lulubabyhiroko

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最近の記事

バリ島でお待ちしています

2019年12月。 それはまだ世界的なコロナウィルス蔓延への危機も感じることなく飛行機に乗って海外へ行けてた頃。 私は、お友だちと2人でバリ島へ行った。 その旅が私のその後の人生を大きく変えることになるとは思ってもいなかった。 私はたった6日間の滞在期間に心を固めてしまったのだ。 「私は、ここに住むことにした」 何の迷いもなく、自分と自分の将来にそう宣言した。 旅から帰ってきて、会う人会う人に「私、バリ島に行くからね」と伝えると皆がびっくりして聞く。 「なんでなん? な

    • 泳ぐという癒やし

      「いやだ。 なんでプールに行かんとあかんの?」 これは土曜日の午後、私が毎週泣きながら両親に訴え続けた言葉だった。 3つ年の離れた姉は幼いときから喘息を患っていた。 そんなとき、母がどこかで喘息の子にはスイミングスクールが向いてるらしいと聞いてきた。 そんな経緯で私もセットで土曜日の昼一番にスイミングスクールへ通うことになったのだ。 年は5歳頃だったと思う。 今、振り返っても本当に私はスイミングスクールが大嫌いだった。 まず、塩素の臭いが無理だった。  床に落ちてるたくさ

      • 幸せは、必ずそこにある

        小さい頃から四葉のクローバーを見つけるのが特技だった。 クローバーが植わっている場所を見ると、しゃがみこみ、時を忘れていつまでも探すことができる。 以前、カリフォルニアの大きな公園で、モリモリ元気に植わっているクローバーの群があったので、張り切って何時間も探しこんでいたら、庭を監理していると思われる男性が心配そうに近づき「具合でも悪いのか?」と聞かれたことがあるくらいだ。 四つ葉のクローバー。 調べてみるとの発生確率は三葉のクローバー10,000本に対して1本という、なかな

        • 2ヶ月で28件占いを受け続けてみた

          面白いバイト募集記事を見つけてしまった。 電話占いを実際に受けて、その文字を文章にまとめて、さらに受けてみた感想を書き上げるのだ。 毎月10件の占いを受けては記事を10件納品する。 もちろん、占いにかかる占い費用や電話代金は支払われる。 電話占いとはどんな風にことが進むのか、簡単に説明しよう。 まずは、占いを希望する先生を選ぶ。 たくさんの在籍占い師の中から選ぶ作業がなかなかおもしろい。 この世にはこんなにたくさんの占術があるのか!!と心の底から驚いた。 四柱推命、霊感

        バリ島でお待ちしています

          痴漢はやめちょ!

          あなたが人生で一番大きな声を出したときはいつですか? 私の場合は忘れもしない17歳の夏の終りだ。  それは学校の帰り道、痴漢に遭遇したときに、である。 高校時代、私が所属していた硬式テニス部はかなりハードな体育会系クラブだった。 下級生は先輩からの指示にはいつだって大きな声で「ハイ!」と返事をするのは当然のこと、さらに部活中は先輩のボールの行方を全て目で追い、コート内に入ったら「ナイス・インです!!」と叫ばなければいけなかった。 少しでも声が小さいものなら先輩の機嫌はたちま

          痴漢はやめちょ!

          「慣れていないだけ」の魔法。 今は、書いて書いて書きまくるのだ。 

          ダメだ! 提出の時間まであと30分しかない!! 諦めたくない。 でも、到底間に合いそうにもない!! 私の肩にはぎゅっと力が入り、じんわり汗がにじみ出る。 そんな日々がここ最近続いている。 ライターになると決めたのは今年に入ってすぐの事。 ここ、17年間、私はフォトグラファーをしているが、コロナが落ち着いた折にはバリ島で暮らすことを真剣に考えている。 就労ビザを持っていないので私はバリ島で写真の仕事はできない。 さあ、どうやって生活をしていこう。 コロナが無ければ、日本

          「慣れていないだけ」の魔法。 今は、書いて書いて書きまくるのだ。 

          私の名前はハルナ。 生きてます。

          自己紹介をします。 私の名前はハルナって言います。 写真は今の家族、ヒロコママが初めて撮ってくれた私。 (かわいいでしょ!?) 保護された今のお家では最初、「テト」って名前でいきなり呼ばれたけどその名前、好きじゃなかったの。 だってね、一番最初に私をあの真っ暗な生活から救い出してくれたヤマダさんのご主人が私を見て「君は群馬県民に愛されている榛名(はるな)山みたいに多くの人に愛される様に榛名って名前にしよう」って付けてくれたんだもの。 だから、新しいお家のヒロコママとその息

          私の名前はハルナ。 生きてます。

          写真と共に子育てを

          【2017年4月に私が書いたブログから】 ******* 「早くしなさい」と言わなくていい休日の朝。 好きなだけアイロンしてもらっています。霧吹きしゅっしゅ。 丁寧に丁寧に。 給食で使うナフキン、ハンカチなど次々と片付けていってくれてます。 火傷に注意してちゃんとやってくれてます。 さあ、これが終わったら公園だぞ〜〜。 ******* なんてことない普段の日記的内容。 過去の今頃、どんな感じだったかなとふと思い古いブログを見返して出会った5年前の息子。 寝起きぐしゃぐしゃ

          写真と共に子育てを

          お腹の中の赤ちゃんが自分の名前を決めたので。

          お腹の中の赤ちゃんはその時、私の夢の中で言った。 「なに言ってるの、僕の名前は【てん】だよ」と。 それは出産がいよいよ近くなった12年前のちょうど今頃のこと。 4月に生まれてくるお腹の赤ちゃんの名前がどうしても決まらない。 はると・ゆうた・げんき・とら・ゆうき・・・・思いつく度にメモを取ってリストにしていたがどれもしっくり来ない。 人生の大切な決め事はだいたい直感で降りてくる。 いつだってそんな風に生きてきた私は、悩むということはきっと赤ちゃんの名前はこのリストの中に無い

          お腹の中の赤ちゃんが自分の名前を決めたので。

          高度1万メートルで出会った理想の女性

          「高度1万メートルで出会った理想の女性 記事:石川ひろこ(ライティング・ゼミ2月コース)   「お客様、失礼いたします。 他の座席からの移動をご希望されている方がいらっしゃいます。 お隣の席へご案内してもよろしいでしょうか?」 ハワイから日本へ戻る飛行機の中でフライトアテンダントから声をかけられた。 申し訳無さそうに言われたのだが私の隣の席は空いていた。 当然断る理由も無く、「もちろんです。 どうぞ」と答えた。 機内の前方から赤ちゃんが泣く声が聞こえていた。 「は

          高度1万メートルで出会った理想の女性

          死を覚悟した柿喰い娘の話

          柿を拾って一口、口に入れてしまった。 あまりにも喉が乾き、お腹が減っていた。  これは高校1年のうら若き女学生が空腹と欲望に負けて道路に落ちていた柿を拾って食べた話。 自転車で30分程の公立高校に通っていた私。 クラブは硬式女子テニス部。 ガチガチの体育会系だった。 朝練から始まり放課後は毎日の筋トレ、走り込み、ボール拾い、素振り。 あまりに先輩が厳しかったので高校入学してすぐに入部した頃は20人以上いた1年生部員はあっという間に3人になってしまった。 2年と3年の先輩は

          死を覚悟した柿喰い娘の話

          7歳の少女の"ねがいごと”

          ねがいごと。 かみさま、せかいが いっしょう しあわせに、 せんそうが、おこりませんように。 ほうしゃのうがあたりませんように。 べんきょうが わかりますように。 こうつうじこに あいませんように。 ともだちが いーっぱいできますように。 私には捨てることができない小さい紙切れがある。 ボロボロになり黄ばみもすごい。 そしてその折れ目は今にもバラバラになってしまいそうに裂けている。 それは、7歳の私が一生懸命にひらがなで書いた「ねがいごと」の紙。 小学校に入り、7月にもな

          7歳の少女の"ねがいごと”

          ヒヤシンスとラジオでつながる友情

          この歳になったら真に心を分かち合う友達なんてできっこない」 そう思っていた私ですが、39歳になって大切なお友達ができたのです。   「くみこさん」に出会ったのはロンドンのリージェンツ・パークでした。 私はフォトグラファーをしていて、コロナ禍前は海外でも出張撮影をしていました。   6月、薔薇が咲き乱れる公園でくみこさんのご主人と当時2歳だった娘ちゃんの3人で撮影会に参加してくれたのです。 それはそれは見事な薔薇の中で優しく微笑むくみこさん。   「まあ。なんと美しい。絵

          ヒヤシンスとラジオでつながる友情