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ダイヤモンドは巴里へ行った

 森茉莉「贅沢貧乏のお洒落帖」第三章 指輪・ネックレス・香水・嗜好品。
 この章を読み返す。
 人のこだわりが、自分の元気になるという不思議な時間である。

 「ダイヤモンド今昔」という文章は、短い。
 宝石を支えている六つの爪の話。
 宝石の縁に、その爪がほんの僅か、出ているか出ていないか。

 なるほど、こだわりとはそういうものかも知れない。

 一粒ダイヤモンドで、母を思い出す。
 もうすぐ他界して19年になる母は、結婚指輪という生活しやすいシンプルなものをせずに、一粒ダイヤの指輪を日常的にしていた。
 つけたり外したりしたこともない。
 常に母の左薬指とその指輪は一体化していた。
 それで子どもの私が怪我を負ったこともないし、服などに引っ掛けていた様も見たことがない。
 私のように慌ただしく動く粗相っかしい娘とは違い、引っかからないようなしぐさで物事を片付けていたのだろうか・・・今となっては忘れてしまっている。
 
 その指輪は、亡くなるまで母の指にいた。
 そして、私が譲り受けるでのではなく、ダイヤモンドは弟が結婚する際、お嫁さんのものとなった。
 私は、母が可愛くて仕方なかった弟のお嫁さんがしてくれるのが一番だと思っていた。
 そして、義妹は、それをとても大事にしてくれた。
 「お義母様の指輪をリフォームして、私の指に合うようにさせていただきました。大切にします。」

 義妹は、小さいときにお母様を病気で亡くされていた。
 海外の航空会社のCAで、年の半分はパリを拠点としていたが、帰国すると必ず私を訪ねてくれて、鯵の南蛮漬けや、筋子からていねいにイクラを作って来てくれたものだった。
 丁寧な料理の仕方が、彼女の人柄そのままだった。

 芦屋で生まれ、お父様の仕事の関係でシンガポールで育ち、その間も母親のように自分の小さい弟の面倒をみていたという。
 人の気持ちを察することができる、それはそれは素敵な人だった。
 見栄や執着といったものが一切ない、純粋な魂の人であることは、その目を最初に見たときにわかった。

 弟との出会いは、飛行機の中であったという。
 仕事でヨルダンに向かっていた弟は、連日の激務で疲れてずっと眠っていた。
 パリでトランジットして向かうことになっていたけれど、シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは明け方であった。
 「まだ、空港内のお店は開いていないので、よかったらこれを召し上がってください。」
 日本人の客室乗務員が渡してくれたのは、彼女が握ってくれたおにぎりだった。
 「ずっとおやすみになっていらしたので、お腹が空いていらっしゃるのではないかと思いまして。」
 弟は感動して、名前も聞けなかった彼女に再び会いたいと、長いこと思っていたという。
 しかし、再び同じ航空会社を使っても、彼女に会えることはなかった。

 あるパーティーで、ひょんなことから弟はその話をした。
 素晴らしい人に会ったことがある。
 あのような人と再び出会えたら幸せだ、と。

 「その飛行機は・・・。」

 と話し出したのが義妹だった。
 恥ずかしそうに、自分だと思うと言って、飛行機のフライト日などを思い出して話してくれたという。
 こんなこともあるのか、と驚いた。
 それから、母の指輪は義妹の指にあり、私は彼女を尊敬してやまなかった。
 英語、仏語、中国語、イタリア語、ドイツ語を、努力で身につけた人だった。
 弟は仕事も面でも、義妹にどれだけ助けてもらったかわからない、と言っていた。 

 しかし、義妹でなくなる日が来てしまった。
 子どもはいなかったけれども、一年の半分が別々の生活となった弟夫婦のことは、詳しくは聞かなかった。
 私は、ただただ泣いた。
 「私は、あなたを本当の妹のように大切に思っていました。こんなことを言える立場ではないけれど、どうか、私の人生からいなくならないで。」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 義妹は言った。
 「私が住む国では、離婚しても家族付き合いはありますし、ステップファミリーも当たり前です。お義姉さん、私もです。私も本当のお姉さんだと思っています。」

 人生というのは、どうしようもないこともあるものだ。
 それを知ることが、大人になるということか。
 わけ知り顔で一般論を持ち出すのではなく、やむを得ない現実を許容する器が、確かに若い時よりも大きくはなっているのだろう。
 しかし、目の前のことに心が揺さぶられることには変わりがない。
 もう、随分昔の話なのに、思い出すと今だに涙が出る。

 「お義姉さん。お義母様の指輪ですが・・・。お返ししないといけないと思っています。お義姉さんにとっても大切な指輪ですから。」

 私は、途中で話を遮ったかも知れない。
「私のお願いを聞いていただけるなら、それは弟に返さずにあなたに持っていてほしいの・・・。」

 きっと宝石というものは、ご縁のあるところに行くのだ。
 お城にあるような、立派で高価な物ではない。
 しかし私は、宝石は小さくてもお守りのような力を持つと信じている。
 あの立て爪のダイヤモンドが義妹を守ってくれるのではないか、と瞬時に感じたのだった。
 
 男の子がその母親を好きな場合、どこか似たタイプの人と結ばれると聞いたことがある。
 私は、それを感じたのかも知れない。
 弟が、義妹に会えた意味と理由。

 純粋で深い愛情があるところ。
 目立つことを好まない慎ましやかなところも。
 彼女は、母に似ていると思う。

 だから、あのダイヤモンドは似合う人のところに行ったのだ。
  



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