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7歳の少女の"ねがいごと”

ねがいごと。
かみさま、せかいが いっしょう しあわせに、
せんそうが、おこりませんように。
ほうしゃのうがあたりませんように。
べんきょうが わかりますように。
こうつうじこに あいませんように。
ともだちが いーっぱいできますように。


私には捨てることができない小さい紙切れがある。
ボロボロになり黄ばみもすごい。
そしてその折れ目は今にもバラバラになってしまいそうに裂けている。


それは、7歳の私が一生懸命にひらがなで書いた「ねがいごと」の紙。
小学校に入り、7月にもなると平和学級が始まる。

戦争についての授業である。

それまで「この世界は小さな嫌なことはあるけど、だいたい楽しい」と自分なりに世の中を想定していた。

それが学校の授業で「せんそう」「げんしばくだん」という言葉を習い、そして実際に戦争を体験したおじいちゃん・おばあちゃんが体験談を語りに学校に来たりした。

話をするおじいちゃん・おばあちゃんは皆、最後に「この記憶を忘れないようにして欲しい。 未来 に同じ事が起きないように語り継いでいかないといけない」と顔から汗や涙をたくさん出してそう語っていた。


私は、戦争でどんな事が実際に起きたのか知りたくなり図書室でヒロシマの本や漫画を手に取った。
そこに描かれていたのはそれまで私が生きてきた平和な生活からかけ離れた何とも信じがたい情景だった。

今から思えば、あの時期の私はとてもふさぎ込んでいた。

学校でも家でも、とにかく不安で仕方がなかったのだ。


「戦争が起きたらどうなるの?」
と小さな体でうんと考えた。
本気で悩んだ。

戦争で家族がバラバラになってしまった人のことを考え、もし自分のお父さんが戦争に行ってしまったら………。 なんて考えるだけで涙が出た。


平和学級後の休み時間に友達と冗談を言って笑い合うとか到底無理だった。
「なんでみんな戦争がこわくないの?? あの授業を聞いた後でなんでそんな風に笑ってられるの?」と心の中で叫んでいた。


ある日、自分の父親に「戦争が起きたらどうしよう。 私達、死ぬの?」と聞いてみた。
能天気な父は「そうやな〜。 今、原爆が落ちたらヒロシマに落ちたのよりずっと強力なやつやろうから皆一緒に一瞬で死ねるんちゃうか〜。 だから自分だけ残されたらどうしようとか心配せんかったらいいねん」と答えた。

なんでそんな事を言えるのが全く理解できなかった。


夏休みに入っても心は晴れない。
「くうしゅう」「ぼうくうごう」「びーにじゅうく」「ぼうくうずきん」等、戦争に関する本からの恐ろしいワードでどんどん頭がいっぱいになっていた。
甲子園開幕のサイレン音が空襲警報と似ていると思い始める始末。



「わたしには、なにも、できない」



小さいながらにそう強く思ったのを覚えている。
でも、誰かがどこかで言ってたんだ。


「一人一人が平和を心から願えばいいんだ」って。
そんなことを思い出し、きっと願い事を書き留めたんだろう。

ノートの端に「ねがいごと」を書き、小さく折りたたんだ。
そしていつも肌身離さず持てるようにと自分で巾着袋を作った。
7歳の子が針と布の切れ端を持って何時間くらいかけて作ったのかなあと今振り返ってみる。

私にはそれしかできなかったから。
夏休みに必死で作ったんだろう。

その後、袋はあまりに汚れてしまったのでどこかのタイミングで処分したのか今は、もうない。

頼りないこの紙切れ一枚が存在している。


私はどちらかと言うと思い切りよく物を処分するタイプである。
また、人がびっくりするくらい物を紛失する。
あちこちに物を落としてくるタイプの人間である。

でも、何故かこの小さな紙だけは私の元から無くならなかった。
どこかに意識して片付けている訳でもないのに、いつも目の届くところに存在している。


時々そっとこの紙を手に取り、紙が裂けてしまわないように優しく開いて読み返す。
そして世の中の事が怖くて仕方がなかった過去の自分に語りかける。

「勉強は苦手な教科もあったけど、なんとか頑張れたよ。 国語と英語が得意になったんだよ」
「大きな交通事故にも合わなかったよ」
「友達もね、い〜〜っぱいできたよ」
「日本で戦争は起きていないよ」

「でもね、でもね………。 世界からまだ戦争はなくなっていなくて」


神様と祀られている存在には全て平和を祈ってきた。
神社、仏閣、教会。 行く機会があればいつだって平和を祈っている。

でもね、私が大人になってもね、まだ無くせてないんだよ。 戦争を。


私は、喧嘩が嫌いな43歳の大人になったよ。
平和な顔で笑う家族を写真に撮る仕事をしているよ。
活動家にはならなかったけど、一人一人が幸せな瞬間を写真に残して未来に繋げる平和な仕事だよ。


今にも破れてしまいそうな頼りない紙切れをじっと見つめて、「ごめんね」と「ありがとう」を言いたい気持ちとが入り交じる。


今も、戦争を無くせてなくて、「ごめんね」。
でも、戦争を我が事として捉え、悩み、真剣に考えてくれたこと、平和を一番の願い事に書いてくれたこと、誇りに思うよ。

本当に、「ありがとう」。


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