”好き嫌い”への挑戦
僕には好き嫌いがなかった。
周りから見たらそれはそれは真面目な良い子だっただろう。
昔からこれといって嫌いなものはなかった。
小さい頃から嫌いな食べ物はなくてなんでも残さず食べたし、嫌いな人もいなかったから老若男女誰とでも仲良くできた。
でも、好きなものもなかった。
「好きっ!!!」「嫌いっ!!!」
のような、みんなが持っていたであろう
心の底から溢れ出してくる感情的な”なにか”は、僕の心からは何一つ湧き上がってこなかった。
「好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?」
「好きな音楽のジャンルは?嫌いな音楽のジャンルは?」
「好きな女優は?」
「好きな友達は?嫌いな友達は?」
「どんな人がタイプ?」
何一つ自信をもって答えられなかった。
おそらくみんなが好きだろう、皆が納得するだろう、という当たり障りないものをつらつらと答えていた。
今思うと好きや嫌いという概念をよく理解できていなかったのだと思う。
それに気づいたのは20歳ぐらいだったと思う。
僕は一人暮らしをするようになった。
地元で一人暮らしをしているやつはなかなか珍しいらしくて、騒げる場所として、友人たちの溜まり場になっていた。
昔から嫌いな人がいなかった僕は割と多くの友人たちがいた。
それ故に、家にはそれはそれは様々な人が集まってきた。
保育園からの幼馴染。
中学の同級生。
高校のクラスメイト。
部活の同級生・後輩先輩。
職場の同期・先輩。
友達がナンパした女の人たち。etc...
平均したら週に3日くらい来ていたと思う。
最初は嬉しかったし、楽しかった。友達が多いっていいことだなって思ってた。
だけど、それは回を重ねるごとにだんだんと苦痛に変わってきた。
仕事の疲れもあるけど、なぜか心が疲れる。話したくなくなる。帰ってほしくなる。
僕は悩んだ。
「こんな奴じゃなかっただろ…。最低な奴だな俺…。」
でも、そこで初めて気が付くことができた。
「あ、これがいわゆる ”好き嫌い” ってやつなのか。」
一緒にいて楽な人が”好き”な人で、苦痛になる人が”嫌い”な人。
(個人的に”嫌いな人”って言い方が嫌いだから、”苦手な人”と解釈するようにしてる)
みんなが話していた、あらゆるものに対する好き嫌いの話に心から共感できた瞬間だった。
それをきっかけに、僕は自分の好きなものと嫌いなもの(苦手なもの)をできるだけ言語化するようになった。
最初は好き嫌いを伝えることに周囲の反応や恥じらいみたいなものもあったけど、一つ一つ言語化して伝えることで、心がどんどん軽くなって、心の底からワクワク・ドキドキが溢れ出し始めた。
「ああ、好き嫌いが多いのも悪くないな。」
今なら昔された数々の質問に堂々と答えられる。
「好きな食べ物は漬物。嫌いな食べ物は唐辛子系が使われるすべてのもの」
「好きな音楽はカントリーソング。嫌いな音楽はEDM。」
「好きな女優は”福原遥”さん。」
「好きな友達はあいつとあいつ。合わない友達は、、、」
「一緒にいると色んな発見ができる人。お互いに高めあえる人。」
好き嫌いは多ければ多いほどいいと思う。
好きなものが増えれば人生が豊かになるし、嫌いものをたくさん知っておけば自分を苦しめるものから予め回避できる。
今日も明日も明後日も、好きなものと嫌いなものを増やしていくために色んなことに挑戦していこう。
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