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ギリギリの異文化に浸る

これまで沢山の国を訪れてきたが、一番印象に残っている国はマレーシアだ。

「なんでだろうな」と自分で考えてみた時に一番しっくりきたのは 、“非日常性” を経験することができたからだと思う。

マレーシアでは「ジャングルで原住民と一緒に生活をする」という経験をした。なぜそんなことをしたのか、という話は長くなるので今後機会があれば書こうと思う。

ここでジャングルの経験を少し共有しておこうと思う。

湿ったジャングルの道なき道を「長老」と言われる三人組の老婆等と歩いた。彼女等の身長はかなり小さく140cmくらい。近代化の影響か、それぞれアナと雪の女王・美女と野獣・ラプンツェルのTシャツを着ていたので、ひっそりと彼女等のことをエルサ・ベル・ラプンツェルと呼んでいた。

地面には折れた木や枝が刺々しく生えていたが、エルサ等は裸足でスタスタと進んでいく。最初のうちはNIKEの靴が汚れることが嫌でたまらなかったが、そんなことを思っていると彼女等が視線から消えてしまうので追いつこうと必死に足を前に進めた。

3時間ほど歩くと、リーダーのエルサが立ち止まり突然腰を降ろした。そうすると、ベルとラプンツェルは、自分達の身長ほどあるナタを取り出し、おもむろに周りの木々を切り倒し始めた。どうやら今夜はここで寝るらしい。

私もナタを使わせてもらった。エルサ等は簡単に竹の木を切り落としているのに、私は何度切っても全く切れなかった。その姿をみて彼女等は初めて笑顔を見せた。「これはコミュニケーションのチャンスだ」と思って、大袈裟に手が痛いふりを見せると今日一番の笑いが起こった。

英語と中国語が話せると、基本的にどんな国に行ってもコミュニケーションを取ることができる。なので、ここまでボディーランゲージ全開で他人とコミュニケーションを取ったのは初めての経験だったかもしれない。英語を教えているとどうしても言葉ばかりを洗練させることに気がいくが、そんなことはしょうもないファクターの一因でしかないのだ、と彼女等の笑顔をみて思った。

これまで無言だったのが嘘だと思えるくらい、その後はエルサ等から話しかけてくれた。話す内容はどこの国も大体同じだ。(この時は通訳の人が訳してくれた)

「これ知ってるか?」
「うちの村にいい嫁がいるよ」
「この子(ベル)があんたのことカッコいいってさ」

質問に対して1.5倍増のリアクションで返すと、どれも大笑いだ。

夜は彼女等は地面で、私は通訳の人からもらったハンモックで寝ることになった。「ハンモックで寝るなんて最高!(地面で寝たくない)」と思っていたが、横になってから30分で腰がバキバキになった。G-SHOCKをみると時間はまだ8時30分。失敗した。めちゃくちゃ疲れていたが全然眠れそうにない。

そんな後悔を抱いていた時に、突然ベルが「オーオー」と遠吠えを始めた。通訳の人に聞いてみると「雨を呼んでる」らしい。

「寝る前に雨なんて呼ぶなよ!」と本気で思った。その10分後、今までにないくらいのスコールに襲われた。おかげで服もハンモックもびしょびしょ。好意を持ってくれていたから気を許していたが、これはないよ、ベル。

結局その日はみんなで地面で寝ることになった。

書いているとマレーシアの話は後が尽きないので、ここらへんにしておく。こんな経験をしたからか、マレーシアの記憶が一番強く残っているというわけだ。

ヒトは自分という文化の主人公

ヒトは自分という点を中心に、それぞれ独自の文化を築いている。その周りは、同じ文化圏の他人という異文化に包まれていて、その円が大きくなるほど外国の異文化のレイヤーになっていく。自分独自の文化と性質が異なりすぎる場合、その文化は円の外にあり受容することができない。

そう考えると、マレーシアでの体験は、ちょうど自分が受容できるギリギリの異文化だったのだなぁと思う。

ギリギリの異文化を経験した後、ヒトは自分の中の文化が拡張される。そうなると今まで「ありえない!」と思っていたことが「まぁそういう考えもあるんじゃない?」と、自分とは異質の言動を受け入れることができるようになっていくのだと思う。これこそが、本当の意味でグローバルな人材を育てるということのポイントになるんだろうな、とこの経験を書いていると思えた。

リスニングも同じ構造なんだと思う

実はこの現象は、英語のリスニングでも同じなのでは、と思っている。

「アメリカ英語じゃないから全然分かりません」ということを、英語を指導していると聞くことが良くあるのだが、実はいまいちピンときていなかった。それは、私は海外との接点が多くて、自然と自分の中にある受容の円が大きかったのだと思う。

教科書などの音源を繰り返し聞いて対策するケースがある。しかし、実際のコミュニケーションをイメージすると、教科書などで使用されている音源はどれも「キレイすぎる」し「整理されすぎ」ている。TEDなどのスピーチも然り、キレイすぎる英語を聞いていることは、同じ文化圏の中にいるようなものだ。異文化に飛び込まないと、自分の幅は広がらない。

海外出身の友人で日本語が上手い人は、ほぼ100%アニメや漫画を切り口に言語を習得している。アニメや漫画で使われている表現の方が、日本の文化をより反映しているし、よりリアルだ。誰も国立大学の教授のスピーチを元に勉強した人はいない。

異文化ギリギリの体験が、ヒトの文化をより客観に引き上げてくれる。これはつまり、視座が高くなりより広い情報を受け入れることができるようになることだと思う。

リスニングも同じで、理解できるかできないかギリギリのラインの音声をインプットすることが、聴き取りの幅を広げて理解度を伸ばしてくれる。そんな情報は論文で読んだことないので非公式だけれども、私はそう思うのです。

体験を共有していたら、いつのまにかリスニングの話。リスニングで伸び悩んでいる人は、一度試してみて感想を聞かせてくれると嬉しいです。

ではまた。


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