#95 自民党の歴史ー④

4日前のブログ(こちら)と3日前のブログ(こちら)と2日前のブログ(こちら)と昨日のブログ(こちら)の続きです。

昨日のブログでは,経世会による自民党内の派閥政治が終わり,国民世論を味方につけた小泉政権が誕生したとお話しました。

小泉政権は,道路公団民営化や郵政民営化を実現しましたが,その裏側には,経世会と郵便局の癒着,小泉側について財務省の意向(財政破綻を煽ったり,特定財源を一般財源にしたい),アメリカがケインズ主義から新自由主義に転換したことなど,複数の事情があったことを説明しました。

今回は,小泉政権の外交についてお話します。

今回は主にこの動画この動画についてまとめているものですが,靖国参拝,対米戦争,そして北朝鮮拉致問題について語られていますので,この順番に説明します。

まず,靖国参拝ですが,経世会政権時代(竹下登時代)より,日本は,中国に総額6兆円のODAを行ってきました。このODAが,現在の中国の経済発展の礎を築いたことは疑いの余地はありません。

こういった,日本からの経済支援を受けていた頃の中国について,鄧小平は韜光養晦(とうこうようかい)=「能ある鷹は爪隠す」と語っています。

つまり,「今は粛々と国力を増強する時期だ」ということです。日本を含めた諸外国に頭を下げて,友好関係を維持し,たくさんのドルや円を中国に引っ張り込む,そのためにじっと耐える時期だと考えていたんですね,中国共産党は。

こういった中国共産党の策略に,経世会はまんまと引っかかり,莫大な経済支援を中国に行っていました(もちろん,中国に投資したいという,経世会傘下の企業の意向もあったでしょうが)

こうやって,中国は諸外国からの支援を受けていたのですが,しかし,その投資で得た利益は,結局中国共産党が独占していたんですね。そのため,中国国内では,共産党に対する不満が噴出していて,共産党独裁に対する民主化デモも起きていたんですが,1989年6月4日の天安門事件で,民主化の夢は打ち砕かれました。

しかし,天安門事件で民主化デモを制圧できたとはいえ,中国国内では,不満がたまっていて,いつ爆発するかわからない状態でした。その爆発寸前のエネルギーを,中国共産党は処理する必要があったわけですが,どうやったかというと,そのエネルギーの矛先を,ナショナリズムに向けさせたんですね。ナショナリズム=「偉大な中国」という考え方です。

中国共産党としては,アヘン戦争以後,「偉大な中華民族」であるはずの中国国内が列強に駆逐され,特に最後の日中戦争(中国では「抗日戦争」)では,日本の軍国主義による悪逆な侵略にあったものの,中国共産党が,これに立ち向かって,日本の軍国主義を打ち砕き,中国人民を解放したんだ!ということにしているわけです。これが「偉大な中国」という考え方(というか,ファンタジー)です。

この「偉大な中国」という考え方に従い,中国国内に「抗日記念館」をいろいろ築き,反日感情を煽りました。

また,90年代に愛国教育も行うようになり,徹底的に反日感情を叩き込んだんです。

で,この考え方に,人民解放軍(中国共産党の軍隊)も乗っかりました。

それが,「劉華清(りゅうかせい)」という海軍司令の出した,「列島線計画」です。

これは,どういう「計画」かというと,中国が,アメリカから太平洋を奪い返すという話で,第一列島線と第二列島線という2つの「列島線」を太平洋上に設けるんです。

第一列島線は,日本列島,沖縄,台湾,フィリピンを結ぶ線で,2010年までに,この内側(中国側)を中国の内海にするという計画です。また,第二列島線は,小笠原,グアムまでを,2020年までに中国の内海にするという計画です。

この計画に照らすと,沖縄の米軍と,台湾の米軍が邪魔なんですね。そこで中国はどうしたかというと,日米安保を無力化しようと,特に沖縄で米軍撤退を求める運動に火を付けました。

また,台湾でも選挙に介入しています。

とにかく,日米対立をしたいんですね。中国共産党としては。列島線計画にとって,日本内の在日米軍は非常に邪魔だからです。

で,この日米対立に利用されたのが,靖国問題です。

「ファシストの象徴が,靖国なんだよ」と,中国がアメリカに働きかけたのです。

中曽根康弘首相が1985年に参拝して以降,日本の総理大臣は靖国参拝していなかったのですが(当初の目的は,中国の民主化に配慮するためでした),小泉純一郎は,父の小泉純也が,特攻隊基地(鹿児島万世飛行場)を誘致したことを心から悔いていたことから,「誰がなんと言おうと靖国参拝!」と言い,2001年8月13日,靖国参拝しました。

これに,中国の若者が反応したんですね。

ちょうど,中国共産党による反日教育を受けてきた世代です。

反日デモも起きました。しかし,そもそも,中国にデモの自由はありません。つまり,反日デモは中国共産党が先導していたんです。

こういった反日によるナショナリズムの発揚により,中国国内において,共産党は信頼を取り戻しました。

しかし,ナショナリズムには作用と「反作用」があるわけで,こういった中国の反日ナショナリズムは,日本人のナショナリズムに火を付けました。

こういった反中感情が日本国内で高まる中で,小泉政権の対中戦略を支えたのが,アメリカべったりの対米外交でした。

そもそも,アメリカでも,中国に対する見方は大きく2つに分かれます。

1つは,中国をマーケットと捉える見方です。ウオール街の投資家や銀行は,中国に投資して儲けたいんですね。だから,中国とあまり敵対したくありません

コレに対し,中国を敵対視する,軍産複合体(米軍と軍需産業)というものがあります。この立場の人は,戦争の危険が生じて,軍拡されたほうがいいわけですから,中国の危険性を強調し,対中強硬派になるわけです。中国が危険であればあるほど,太平洋上の軍備増強が必要になってきて,たくさん武器が売れるからです。それで軍需産業が儲かれば,軍需産業とつながる政治家もお金がたくさん入ってきますからね。

で,90年代のクリントン政権は,完全にウォール街派です。中国とはあまり敵対しない立場です。

しかし,2000年の大統領選で,共和党のブッシュが大統領となりましたが,この人は軍産複合体派です。戦争の危険が高まったほうがいいので,対中強硬派です。

で,ここからは話が中国から離れますが,とにかく,ブッシュは戦争したくてしょうがなかったんですね。そしたら,都合よく,大統領になったその年に,9.11が起きてくれました。

ブッシュは,この機会を逃すまじと,アフガニスタンとイラクに戦争を起こします。

アフガニスタンとの戦争は,9.11が「アルカイダ」というイスラム過激派テロ組織による犯行と断定され,そのアルカイダのリーダーであるビンラディンがアフガニスタンに匿われていたので,それを理由とするものだったので,まあまあ開戦する理由があったと思われます。

しかし,イラクとの戦争はめちゃくちゃです。

アフガニスタンだけでなく,イラクとも戦争をしたのは,イラクのサダム・フセイン政権(僕も,色々とカタカナが多くて整理が大変ですが,よくよく頭の中を整理しながら読んでください!)が,アルカイダのメンバーを匿っていて,なおかつ大量破壊兵器を保有していることが理由でした。

しかし,「アルカイダのメンバーを匿っている」という証拠もなく,攻め込んでしまっていて,なおかつ,結局,「アルカイダのメンバーを匿っている」という証拠も,「大量破壊兵器を保有している」という証拠も,いずれも見つからなかったんです。

実際に,イラク戦争に先立って,アメリカは,国連安保理の決議をとりましたが,中国・ロシアだけでなく,フランスも,イラク戦争には反対してました。

しかも,イラク戦争に賛成したイギリスのブレア政権も,イラク戦争後,安保理での賛成票は間違っていたと認めています。

そんな中,小泉だけは,アメリカを支援しました。9.11の直後に訪米していますし。

自衛隊は,サモアに派遣されたのですが,当時はまだ,全く戦闘行為ができませんでした。

当然,アメリカと敵対するイラク政府側の人間が,ゲリラとして襲ってくる可能性もあったにもかかわらず,です。

小泉純一郎は,「非戦闘地域に送るから大丈夫」と説明していましたが,「非戦闘地域とは?」という質問に対し,「自衛隊が行くところは非戦闘地域だ!」というわけわからん答弁していたんですね。

しかも,イギリスのブレア政権とは異なり,日本の国会は,↑のように小泉がイラク戦争に加担したことが不問に付されています。

次は拉致問題ですが,動画内では拉致問題発覚の経緯から語られています。

1987年,大韓航空機爆破事件という,その名の通り,大韓航空機が爆破される事件が起きます。アブダビから韓国のソウルへ向かう飛行機で,機内には韓国人がたくさん乗っていました。事件後捜査で,荷物を預けたのに乗っていない乗客が見つかります。

その乗客=犯人は,アブダビで拘束されたのですが,パスポートを確認すると,日本人だったんです。

ここまで読むと,日本人が韓国人のずくめの飛行機を爆破したという風に読めますが(しかも,韓国ソウルオリンピックの直前に),この犯人の日本人が,実は,パスポートを偽造して日本人になりすましていた北朝鮮工作員だったのです。

この工作員が,日本人拉致被害者が,北朝鮮で工作員に日本語を教える先生をしていることを自供します。こうやって,北朝鮮が日本人を拉致していることが発覚したんですね。

というか,1970年代から,拉致は起きていたんですが,当時は田中派・経世会政権だったので,見て見ぬ振りしていた。日本海側の新潟などでは,人がいなくなる事件が多発していたが,握りつぶされていたんでしょう。

こういった,北朝鮮を見て見ぬ振りしていたことを伺わせるエピソードとして,金丸訪朝団があげられています。

1990年の海部俊樹政権時代に,北朝鮮に日本から特使を送るのですが,これが「金丸訪朝団」と呼ばれるものです。「金丸信」という副総理と,小沢一郎,そして石破茂も行っています。

このとき,日朝国交正常化についても話し合われているのですが,北朝鮮側は,日韓基本条約を持ち出し,「日本は日韓国交正常化のとき5億ドル払っているから,今のレートに換算して,北朝鮮と国交回復する際は北朝鮮に100億ドル払え」という,めちゃくちゃな要求を受けます。

しかし,金丸信たちは,「じゃあ,50億くらいでどうか」と,まさかの北朝鮮の出してきた叩き台に乗っかってしまい,「じゃあ,80億ドルくらいで」と話がまとまってしまい,その結果,日本は北朝鮮と国交回復した際には80億ドル(約1兆円)を支払う約束になってしまっています。

なんら拉致問題については話し合われず,日朝国交正常化のときに支払う金額のみ約束してしまっているんですね。

金丸訪朝団は,いろいろと接待を受け,当然,喜び組による接待もあったでしょう。

後に,金丸が脱税で捕まったときに,刻印のない金の延べ棒が見つかっていて,これは北朝鮮からのプレゼントと言われています。

本当に,経世会政権,その後の小沢一郎政権時代の,日朝関係は腐りきっていたといえるでしょう。


ちょっと今日は夜も遅くなってきたので,ここまでにします。

今日も勉強になりました!

それではまた明日


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