Think clearly
どうしたら、シンプルに考えられて、簡潔に説明できて、進む一歩が軽くなるだろうか?と考えていた。
そこを考えてしまう時点で、すでに自分の頭がシンプルでなかったということになるのだが、考え方の癖のようなものを、誰しもが持っているように思う。
私にとっての普通は、他の人にとっての普通ではないし、普通だと感じることを比べること自体に意味はない。
話が通じるか、通じないか、というのは、そもそも避けようがないのではないか、とこの歳になって思えてきた。
そして、ある物や事柄を「簡単に一言で表す」ことは、パッケージデザインや宣伝のコピーで随分勉強させてもらったけれど、今考えれば、どれだけ削ぎ落とせるか?という作業に他ならない。
削ぎ落としていくとクリアにそのものが浮き上がってくる。
削ぎ落とした先に光る「何か」が見つかったとき、その瞬間は歓喜に満ちている。
Think clearlyという本を読んだ。
ウォーレン・バフェットの話が面白い。
「何を手に入れたか」ではなく「何を避けるか」の話。
よい人生は、究極の幸せを求めた結果として得られるものではない。馬鹿げたことや愚かな行為を避け、時代の風潮に流されなければ、人生はおのずとうまくいく。
「何を手に入れたか」で人生の豊かさが決まるわけではない。「何を避けるか」が大事なのだ。
これは、「何をすべきでないか」に気を配ることでもあるという。
まずは、充実した人生を妨げる要因を取り除くことから始める。
なぜなら、それがストレス。
すごく納得してしまった。
この本の著者のお気に入りの「思考の道具」は、
「五秒決断ルール(簡単に頼みごとに応じるのはやめよう)」だそうだ。
頼みごとをされた時は、きっかり五秒考えて決断する。
頼みごとには無理な要求が多く、五秒後にとっさに答えを出すと、返事はほとんどの場合「ノー」になる。
だが、それでいいのだという。
無理に引き受けたところで、そうそううまくいくものではない。
著者も以前は、頼まれごとは引き受けた方がいいと感じていたそうだが、いまでは余計なストレスを減らすために、できるだけ断るようにしているらしい。
私もやっと最近、自分のルーティンワークやペースを考えて、入れられない用事は断れるようになった。
オーバーワークになる前に考えなければならない。
「何をすべきでないか」
頭が整理できなくなるほど詰め込む前に、量を調整しないといけない。
引き出しにはぎゅうぎゅうに詰め込んではいけない、とよくいうけれど、確かにスペースがないと動かして考えることができない。
奥にあるものも見つけ出すことが出来ない。
絶対に私でなければならないのは・・・子供のことくらい。
(最近は、子供も成長したので、「子供の人生は子供のもの」と言えるようにもなってきた。)
仕事もその他のことも、責任は持つけれども、いざという時は私の代わりはいくらでもいる、と思うことにした。
その昔、全部引き受けて過労で倒れてしまい、かえって周りに迷惑をかけた。
本当に起き上がれないことを体験してみて、過労の怖さを知った。
半年ほど、坂道も上れないくらい衰弱してしまった。
私の場合も、自分のできる範囲のことを着実にやることがストレスを減らすことなんだろうと思う。
そして、またまたバフェットのお話になる。
人間は、自分の「能力の輪」の内側にあるものはとてもよく理解できる。だが「輪の外側」にあるものは理解できない、あるいはできたとしてもほんの一部だ。
「能力の輪」の境界がわかっていれば、仕事上で何かを承認したり断ったりしなければならないときでも、そのつど判断しなくてもすむのだという。
魅力的な仕事のオファーでさえも、自分に相応しくないと思えばきっぱりと断れる。
決して、自分の「能力の輪」を超えないこと。
向いているもの、不向きなものを、ちゃんと把握しておくこと。
いちいち迷わないために同じシャツだけが並んでいるCEOの話などあるが、
誓いを先に立ててしまうと、都度判断しなければならない状況から離れられる。
目標達成のためには、ときには柔軟性が邪魔になるという。
柔軟に物事を決めるには、その都度判断がいる。
これはエネルギーロスだと腑に落ちた。
目標を先に決めたら、頑固に愚直に遂行する。
そうすれば、何度も判断をしなくてすむ。
シンプルだ。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。