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貫入

 私の持っているブルーの皿。
 こうしてみると革の表面のように見える。
 もしくは、歳を重ねた皮膚のようにも。

 貫入の味わいが好きである。

 この燻んだブルーが、淡い桜色を引き立てる気がして、桜の花を浮かべる。
 使ううちに少しずつ、味わい深くなる貫入。




 陶器の製作過程において、陶器を冷ましているときに「ぴんぴん」という美しい音をたてて、貫入が入るのだと聞いたことがある。
 一度は聞いてみたい、その音。

 釉薬がガラスのような層となって陶器の上を覆い、その時の収縮度が陶器本体の素地と釉薬の間で違うために、釉薬にひびのような模様が出来上がるのだという。

 人も同じように、素地と外側の温度の違いでひび割れることがある気がする。

 ひび割れは、いつも美しい音とともにできるわけではないとしても、やがて、その人の味わいとなっていくことを想像する。

 心が温かくなるような思い出ならば、美しい音とともに永遠に忘れることはないだろう。

 「今日の宿題をこれから言う。桜の花びらを、おかあさんに届けること。」

 中学一年生の初めに、難問を解かせるので有名な数学の先生は、こんな宿題を息子たちに出した。

 帰るなり、手のひらをそっとひらいた息子。
 そこには桜の花があった。

 「これって、私が何か書く宿題?」
 「いや。ただ、届けるのが宿題だって。」
 
 どうにでも受け取ってよい宿題。
 もし、事情があるならやらなくてもよし。

 「正解のない宿題」に温かさを感じる自分は、幸せなのだろう。

 
 桜色は、美大生だった私が、強い色や濁った色の隣に置いて引き立てた色だ。
 純粋に澄んだ桜色は、「白」に優しさを加えて出来た色のように思える。


 陽の光が揺れる水面に漂う桜の花びらが、風が吹くたびにゆらゆら揺れながら広がっていた。
 まだ、肌寒く感じる季節に、ボートから手を伸ばして花びらを掬った。
 あの記憶が蘇る。

 千鳥ヶ淵の桜は、もう、何年も見に行っていない。
 フェヤーモントホテルも、今はもうないが、記憶の中に残っている。
 あの日の温度や、空気の匂い、笑い声や誰かの台詞を、桜色と紐づけて記憶している。

 楽しい思い出が、私の笑い皺となる。
 自分を愛しんで、味わい深く育てることを想像する。
 「ぴんぴん」と美しい音は立てないけれど、素の自分が想像しえないようなサプライズにより、自然な笑い皺が増えていくのは楽しみである。
 
 

書くこと、描くことを続けていきたいと思います。