泳ぐという癒やし
「いやだ。 なんでプールに行かんとあかんの?」
これは土曜日の午後、私が毎週泣きながら両親に訴え続けた言葉だった。
3つ年の離れた姉は幼いときから喘息を患っていた。
そんなとき、母がどこかで喘息の子にはスイミングスクールが向いてるらしいと聞いてきた。
そんな経緯で私もセットで土曜日の昼一番にスイミングスクールへ通うことになったのだ。
年は5歳頃だったと思う。
今、振り返っても本当に私はスイミングスクールが大嫌いだった。
まず、塩素の臭いが無理だった。
床に落ちてるたくさんの髪の毛も気持ちが悪くて、つま先歩きでしかいれなかった。
あとは、水泳前に準備運動をするためにマットが敷かれた部屋があるのだが、そこがまた苦手だった。
元気いっぱいの子どもたちが、若いコーチの先生にからみつく。
弾けるような明るい雰囲気とは裏腹に、暗い自分の顔が鏡に映っている。
体操を終え、プールに入るとなかなかの厳しめレッスンが始まる。
小さい子が泳ぐレーンには足が着くように台が置いてあるのだが「はい、じゃあ、10m泳ぐから台は取るよ。 途中で足ついたら溺れるからね」と先生は言う。
周りの子たちは「きゃ〜〜。 怖い〜〜」と言いつつも、アトラクションを楽しむかのようにどこか楽しげに見える。
もちろん先生たちはプロなので安全にレッスンを進めていたのだろうが、私には毎回命がけだった。
プールのレッスンが終わる度に、車の中で泣きながら「今日でやめたい」とお願いしていた。
それでも結局1年半ほど続けて、なんとかやめさせてもらえた時は、本当に嬉しかった。
その強烈なまでの喜びを40年近く経った今でも覚えていることからよっぽどスイミングスクールに通うことが辛かったんだと思う。
時は変わって43歳の今。
私は、あの、泣きながら通っていたスイミングスクールの門戸を叩くことになった。
お友だちから水着をもらったのがきっかけだった。
将来、バリ島で暮らしたい私に「バリに行ったらこれ、着てね」ととてもきれいな水着をもらった。
毎日その水着を眺めていたら、ふと、「泳ぎたい。 私」という気持ちがムクムクと沸き上がってきた。
誰かに習うのではなく、自由に泳ぎたい。
そんな気持ちで日々胸がいっぱいになっていく。
スイミングスクールという場所が苦手すぎて辞めることになったが、幸い、泳ぐことは嫌いにはならなかった。
小学校1年のときから現在も大親友の友人のおかげだ。
彼女はとても泳ぐのが上手で夏になるとプールや海に行っては、一緒に泳いだ。
一度「泳ぎたい」と思い出したらもう止められない。
私は、入会金を握りしめて、昔通ったスイミングスクールへ行くことになった。
数年前に建て替えられたその場所はもはや幼い私が知っている場所とは別物だった。
床は拭き上げられてとても清潔だ。
きれいなシャワーはもちろん採暖室といって体を温める部屋まである。
「なんだ。 最高やんか!」そう思い、私はご機嫌で水中に入った。
水に入って一本目。
まずは潜水で泳ぐ。
底ギリギリをバタ足だけで泳ぎ切る。
昔は25m息継ぎ無しで余裕に行けたのに、半分を過ぎた辺りで息が苦しくなる。
でも、我慢して、泳ぐ。
苦しい。 でも、もう少し、あと少し。 前方に壁が見えた。
あと5mの所で、ぶはっ!! と水面から顔を飛び出した。
窒息するかと思うくらい息を我慢したのはいつぶりだろう。
あんなに足をバタバタさせたのはいつぶりだろう。
そんなことより、一番強く感じたのは「あんなに、頭が真っ白になったのはいつぶりだろう」ということ。
その時、「ああ、私にはこれが必要だったのだ」と腑に落ちた。
日々、日常でいろんな考えが止めどなく立ち上がる。
家事や仕事、プライベートのこと。
一度考えが立ち上がり始めたらずっといろんなことを連鎖で考えていく。
それはそれで必要なことだし、悪いことではない。
でも、潜水をして泳いでいたとき、私の頭は完全に真っ白だったのだ。
そして、水中に潜ることによって心地よい水圧が脳にかかっているのもとんでもなく気持ちがよかった。
これは……間違いなく「癒やし」である。
そう思った。
気がついたら25mを8本ほど泳いでいた。
肩は激しく上下し、もはや体力の限界だったが、得も言われぬ爽快感だった。
今、取り憑かれたように「水中に入りたい」といつも思っている。
特に潜水がしたいのだ。
頭に圧をかけ、息とともにぐるぐる回る思考を強制的に止めてひたすら前にだけ進む。
あの時間を持ちたいと強く思う。
こうしてあんなに苦手だったスイミングスクールが、今では究極の癒やしの場所となった。
時々、スイミングスクールの入り口で「行きたくない」といってしゃがんで泣いてる子と自分の姿が重なる。
思わず笑顔になってしまう。
「めっちゃわかるよ、その気持ち。 でも、泳ぐこと、好きになれたら癒やされるよ」と心の中で語りかける。
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