間に伏せて滑り込ませてあったのを、葬儀の前にみつけた。
見覚えのないグレーの額は、どこで用意したのだろう。
笑った写真が入っていたのだった。

「少し前から寂しい背中をしていたわ」
と母は言った。
行ってきます、と言ったきり、事故で帰らぬ人になるとは思わなかったと。
常に世の中で起きていることを現実的に見つめて書く仕事をしていた父が、精神世界の話をしたことはない。
しかし、旅立つその日がわかる人がいると聞くと、私は、そういうことはあるだろうと思うのだ。

大雪の日に旅立ちたかったのか、大雪を降らせて旅立ったのか・・・。

その時のことを、以前、書いていたのを思い出した。
もうすぐコロナの感染に効く薬ができて、旅立つ人が少なくなったとしても、急な別れがこの世からなくなるわけではないだろう。


セルジュ トラヴァルのバングルに刻まれた、シェークスピアの言葉に深く感じ入ったのも、雪と魂が結びついて感じられるからかも知れない。

雪が溶けるとき
白さは 何処へ行くのだろう
(肉体が消え去るとき
純粋な魂は何処へ行くのであろう)
                          シェークスピア


雪のように軽やかで、清らかな魂は、雪が解けて白さが消えていくように何処へ行くのか。
純粋な魂は、身体から離れて昇っていくとき、その行き先を既に知っているのだろうか。

しかし、その前に、ひとつひとつの命はとても重い。

ニュースを見ては、そんなことを考える。
そして、戦いで人の命が奪われるなどという悲しいことがないように祈る。


私自身の理想は、雪が解けるようにすっと、旅立つことである。
何か、温かいものに触れて、雪のひとひらが解ける瞬間を思う。
それは、誰かの手のひらかも知れないし、誰かの睫毛にふんわりのって透明に解ける結晶かも知れない。

書くこと、描くことを続けていきたいと思います。