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不倫の慰謝料を請求されたら-6(「正義」がなんぼのもんじゃい)

【 自己紹介 】

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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。

僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。

ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。

あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。

ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:不倫の慰謝料を請求されたら 】

今日も引き続き、不倫の慰謝料を請求されたケースについてお話していきます。

さて、昨日は、「バレた」というLINEが入ったところから話を始めました。

「バレた」というLINEが入っても、それを鵜呑みにしちゃいけない、ということを説明しました。

というのも、不倫を理由に慰謝料を請求する場合、一般的に、立証のハードルが高いからです。

不倫=セックスですが、セックスの当事者でない第三者が、その2人がセックスしたことを証明するなんて、素朴に考えて難しそうですよね?

その素朴な感覚は、裁判でも同じです。

2人で食事に行ったとか、2人きりで歩いていたとか、そういう親密な関係があったとしても、だからといって、必ずしもセックスまでするとは限りません。

セックスまで至るには、大きなハードルがあることは、人類共通の認識です。

特に女性側にとって、セックスは妊娠のリスクがありますから、本能的に、セックスする男性を選り好みしています。

妊娠のリスクがあるセックスという行為を許す相手をきちんと吟味するのは、女性の本能なのです。

だからこそ、親密な関係があるからといって、セックスしているとは限りません。

でも、不貞を理由に慰謝料を請求したいのであれば、セックスを立証しなきゃいけません。

ここが、不貞慰謝料請求のキモです。「セックスを立証するハードルが高い」という、構造的な難問が、不貞慰謝料請求には含まれています。

だから、不貞慰謝料を請求された場合は、とにかく、ここを意識して対応します。

「基本的にセックスを立証することは難しい」、ということであれば、

・どんな証拠を手に入れているのか探りを入れる

・自分から証拠を差し出すようなことがあってはならない

という2つの手法が、自然と導かれます。

なんか、こういった手法は、汚いようにも思えます。

今回の設定では、僕は、結婚していることを知りながら彼女とセックスしたわけですから、法的に慰謝料を支払わなきゃいけないことは間違いありません。

ただ、もし、裁判で夫が立証に失敗すると、法的には慰謝料を支払わなきゃいけないにもかかわらず、僕の勝訴判決(夫の慰謝料請求を棄却する判決)が出て、慰謝料を支払わなくていいことが裁判で確定します。

これは、裁判の仕組みにかこつけて、本来支払うべきなのにもかかわらず、慰謝料支払義務を免れていて、不当であるような感じもします。

たぶん、ここが「汚い」と感じる点なんだと思います。弁護士に対する悪いイメージも、ここから来るんでしょう。

例えば、本当は人を殺したんだけれども、無罪であると主張する被告人を弁護するのは正義に反するとか、そういったことも、↑に書いたことと同じように、「汚い」とか「不当だ」とかというイメージにつながると思います。

ここは、なかなか難しい問題だと思いますが、僕は、本当は支払わなきゃいけないにもかかわらず、立証に失敗して、支払わなくていいことが裁判で確定したのなら、そっちを尊重しなきゃいけないと思います。

だって、ここが揺らいでしまうと、裁判制度そのものが崩壊してしまいます。

立証の失敗によって不利益を受ける、というのが、裁判制度を支える根本的な原理原則です。

立証できたかどうかではなく、真実かどうかで判断するというシステムもあり得るとは思いますが、

(というか、裁判官たちも、「立証できたかどうか」だけでなく、「真実はなにか」を探求する姿勢です。ただ、最後の砦として、立証できていない事実を認定することはしません。それが真実に反しているとしても、立証できていない事実を認定することは、今のシステムを根本的に揺るがします)

それだと、裁判官が「正義の番人」になります。

国家権力が、国家としての責任を持って、事実を探求し、真実にたどり着けるまで、調査を尽くす。

そういうシステムになるわけですが、まあ、「そっちがいいよね」という意見もあり得ると思います。

ただ、なんというか、ここには、「正義」に対する人間の傲慢な態度が現れていて、僕はキライです。

ここは好きキライだと思うので、どちらかを理論的・論理的に排斥できるシロモノではないと思います。

ただ、裁判官が「真実」に達して、「正義」を振りかざすなんて、傲慢極まりないとは思いませんか?

それだけでなく、弁護士は「正義に反しても」、犯罪者のために働くなんて「おかしい」、「不当」、とか思うのって、めちゃくちゃに傲慢じゃありませんか?

自分をどれだけの存在と思っているのでしょうか?

ユダヤ教徒やムスリムにとってのヤハウェだとも思っているのでしょうか?傲慢にもほどがあります。

たった数十年しか生きていない人間ふぜいが、さも全知全能の神のように、「正義」を振りかざすなんて、僕にとっては傲慢極まりない。

歴史を見れば、たった数十年しか生きていない人間ふぜいの傲慢さの例はキリがありません。

・ソクラテスを毒殺に追い込んだ古代ギリシアの市民

・フランス革命で王族たちをギロチンに追い込んだ民衆

・ユダヤ教徒の殺戮を礼賛したドイツ国民

現在の時点で、↑の例であげた市民たちを肯定する見解は存在しませんが、しかし、当時の感覚では、いずれも、人々は正義に駆られていました。

自分は、「正義」に則り、正しいことをしていると、心の底から信じていたのです。

そして、もう1つ追い打ちをかけると、「正義」って、何かというと、「気持ちいいこと」なのです。

というのも、僕ら人類(ホモサピエンス)は、コミュニティを形成して、そのコミュニティ全体の存続を図る形で、種を保存してきましたが、これを考えると、コミュニティの存続を害する人間は排除しなければならず、その際に「正義」が持ち出され、「正義」の名の下、メンバーを排除しました。

で、その「排除」を「気持ちいい」と思った種が生き残ってきたわけです。そのほうが、コミュニティの存続に都合がいいからです。

「正義」の名の下に、コミュニティのメンバーを排除することは、僕ら人類の本能に「気持ちいいこと」としてインプットされていて、気持ちいいからこそ「正義」なのです。

そういった、「快感」でしかない、「正義(という幻想)」が、なんぼのもんじゃい!と思うんです、僕は。

「気持ちいい」という快感に基づいて突き進んだ結果、↑に書いたようなグロテスクな結果に陥る可能性があるのが、「正義」なのです。

もちろん、「正義」なんていらないとは僕も思っていません。ただ、この程度でしかない「正義」に期待するのは、間違っていると僕は思います。

「正義」の意味は変わるし、「正義」の名の下に間違った結論に至った例は、歴史上枚挙にいとまがない。

ここから考えて、僕は、「正義」を振りかざすことの傲慢さに耐えられないのです。

だから、「正義」なんかを頭でっかちに考えるのではなく、謙虚にいたほうがいいと思っていて、「立証できなかったら仕方ないよね」という、今のやり方のほうが好きなんです。

その結果、真実とは違う結論に至ってしまったとしても、「正義」を振りかざすよりはマシだと思うのです。

こう考えると、弁護士って思想なんか無いほうがいいんだと思います。

どこかに「正義」があって、それを実現するというよりは、依頼者の意見を尊重し、持てるスキルを全て尽くして、利益を最大化する。

ここに、何かしらの「思想」や「理想」は介入してきません。

だいぶ脱線しましたが、今日はこの辺にします。

長々と書きましたが、要は、「真実とは違う結論が出たとしても、それはそれでアリ」という僕の考えを正当化するための言い訳をしたかっただけです。

失礼しました。

それではまた明日!・・・↓

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