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「森のイスキア」佐藤初女さんのおむすび

たまに気持ちが沈んでしまうこともある。
そんな時、佐藤初女さんの『いまを生きる言葉「森のイスキア」より』を開く。

目を瞑って、「えいっ!」と本を開き、そのページをメッセージだと思って読む。

昨夜のページはこの文章だった。

そばにいて共感し、受け止めることで、
その人自身が解決法を見つける・・・・・・。
それを一番大事に思っています。
相手の話をじっくり受け止めるうちに、いつの間にかその方が、私が一番伝えたいと思っていることに自ら気づかれて、自分で答えを出していることも少なくありません。
こうしたことから、悩みを抱える多くの方は、本当は自分がどうしたらいいのか
わかっているのだと、私は思うようになりました。

カール・ロジャースの来談者中心話法が、産業カウンセラー取得のための主な実習だった。
アドバイスは必要なく、傾聴する技術を学ぶ。
自分の中から気づきを得られるように、ただ、聴く姿勢を貫く。
出てきた感情の部分を逃さずに繰り返して、クライアントがどう感じていたのかを返す作業がある。
同じような気がした。

先月、カール・ロジャースの御息女である、ナタリー・ロジャースの
「表現アートセラピー 」を翻訳された小野京子先生のセッションを初めて
Zoomで受けることができた。念願が叶って嬉しかった。
パーソン・センタード表現療法として、絵、ダンス、詩、を使い、感じることを表現してシェアすることで、私の中で何かが変わった気がした。


自分の中から湧いてくるもので答えを得る・・・。
答えは自分の中にある。
はっきりしたものである必要もなくて、解釈もいらない。
おぼろげながらでも浮き上がってくるものに身を委ねてみると、
ひらめきや気づきがある。


初女さんも、来訪者のお話を聞かれていたのだな、と思ったら、
本当に一度伺ってみたかった場所に思える「イスキア」。
クリスチャンではない私だが、「限りなく透明に凛として生きる」という
姿勢に憧れる。

何かになろうとしなくても、それはすでに自分の中にあるものです。

佐藤初女さんのその言葉を、今まで何度も、自分に向かって言ってきた。


無理を通そうとすると、軌道修正せよ、とばかりに身体を壊す。
本当に強制終了がかかる。
導かれるままでいると、自分の使命に辿り着けると信じるようになった。


初女さんのおむすびを作る映像を、何度も繰り返し見たものだ。
愛情を込めたお料理を一緒に食べることの大切さ、日々の暮らしを丁寧に、大事にすること。

おむすびもね、お米が息ができるようにと思って握るのです。
あまりぎゅうっと握ってしまうと、お米が息ができなくなってしまうから。

口の中で、どのようにほどけるのだだろう。
心を込めて炊いて、握られたおむすび。
食べてみたかった。

もしかして、おむすびの中のお米は人間なのかな。
コミュニティの中の一粒。
息ができる一人一人で繋がっていることができたらいい。



本の中には、イタリアのアッシジが出てくる。
私も学生の頃、聖フランチェスコ寺院を訪れたことがある。
今も、小高い丘の上から見える景色を思い出す。
そこで買ったロザリオを、今も持っている。

聖フランチェスコは、犬や小鳥とも話ができる純粋さを持っていた、と聞いた。
純粋であることは、私の中では透明であることと同意語だ。

透明になって真実に生きていれば、それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だから、私たちに今できることは、ただ精一杯、毎日を真面目にていねいに生きていく、これだけだと思うのです。

世の中の色々に失望したときに、この言葉を読んで、また前に進もうと思うのだ。





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