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「素晴らしき新世界」と「Her」

昨日AIと孤独、人生の幸福について、講演を聞いた。
そこで紹介されてた小説を読んだ。

「素晴らしき新世界」は、遺伝子操作と心理的条件付けによって管理された未来社会を描くディストピア小説。個人の自由や感情が抑圧され、階級社会が固定された中で、人間性の喪失と矛盾を浮き彫りにする。

物語は西暦2540年(AF 632年)の未来社会を舞台にし、人々は遺伝子操作と社会的条件付けによって厳格に管理され、個人の自由や感情が抑制されている。

社会はアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、エプシロンの五つの階級に分かれる。アルファとベータは知識労働者、他の階級は肉体労働者として役割を果たす。人々は試験管ベビーとして生まれ、幼少期から社会的役割に満足するよう教育される。

バーナード:アルファ階級の心理学者。社会の現状に疑問を持ち、個人の自由を求める。
レニーナ:ベータ階級の女性。社会の規範に従順だが、バーナードに興味を持つ。
ジョン(野蛮人):野蛮人居留地で育った青年。伝統的な価値観を持ち、文明社会に批判的。

バーナードとレニーナは野蛮人居留地を訪れ、ジョンとその母リンダに出会う。ジョンは文明社会に連れて来られ、その非人間性に失望する。ジョンの存在により、社会の矛盾が浮き彫りにされ、彼とバーナード、レニーナとの関係を通じて、個人の自由と社会の安定の対立が描かれる。最終的に、ジョンは孤独と絶望に苛まれ、社会に適応できずに悲劇的な結末を迎える。

物語の中では、政府が「ソーマ」という薬物を使い、偽りの幸福感を与えている。これは一時的な現実逃避であり、真の幸福や充実感が得られない。その一方で、純粋に苦痛はただただ、取り除くべきであるとも考える。
病気の方と接すると、この人たちはなぜ病気で毎日辛い思いをしなければならないのか、痛みや悲しみがなくなればいいのに、といつも思う。この人の痛みや辛さを経験する意味があるのかなど。

また、社会的階層と不平等についても厳格なカースト制に基づき、遺伝子的に決定された階級により固定された社会的役割が描かれている。
深い人間関係や感情的なつながりが希薄であり、恋愛や家族関係が否定されている。一方でカジュアルな性的関係が奨励され、孤独や疎外感が生じている。

社会階層を超えて誰かと繋がることはすごく楽しい。階級間の移動がなくなったら、変化も起きず、自分とは違う価値観に触れることもなくなる。視野が狭くなり、他の人のことを理解する機会がないから、より無関心になり、社会にいるはずなのにいない人がすごく増えてしまう。人を人間として見たい。属性じゃなくて。

人間は社会的な存在であり、深い関係やつながりを求める本能があると思う。これらの関係を築くことで、充実感を味わうことができる。
確かに、深い愛情が時には深い憎しみに変わることがあるけど、それでも深い愛情や友情を持つことの価値は高い。人生の充実感や意味を提供してくれる。

いろいろ面倒くさいことを敢えて営むことが、やはり人生の充実感や意味を提供し、個人の成長を促進するために必要だと思う。

「いろいろあったけど、これからも」みたいな。

そうはいっても、こういう社会では、AIが孤独を癒してくれるかもしれない。

技術が人間の自由や感情にどのように影響を与えるかを描いている作品として、「Her」がある。

「素晴らしき新世界」は遺伝子操作と条件付けによる社会管理のディストピアを、「Her」はAIとの関係を通じた現代の孤独と自己理解を探求している
この対比を通じて、技術の進化がもたらす利便性とその裏に潜む人間性の喪失についても考えることができる。

映画「Her」は、近未来を舞台にAIとの恋愛を描いた2013年のSFロマンス作品。監督はスパイク・ジョーンズ。AI技術の進化やその社会的・感情的影響を深く考えさせる内容となっており、現実味を帯びたテーマを扱っている。

主人公セオドアが高度なAIオペレーティングシステムであるサマンサと恋に落ちる物語。サマンサは人間のように対話し、感情を理解し、進化する能力を持つ。現代でも音声アシスタントやチャットボットが急速に進化しており、人間とのインタラクションがますます自然で感情的になっている。

映画は、現代社会における技術依存と孤独感の問題を描写している。ソーシャルメディアの普及により、人々のコミュニケーションが変化して、物理的なつながりが希薄になる現実が反映されている。
技術がもたらす利便性と、その裏に潜む人間関係の希薄化が問題視される。

「素晴らしき新世界」では、遺伝子操作や心理的条件付けによって社会全体が管理されていて、人々の自由意志や感情は制限され、個人のアイデンティティや創造性が抑圧されている。
技術の進歩とその影響は、人間の本質や自由に対する深刻な侵害を示している。
ともすると、パーソナライズされたアルゴリズムによって、自由に選んでいるはずのものは、すべて「買わされている」感じもある。

技術がどれほど進化しても、人間の感情や関係性には限界がある。AIや遺伝子操作がもたらす利便性と、その裏に潜む人間らしさの喪失が描かれているんじゃなかろうか。
両作品ともに、技術が人間の孤独を和らげる一方で、自己理解や深い人間関係の重要性を強調している。技術に頼りすぎるんじゃなくて、自己理解や人間関係の構築を通じて真の幸福を追求する必要がある。
技術とのインタラクションを通じて成長し、変化することの重要性が描かれている。人間と技術の相互作用を通じて、AIがこっちに問いを投げかけてくる。
あなたは何ができる?

精神科医 V.E.フランクルが言ったように、もう人生に絶望するのをやめて、「むしろ人生が何をわれわれから期待しているか」

幸せは追加するものではなく見つけるものだし、AIと一緒に生きながらも、自分の自由意志を常に問いながら、毎日生きていきたい。

そして、さっき買ったのは、自由意志によるデンタルフロスと掃除機の紙パック。

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