水の惑星
あの小さな月が、地球の海を引っ張っているだなんて。そう宇宙の不思議に想像を巡らすことがある。
月まで、38万キロメートル。それが“近い”のか“遠い”のかどうかは分からないけれど、月と地球がそれほどの距離のなかで繋がりあっているということ。それは、この孤独な宇宙の小さな希望だと思う。
地球と月——つまり水の惑星とそれをまわる小さな衛星のことを考えていると、日本とフィンランドの距離などちっぽけに思えてくる。結局は、ひとつ青い球体の西と東でしかないのだから。
波に目を凝らす。
それは、あるいは、風である。
海の先を想像する。
そこには、きっと月がある。
水について考える。
それは、同時に宇宙についての話である。
ヘルシンキより、
バルト海へ。
波打ち際の水は、呼吸と似ている。吸い込んだ空気がすみやかに吐き出されるように、打ち寄せる波は留まることなく海へと帰ってゆく。
一度出会った波は、もうやって来ない。その度、その度に、波は姿かたちを変えてしまうから。
だけど出会う度に、波はきれいだとまた思う。
波の音は心地よいけれど、その音がどこでうまれているのかは分からない。波となった水の束は、役目を終えるとふたたび匿名性の中に溺れ消えてゆく。
どこからやってきて、どこへゆくのか。
どこへ、消えゆくのか。
頭に浮かぶ疑問符を打ち消すように、波がまたやってくる。飛沫をあげながら、海と陸の境界線を描き続けている。
水について考える時、いつも思い出す言葉がある。あまりに深く、儚く、うつくしい言葉だ。
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