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出雲王国へ / 島根① 14/47
2022.06.09
こんにちは。
境港から『水木しげるの古代出雲』を手にして向かったのは
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出雲大社。
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出雲大社(杵築大社)
ここに来たいと思ったのはいつからだろう。神話や昔話にザワザワし、巨石に惹かれ、遮光器土偶の重さに懐かしさを覚え、日本人はどこから来たのだろう、って考えてる。
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物事は見えてるものが全てではなく、また見えている通りでもない、と思ってて。
正史は時の権力者、勝者側からの一方的な見方であり、そこには征服された側からの視点は存在しない。私は両サイドからみたいと思う。
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「国譲り」とソフトに書かれているが、そんな生易しいものではなかったというのは容易に想像できる。苦労して築き上げた出雲王国をヤマトに奪われた無念。
出雲族の霊威を恐れた朝廷が造営したのが出雲大社なのかと思ってしまう。恨まないでー立派な社を立てるからーという御霊信仰。
菅原道真、平将門、崇徳天皇は有名な日本三大怨霊ですね。
下り参道
そういった目でみると…
出雲大社の参道は「下り参道」。神様は高いところに祀られているので、通常参道は上り。
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ムスビの御神像
右側に「ムスビの御神像」が見えてきました。オオクニヌシの前に現れた幸魂・奇魂。
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銅鳥居
「銅鳥居」と呼ばれる四の鳥居。かつてスサノオが祀られていたことが記されています。
出雲大社の御祭神はオオクニヌシですが、鎌倉時代の一時期にスサノオに代わり、江戸時代初期にまたオオクニヌシに戻されたそうです。
スサノオから6代目がオオクニヌシ。
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拝殿
立派な大注連縄が現れます。
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出雲大社の注連縄は通常とは反対の逆巻き。一般的には、神様に向かって右方を上位にして綯うそうですが、出雲大社は逆。
内側にあるものを封印しているとか、黄泉の国であるとか、色々想像してしまいます。
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出雲大社の説明によると、逆巻の由来は以下の通り。
1.本殿内に祀られている客座五神の上位「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が左に御鎮座されている。
2.江戸時代の祭事の記録には、お供え物をする際の上位は左側、下位が右側とされている。
「二重亀甲に花剣菱」だと言われる出雲大社の神紋は、『出雲王国とヤマト政権』によれば、亀甲ではなく古代より出雲で祀られてきた「竜蛇神」を表す竜鱗紋だという。
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八足門
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美しい彫刻。通常の参拝はここまで。
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楼門
八足門の外から楼門を覗く。楼門とは下層に屋根のない二階造の門のこと。
古色蒼然とした荘厳な建物。
物凄い迫力、圧。グルグル渦巻く存在を感じた。
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宇豆柱(うづはしら)
ん?小豆色の丸が三つ。これは2000年に発掘された巨大宇豆柱の跡で、直径約1.35mもある巨木3本を束ねてひとつの柱にしたものを表しています。
太古は96m、鎌倉時代には48mの高さがあったと言われている出雲大社。
諸説ありますが、とにかく超高層建築であったことは確か。
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本殿
ウサちゃんが仰ぎ見ている本殿の後ろ姿。高床式倉庫がルーツだそう。裏からしかクリアに見えないのよね。
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文庫(ふみぐら)
「越屋根」という屋根の部分を高くした一階建ての建築物。なんて気品があるんでしょう!
書物を保管していたと思われますが、この造りは湿度や温度を一定に保つのに最適なんだそう。素晴らしい技術。
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真西の拝所
本殿の真西に拝所があります。
オオクニヌシの御神座は拝殿正面ではなく、西向きとなっています。なのでここが正面から向き合える場所なんです。
拝殿では横向きのオオクニヌシを拝むことになる…そして瑞垣と玉垣というダブルガード。怨霊は真っ直ぐにしか進めないから参道を曲げる、という説がよぎった。
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神楽殿
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出雲大社の象徴のような大注連縄。ここも通常とは反対の逆巻き。
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龍だし、蛇だし、とぐろよね。
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命主社(いのちぬしのやしろ)
出雲大社を出て東へ少し歩くと、出雲大社の摂社「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」があります。
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天地開闢の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られています。ひっそりと佇むお社に漂う空気は静謐。
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圧倒されたのは樹齢千年と言われる椋の巨木。
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根が盛り上がり畝る様に神気を感じる。
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稲佐の浜
海水が冷たくなる旧暦10月頃に、出雲地方の海岸に流れ着くというセグロウミヘビ。これを剥製にしてトグロの形に整え御神体にしたものが「竜蛇神」。
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稲佐の浜ではこの海蛇をお迎えする神迎祭が行われ、出雲の「神在月」は、もともとは「竜蛇神の現れる月」の意味であったといいます。
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このセグロウミヘビの六角形の鱗模様から生まれたのが、神紋「竜鱗紋」。
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『出雲王国とヤマト政権』
私はどこから来たのだろう。エジプト、シルクロード、ヒマラヤ、チベット〜惹かれる場所は辿ってきた道なんだろうか。
なーんて思いながら、たどり着いたのが『出雲王国とヤマト政権』。
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古代出雲王朝の東王家「富家」(向家)の子孫である富當雄(とみまさお)氏の息子である斎木雲州氏が、伝承されてきた古代史を世に広めようとして立ち上げたのが大元出版。
旧家で代々受け継がれてきた伝承は、圧力に捻じ曲げられていないため『記紀』など正史と呼ばれるものと異なる内容になっています。
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古代インドのドラビダ族に属していたクナ族が、ゴビ砂漠、バイカル湖をへてアムール川を上り樺太へ。そして北海道を通って津軽半島に上陸。その後南下した彼らが出雲族である、と。
津軽と出雲!繋がったね。思い出すのが松本清張の「砂の器」。出雲の斐伊川の中心地辺りにポツンと東北弁地帯が存在することに着目したミステリー。(記事「奇岩の仏ヶ浦 / 青森②」)
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様々な見方があり、様々な考え方があって面白い。色々読んで、自分が納得するものを楽しめばいい、と思う。
何はともあれ、これだけの建築を素晴らしい状態で保存し、守ってきた人々に敬服する。
本物ってきっとひっそりしてる。
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続く。
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