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遠い星たち

 満月が綺麗に輝いている。
 
 先日、ある講演でこんな話を聞いた。
 月に人が住むことになる時代の話。
 月に行くための旅行保険なんて、ちょっとワクワクする。

 私は最近、一度にたくさんの仕事が集中したため、頭が忙しくなっていた。
 今夜は、月を見ながら一息つく。
 そういえば以前、こんな記事を書いていた。
 その当時も、どうやら『今』を置き去りにしていたようだ。
 


 はるかな国。
 私たちは、どこからやってきたの?
 
 そして、また空想する。
 手元と考えていることのズレを感じながら。
 瞑想の時間が削られていることを感じながら。
 無心という言葉を思い浮かべる。


 『無』について、先の記事にも引用していた。
 タオの、静寂や平安。
 常に、そこへの憧れがある。

『無』との出会いに関する人間のリアクション及び気分は、人、または文化によりかなり異なってくる。
中国の道教者らはこの大いなる無を静寂、平安そして喜びさえももたらすものと捉えた。
インドの仏教徒にとって『無』という観念は、究極的には地に根差さない存在を介して捉えられた普遍的な哀れみの気分を想起させる。
日本文化において『無』の観念は、美的感情を洗練された形で表現することを可能にしている。
それは絵画、建築そして日々の生活の決まりごとの中にも見られるものである。
しかし首根っこまでモノに埋もれ、維持しなくてはならないビジネスにがんじがらめになっている西洋人にとって『無』との出会いは不安をかき立てるものでしかない。
               ウィリアム・バレット『「無」に関する考察』

 
 心をできるだけ空っぽにして、月あかりの下にいる。
 タロットカードで、月は不安を表したりもするようだが、月光とは神秘的だ。
 浄化されることを思いながら、白い光を見つめる。

 同時に、宇宙や星の世界に想いを馳せると、日常を忘れられる気がする。

 
 クリスマスが近づいても、すでに欲しいモノは思いつかなくなった大人の私であるが・・・。
 その昔、空想するのが大好きな子どもだったことを思い出す。
 
 私は、オメガ × スウォッチのパッケージを見つけた。
 たくさんの星が並んでいる。
 


 いつもは、仕事に相応しい時計ばかりしているが、こんな遊びのあるものも、たまにはいいか。
 海に行く時計として。

 フェイスが大きすぎて、私の腕には合わないような気がしたけれど、
ベルトを時計の色に合わせてベビーピンクに替えたら、可愛らしくなった。
 これはこれで、面白い。

 
 寒くて澄んだ空の星に思いを馳せる。

 天体望遠鏡を持っているのに、箱に入れてしまったままになっている。
 防寒をして、ポットに熱いお茶を入れて、流星群を見に行くこともなくなった。
 また、天体観測をしてみようか。


 
 

 

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