憧れのスター・石垣りんさんのこと ~不登校時代に考えたあれこれ~
いちばん好きな詩人は? と聞かれたら、迷いなく「石垣りん」と答えます。
詩は好きです。
でもプロの詩人や批評家のような深読みができるわけではありません。
難解な現代詩は、正直、理解不能なことが多いです。
でも、石垣さんの詩は、シンプル。
どんな人の心にも、まっすぐ響き渡る言葉。
シンプルでいながら必ず最後の一、二行目で、ハッと胸を衝く表現。
読んだらしばらくは脳裏に詩の言葉がこびりついて離れなくなる。
そんな言葉の名手が、石垣りんさんという人です。
高校に行かなくなって、不登校生活を送っていた16歳の梅雨。
ジメジメとした自室で、首筋にじっとり汗を感じながら、『石垣りん詩集』(ハルキ文庫・1998)をむさぼり読んでいました。
つかの間、孤独からのがれるために。
1920年生まれの石垣さんは、まだ女性が「家」に縛られ、家族を支えるために必死で働かざるを得なかった時代の人です。
石垣さんも、わずか14歳で銀行に就職しており、現代では考えられない苦労をされた人。
当時、不登校になり落ちこぼれてしまったと悩んでいた私には、石垣さんの強さがまぶしかったです。
彼女に比べ、自分は弱く、家族を支えるどころか重荷になっているという劣等感にさいなまれたこともあります。
その一方で、立派に勤めていた石垣さんにも葛藤があったことが作品からうかがえました。
『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』という詩集の作品群からは、古い時代に「女」として生きることを強いられる息苦しさが痛いほど伝わってきます。
中でも『三十の抄』という詩からは、三十歳を迎えた女性の葛藤、この人生で本当に良かったのかという苦悩が胸に迫るのです。
「齢三十とあれば くるしみも三十 悲しみも三十 しかもなおその甲斐なく 世に愚かなれば 心まずしければ 魂は身を焦がして 滅ぼさんばかりの三十。」
三十歳といえば現代ではまだまだ若く、輝いている時期にあたると思います。
でもこの詩からは、老成した一人の女性が、三十年という年月の重みに喘ぎながら身を削って生きている。
そんな情景が目に浮かび、胸を掴まれた思いでした。
こんなにも巧みな文章で、社会への思いを吐露できるなんて、この人は天才だ。
いつの間にか石垣さんは、私にとって憧れのスターになっていました。
石垣さんの作品に触れるうち、「諦めてはだめ」と、石垣さんから叱咤激励されていると思うようになります。
勝手な思い込みとはいえ、そう考えることで、実は色々な進路・選択肢があるのではないかと模索し始めることが出来たのです。
その後、不登校4か月目に、大学受験を目指して再び登校するようになりました。
ここまでの期間はとても長く苦しいものでしたが、どんなときでも『石垣りん詩集』を肌身離さず持ち歩くことで、試練を乗り越えていたように思います。
石垣さんの詩、もっと言えば石垣さんの生き方そのものが、お守りのような存在だったのでした。
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