ブラッサイのパリ 白のニュアンス
美大生だった頃、写真をやっていた時期があった。
モノクロフィルムで撮り、暗室にこもって現像した。
露光過多にして、ソラリゼーションの実験をしたり、マットな印画紙に焼き付けてみたり、遊びのように楽しんだ。
その頃、好きだったのがブラッサイだった。
パリの夜の街の写真たち。
黒が濃く、それゆえ白にニュアンスがある気がしていた。
あたたかさも感じる。
そして、写真集の文章の描写が優しい。
「ついていらっしゃい」と女番人は息苦しそうな声で私に告げた。
二人はヴィクトル・ユーゴーの小説から出てきた陰謀家のようだった。
彼女は鍵の束をとり出して重い扉を開いた。
われわれは回り階段をいまや上がっていく。真の闇である。永遠に闇が続くかと思われた。ようやく平屋根に出た。我が共犯者はハアハアしながら自分用の椅子に倒れ込むようにして坐った。私はじっとしていられず、狂喜して手すりに沿って走った。想像していたよりもずっと美しかった。ノートル=ダムの怪獣は黒々として、パリをつつむ霧はミルクのようだった!
ミルクのような霧がパリをつつむ・・・。
その表現だけで、うっとりしてしまったものだ。
そして、漆黒とのコントラスト。
『白』という色。
白は、とてもニュアンスのある色だ。
ミルクのようなあたたかい白。
チタニウムホワイトのような青味の白。
生成りに近いナチュラルな白。
アイボリー。
カサブランカの白。
純粋な心のような白。純白というような・・・。
人により心にある色がそれぞれ違う。
同じ色の名前から、イメージするものも。
私のこれから・・・。
そんな微細な部分も逃さずにみていきながら、セラピーやカウンセリングをしたいと思う。
さて、1930年代のパリの、夜のおそろしげなところへもカメラをかついで入っていったブラッサイ。勇猛果敢というのでもなく、内心ビクビクしながらも好奇心と楽天的態度でどうにかなるさ、と。
ブラッサイの人物像について、訳者のことばによると、
「友達にしたいような人柄」とある。
ともかくあったかい人柄。どんな人とも愛情のある、しかしベタベタしない眼で付き合う。乞食であろうが、ならずものであろうが、一個の人間として眺め、気兼ねまでする。実によく気のつく人なのだ。基本的感覚としてこの人はオプチミストで明るい。のんきなところがある。
ブラッサイの作品が好きなのは、こういう人が撮った写真だからなんだ!
納得させられた。
恵まれた環境にある人たちを撮っているわけではない。
生きているって・・・考えさせる写真と文章だ。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。