仕事での評価や収入よりもはるかに上回る価値が僕にはある
【 自己紹介 】
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:生きる意味 】
仕事で評価されたり、良い収入を得たりするのって嬉しいですよね。
と書きましたが、僕はあんまり嬉しくありません。
仕事での人間関係や、収入に喜びを感じることはありません。
もうこれは、僕の性質なので変えられません。社会人として働き始めてもう6年目になりますが、仕事での人間関係や収入に喜びを感じたことはありません。
ただ、仕事が楽しくないかというと、そうではありません。
仕事について、いろいろ考えることは楽しいです。この「楽しさ」が仕事する理由・動機です。
「収入に喜びを感じない」といっても、じゃあ、収入が不要かというとそうではなくて、自分が楽しいと思っている作業が、金銭に換算できる価値を生み出しているのであれば、適切な報酬はもらいたいです。
だから、収入がほしくないなんて思いません。むしろ、価値を生み出しているのなら、きちんと報酬をいただくべきだと考えています。
(だから、お金をもらう側ではなく、お金を払う側の場合、商品やサービスの価値に納得していれば、僕は金払い良いです。価値に納得できない場合は、めちゃくちゃケチります。)
こんなふうに、仕事って、所詮「楽しい」ものでしかありません。そして、常に楽しいわけでもありませんし、しんどいこともあります。
仕事しても、僕は最高で「楽しい」しか味わえないので、仕事に対して必要以上に注力せず、人生の「喜び」を優先するべきと考えています。
自分の「喜び」よりも、仕事を優先するのは、完全に間違いです。
で、僕にとっての「喜び」とは、まずは、健康な身体です。
十分に休養の時間を確保し、8時間以上の睡眠をとる。そして、バランスの良い食事をとる。
これが、僕にとっての「喜び」です。それ自体が「喜び」でもありますし、喜びを味わう前提といってもいいでしょう。
健康な身体がなければ、それだけで「不幸せ」なので、喜びは味わえません。
したがって、仕事を優先して、休養の時間を削るのは、自分の幸せを削っていることになります。(それだけはアカン!)
最近、残業続きで、休養の時間が削られていますが、なんとか、健康は維持できているので、思った以上に体力があるのかもしれないと思うようにはなりましたが、しかし、疲労の蓄積は感じます。
だから、きちんと休養の時間を確保しなきゃダメです。これが続けば、そのうち潰れます(=うつ病へ逆戻りします)。
そして、もう1つ、大切な喜びがあって、それは、人間関係です。
大切な人と過ごす時間。それを超える喜びは、今のところありませんし、これ以外に僕は喜びを感じたことがありません。
まあ、人生は長いので、他に喜びを感じることがあるかもしれませんが、今のところ、自分にとって喜びが何かをきちんと認識できているのは、まさに「幸せ」なことだと思います。
僕にとっての「喜び」は感情なのですが、感情だからこそ、身体全体を優しく包み込んでくれます。
仕事では、この感情が味わえないんですよね。
仕事で「達成感を味わう」なんて言葉がよく聞かれますが、僕は理解できなくはありませんが、自分がそれを味わえるとは思えません。
で、今日、橘玲さんのブログを読んでいたら、人間関係を、「愛情空間」「友情空間」「貨幣空間」の3つに分類できることが書かれていました。
この人間関係の分類方法は、橘玲さんお著作に何度か登場していて、僕も知識としては既に持ち合わせていました。
ただ、今日、点と点がつながった気がしました。要は、僕は、「友情空間」が「貨幣空間」に侵食されているのです。
僕はどうも、「貨幣空間」と「友情空間」が区別されていなくて、本来友情空間で味わう「友情」がないんですよね。
「友情」がないというか、友情空間で喜びを味わうことが、どうもできません。
職場の同僚との関係も、本来は、「友情空間」なんでしょうが、「貨幣空間」に侵食されて溶けちゃってます。
おそらく、きちんと「友情空間」がある人は、名声とか、仕事での達成感に喜びを感じることができるんでしょうが、僕みたいに、友情空間が貨幣空間に溶けちゃっていると、名声とか仕事での達成感に全く興味が出ません。
貨幣空間には、見ず知らずの人との関係(僕が今日食べた夕飯の野菜の生産者)すべてが含まれていますが、そこに、職場の同僚との関係まで含まれちゃっているんです。
だから、友情空間で喜びを感じることがとても難しいです。僕は、友達や職場の同僚が「貨幣空間」に侵食されてしまっているんです。本当にかわいそうですが・・。
そんな僕にとっては、友情空間で得られる、「名声」や「達成感」は、全くの無価値です。
名声や達成感が、友情空間で味わえる喜びになり得ることは理解はできますが、でもやっぱり、自分では味わえません。
僕にとっては、「愛情空間」がすべてです。愛情空間をどう過ごすか。愛情空間の中にいられる時間をどれだけ増やすか。
それが人生の存在意義で、それ以外の時間は、愛情空間を過ごすための準備時間・予備時間に過ぎません。
「達成感」とか「名声」の価値に、僕はピンときていませんでしたが、橘玲さんのブログで、「愛情空間」「友情空間」「貨幣空間」の分類について読んでいたら、とてもしっくり来ました。
僕みたいに、「達成感」とか「名声」の価値にピンとこない人も、世の中にはそれなりにいらっしゃると思います。
ただ、「友情空間」での喜びは、良好な友情空間を何年も継続できれば、後天的に獲得できるような気がします。
ただ、そんな、どうなるかわからない将来のことを待つよりも、友情空間を諦めて愛情空間に注力したいと思います。
それではまた明日!・・・↓
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