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もしも好きに色があったら

小さい頃、海外で育ったせいか、私は「好きです」という言葉を言うことに対してあまり、というか、ほとんど抵抗がない。それは人に対してでも、モノに対してでも。日本では自分のことは言わずもがなだが、とかく身内のことに対しても、謙遜する文化があるのに対して、当時住んでいたカナダではこんな具合だ。

友達のホームパーティーに呼んでもらったときの出来事。お父さんとお母さんが手作りのお料理を作って温かく出迎えてくれて、楽しく食事を頂いたのだが、私の前でも何の躊躇もなく「お母さん、愛しているよ」「私もよ。」といった会話が繰り広げられたことを覚えている。うちの家では、こんなこと天と地がひっくり返ったとしても起きないため、当時は大変驚きながら、その出来事を母に話したことを覚えている。

カナダの小学校では、治安が危ないからという理由で、必ず保護者が学校まで送り迎えをすることになっていたのだが、お母さんが別れ際に自分の子供に対して”I Love you honey!”と言うのは当たり前であったし、授業を受けていても、学校の先生から、”Oh, I like your sweater!”などと褒めてもらえることはよくあり、いつしか私の中では、「好き」という言葉は、日常的に使われるものとなったいった。

日本に帰国すると、「好き」と率直に伝えるのは、告白をするときとか、恋愛のシチュエーション(それもかなり本気の場)でしか登場しないことに薄々と気付き始めた。
また、行間を読むという文化が存在していることもわかった。「よかったら、ごはんにでも行きませんか?」というのは「あなたのことが気になっているので、ゆっくりお話をしたいのですが、そのためにごはんにでも行きませんか?」という具合に。
そう、簡単に「好き」という言葉を出してしまうのは、何だかタブーなのだ。もし周りに、誰に対してでも気安く「好き」と言う人が現れれば、満場一致でチャラ男若しくはあざとい女と認定されてしまうようだ。

しかし困ったことに私は、相手が異性であろうが同性であろうが、好意があろうがなかろうが、その人の好きというところを見つけると、つい、「そういうところ好きです」とか、「その服とても好きです。」とか言いたくなるのである。もちろん、好きという言葉は「素敵です」とか「尊敬してます」とかそんな具合に置き換えられるのはわかってはいるのだが、私が伝えたいのは、「好き」という言葉が包含するニュアンスそのものなのだ。 

でも、それはなかなかわかってもらえず、周囲からは勘違いされることもしばしばあり、「随分と積極的だね」とか「肉食だね」と言われることも多く、そのたびに私はショックを受ける。私の中の「好き」という言葉は次第に封印されていったのだ。

ところで、以前に、あるアーティストがライブで、終わり掛けのあいさつの際にファンに対して「好きという言葉にもっと種類があればいいんですけどね。」と言っていて妙に共感してしまったことを覚えている。

なるほど、「好き」という言葉が一種類しかないから伝えるのに躊躇してしまうのか。
例えば、女性の友達同士だと、お誕生日のメッセージとかに「おめでとう、大好きだよ。」とか気軽に言えるけれども、それがもし、職場の親しい異性の上司に、「〇〇さんのそういうところ好きです」と伝えようものなら、何だか意味深なメッセージに変わってしまい、翌日から気まずくなるに違いないのだ。
でも考えてみれば、自分の両親、おじいちゃんおばあちゃん、友達、後輩、先輩、職場の人、近所の人など、挙げたらきりがないほど多くの人に囲まれて生きているのだから「好き」にもっと種類があればとても便利で、本当に伝えたい想いも、誤ることなく伝わるのではないかと思うのだ。

そこで、好きという言葉に色があったらどうだろうかと考えてみた。

恋愛感情や愛情を表す好きは赤色、友達に対する好きはオレンジ色、尊敬の気持ちを表す好きは緑色、男同士の熱い友情を表すときは青色という具合に。
そうすると以下のような会話が繰り広げられると想像する。

「貴女のことがとても好きです。最初見たときから笑顔が素敵だなと思っていて、その時は、なんていうか桜色くらいの気持ちだったのですが、気が付いたら苺色のような気持ちになっていました。」「え、本当ですか?うれしいです、実は私最初から苺色くらいに貴方のこと、好きでした。」
「いつも俺が悩んでる時に、手を差し伸べてくれてありがとな。」「こちらこそだよ、お前のこと好きだからさ、群青色くらいに。」

どうだろう、なんだか青春小説の一節みたいな表現になった気がするのは私だけだろうか。美しい四季のおかげで日本には色の表現もたくさん存在する。
それを日々実用的に使うことがない、というのもなんだか勿体ないと思うのだ。
また色は、グラデーションでも表現することができるので、想いの強さも伝えやすいと考える(濃くなるにつれて、想いの強さを表す。)。

この方法の主な利点としては、伝え手も受け手も「好き」という言葉の意味の伝達を、誤ることなくできるという点だ。益々多様性が進む現代において、同性愛というのも当たり前になってきていると思うのだが、赤色で好きを表現すれば、それが恋心であることが明確に伝わるのである。そして何より色で表現することで「好きさ」の度合いも、その人の好みやセンスで伝えることができ、自身の表現力も高まるに違いないのだ。

話は変わるが、コロナによる影響で昨年の自殺者の数はリーマンショック後以来11年ぶりに増えたという統計を目にした。
ニュースでも悲しい出来事を耳にする機会がいつにもまして多かったような気がする。
私も昨年、気付かないうちに溜まってしまったコロナ疲れで精神的に少しやられてしまい、それを仲の良い親友4人のグループにラインで伝えたことがあった。

「なんだか最近、何もかも嫌になってきたな。生きる気力があまりないというか。」
すると以下のような返信が返ってきた。
「その気持ちわかるよ、けど生きていたら良いことも沢山あるから、そんなこと言わないで。」「みんなで人生楽しもうよ。」

個別でこんなラインをくれた子もいた。
「とにかく、大好きだよって伝えたい。だからそういうこと言わないでね。あなたの存在が本当に大切です。」
涙が出るほど嬉しかった。その言葉に救われた。
その後、このグループでは、誰かが精神的に辛くなったり、落ち込んだりしたら、とりあえずこのグループに真っ先に連絡をして、お互い励まそうという風な決まりができた。

「好き」を色で表現をするというのは、半ば冗談半分ではあるが、「好き」という言葉を伝えることで、人を救うことができるのではないかと私は真剣に考える。

この出来事を通して、例え「好きを色で伝える」というアイディアが普及しなかったとしても(恐らくしない 笑)、この子簡単に人に好きっていうなんて、あざといなと思われても、大切な人には、満を持して「好き」という言葉を伝えていこうと思ったのだ。

余談だが、noteの「いいね!」ではなくて、「好き」というボタンをポチッとする機能、とても好きだ。

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