見出し画像

『イーディ』の本


イーディ・セジウィックの本は、長い間、ずっと読みかけのままだ。
実は、途中で解説を読んで、満足してしまったのだった。
いつか、全部読めばいいかな・・・と思いながら、その日が来ない。

それを思い出したのは、昨日のかんじいさんの記事を読んだからである。
(かんじいさん、勝手に引用させていただきすみません。)


私は、本を購入する時、一番最初の一文を読んで、その次に解説にいってしまうことがある。
ついでに、紙の感じを見て、触って、ついでにインクの匂いを嗅いでしまう。
すごくおかしいのだけれど、それでだいたい相性がわかる。

イーディは、アンディ・ウォーホル率いる「ファクトリー」に出入りしていたモデルで、それで興味を持った。
どんな女の子だったのかを知りたくて読むつもりが、途中で投げ出してしまった。

トップモデルとしての煌びやかな生活から、ドラッグに溺れてしまうイーディ。
VOGUE誌の「ガール・オブ・ザ・イヤー」に選出されたのは、1965年だった。
それで、"60年代のヒロイン"という、副題がついている。

画像1


訳者を代表して、青山南さんが解説を書いている。
その中に、1987年2月22日に心臓発作で死んだウォーホルについての記載がある。
ウォーホルは、享年58歳だった。
雑誌「ニューヨーカー」の追悼記事の引用がある。
ウォーホルは、なぜ何十年間も超有名人として存在しえたのか?

「なにもかも黙認するというのが彼の姿勢だ。ポップ・アートの背後にあるのは”だれがなにをしてもいい”という考え方なのだ、とかれは言ったことがある。かれはそれをアートばかりか人生にも適用した。ウォーホルが六〇年代に多くの若者のヒーローになったのは、かれが徹底した反・親(アンチ・ペアレント)だったからである。なにをしたってOK、それで死ぬことになるとしてもOKだったのである。」
だれがなにをしてもいい、だれもがなにかをしなければならない、なにもしないということもなにかをすることのひとつになってしまう、そういう時代だった六〇年代という空気が、『イーディ』にはたちこめているし、読めば、きっとはっきり触知できるだろう。


そして、フランス語版には、小説家ノーマン・メイラーが序文を寄せているという。

「・・・・・・『イーディ』はわたしが読んだなかで最高のオーラル・バイオグラフィである。一九六〇年代についての本のなかでも傑出していて、あの時代の熱病、超現実主義、熱気、紫色の夢、藤色の夜明けを捕まえている。六〇年代にわたしたちが抱いていた、黙示録が接近している、というあの気分をこの本は呼び戻している。しかし、この黙示録は、こちらがその気配に気がついたところで、どうにかできるものではなかった。何という時代だったのだ・・・・・・なんと情けなくも輝かしい栄光だったことか、クスリ漬けの頭でなんにも分かんなかったのだから。
・・・・・・それがいまこうして戻ってきたので、ふたたびながめることができる。イーディ・セジウィックは最高のモデルである。ギターの弦のように張りがあり、消えかけたLSDのようにはかない。わたしがF・スコット・フィッツジェラルドの小説の登場人物のような気分になったのは生涯で一度っきりだが、それはイーディとダンスを三回踊った一夜だ。イーディといると、ひとは自分が伝説的な時代のなかに生きているような気分になる。そういう気持ちにさせる力がイーディにはあった。そして、そういう人物は一冊の本にする価値がある。」

ここまで解説で読んでしまったので、そのままになっている。


イーディは、裕福な家に生まれながら孤独。
リムジンに乗って高級ホテルに暮らし、28歳で結婚した次の日に死んでしまう。
銀色のショートヘア。
美しく長い足の持ち主。

150余人の証言者が彼女と彼女の生きた時代を語っている本だ。
ウォーホル、メイラー、カポーティ、パティ・スミス、リキテンシュタイン、ジョン・ケージ、レオ・キャステリ、ギンズバーグ、ラウシェンバーグ・・・。

そして、イーディの過ごした日々は、『チャオ!マンハッタン』という映画にもなっている。

LSD、サイケデリック・・・そういう時代の話だ。
さて、今後読むのだろうか。




この記事が参加している募集

書くこと、描くことを続けていきたいと思います。