#93 自民党の歴史-②

一昨日のブログ(こちら)と昨日のブログ(こちら)の続きです。

引き続き,茂木誠先生の動画を(僕の知識を整理するために)まとめていきます。

昨日のブログでは,竹下登(経世会)がいろいろと傀儡政権を作り出していたところまで説明しました。その傀儡政権の最後の総理大臣が宮澤喜一だったのですが,小沢一郎が自民党を飛び出して宮澤喜一内閣を倒したというところで,昨日のブログは終わっていました。

で,動画では,まず,小沢一郎の生い立ちについて触れられています。

そもそも,小沢一郎は二世議員で,父親が小沢佐重喜(さえき)といい,吉田茂政権時代に活躍していたのですが,この小沢佐重喜は,生まれが岩手県水沢市で,とても貧しかったそうです。この点が,田中角栄と似ているんですね。小沢佐重喜は。で,その子の小沢一郎も,いかにも田舎ぽくって,その田舎っぽさが田中角栄に気に入られ,小沢一郎は,若い頃から田中派のプリンスと呼ばれるようになります。

ただ,田中派では竹下登によるクーデターが起こり,その後竹下登が権力を握るようになったわけですが,その竹下登時代も,小沢一郎は竹下登の側近として経世会を支え続けます。

だから,冒頭で,小沢一郎が自民党を飛び出して宮澤喜一内閣を倒したと書きましたが,そもそもの宮澤喜一が誕生したのは,当時の自民党最大派閥の経世会=竹下登の命を受けて,当時の自民党幹事長小沢一郎が,宮澤喜一を総裁に指名し,首尾よく宮澤喜一が総裁になった結果なんですね。

でまあ,小沢一郎は,経世会=竹下登のもと,自民党の最高権力を握り続けるわけですが,傀儡政権を象徴するエピソードとして,湾岸戦争の話が出てきます。湾岸戦争当時,名目上の総理大臣は「海部俊樹」(宮澤喜一の前任総理)だったのですが,湾岸戦争の自衛隊を送るかどうかを,日本側としても決めなきゃいけなくなったわけです。ただ,その決定権者であるはずの海部俊樹は,傀儡で何も決められないので,しびれを切らしたアメリカ側は,「誰かわかるやつ出てこい」と要求し,結局,小沢一郎がアメリカ側との交渉担当になります。日本(小沢一郎)は,憲法9条を根拠に自衛隊派遣を拒みますが,「それなら金よこせ」ということで,結局,130億ドルをアメリカに支払うことになるんですね。

この傀儡エピソードを持ち出して,茂木先生はこう想像するんですね

「湾岸戦争でのアメリカとの交渉をきっかけに小沢一郎は反米になった」

小沢一郎からすれば,日本を130億ドルの貯金箱のように使われたわけですよね。

これをきっかけに,小沢一郎は,「対米従属からの脱却が必要だ」と思うようになっただろうと茂木先生は分析しています。

じゃあ,対米従属から脱却するために,小沢一郎はどうしたのか。

→中国に近づいたんですね。

確かに,対米従属から脱却しなきゃいけないという考えは正しいし,国際政治のリアリズムの観点から(茂木先生はこういった言葉を使っていますが,要は,「敵の敵は味方」理論と近いのかなぁと思います。対米従属から脱却するために,アメリカの敵である中国に取り入るというのは,国際政治の観点からは正しいでしょう。),対米従属からの脱却のため中国に接近することも正しい。

ただ,タイミングというものがあるわけです。

当時の中国はどういう状態かというと,天安門事件が起きたばっかりの頃です。

天安門事件が1989年6月4日で,湾岸戦争のきっかけとなるイラクのクウェート侵攻が1990年8月2日です。

天安門事件が起きる前の時点では,国際的には中国に対する楽観論がありました。

「中国も,経済が発展し市場経済が取り入れられれば,共産主義を取りやめて民主化されるだろう」という楽観論です。

実際に,このブログでも,中曽根康弘内閣の頃に,胡耀邦国家主席が「改革派」として,民主化デモをある程度容認していたと書いたところです。

しかし,その希望・楽観論を見事に打ち砕いたのが天安門事件です。

民主化デモをしていた若者を,文字通り,戦車で踏み潰したわけですからね。

民主化デモを,中国共産党の人民解放軍が,武力で制圧してしまったんです。

この天安門事件をきっかけに,各国は中国に対する経済制裁を加えます。

まあ,そりゃそうですよね。

しかし,その経済制裁を最も早く解禁したのが,小沢一郎だったのです。

小沢一郎は,なんと,天皇訪中を実現させるんですね(1992年)。当時は宮澤喜一内閣です。

そうやって中国に接近し,天皇訪中まで実現させた後,小沢一郎は自民党を飛び出すことになるわけですが,ここで,「日本改造計画」という小沢一郎の政治思想が書かれた本に触れられています。

その内容は,日本は,政権交代がないから,金権腐敗政治になる。選挙制度も,それまでの中選挙区制(候補者が1つの選挙区から複数当選する)を改めて小選挙区制(1つの選挙区から1人しか当選しない)になれば,派閥争いををやっている場合じゃなくなるから自民党が1つにまとまる,というものです。そして,経済の面では,規制撤廃を主眼に置いているんです。

なんというか,派閥をのし上がって権力を握った小沢一郎が派閥を否定するというのは,なんともおもしろいですね(笑)

小沢一郎には,こういう思想があったわけですが,小沢一郎としては,これまで経世会に所属して権力を握り,政治思想の実現を目指していたけれども,全く規制撤廃も進まないし,実現が困難に思えたので,自民党を離れ,自分の政治思想の実現を目指そうとしたわけです。

その結果,小沢一郎一派は,野党側から出された宮澤内閣不信任決議案に賛成票を投じました。これは,経世会=自民党に対する裏切りです。経世会が総裁に仕立て上げた宮澤喜一内閣の退陣を迫るものですからね。

それと同時に,1955年に発足した55年体制(吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党が保守合同したもの)を瓦解させる手段でもあったんですね。

小沢一郎は,自民党を離れ,ソ連のバックを失った日本社会党(日本社会党というのは,もともと,ソ連が日本の共産化のために活動していた政党で,ソ連がバックについていたんですが,そのソ連が崩壊してしまい,宿主を失っていました)と手を組みます。その結果,野党側が反自民でまとまり,有象無象の集合体である細川護熙内閣が発足するんですね。

ただ,相変わらず実権を握っていたのは小沢一郎です。

これに対し,小沢一郎が抜けた経世会では,野中広務が実権を握り,自民党を操ります。

この「野中広務」という人は,もともと小沢一郎と同じ派閥に属していたわけですが,小沢一郎のことを「悪魔」とまで罵っていて,めちゃくちゃな小沢一郎嫌いです。

その結果,どうなったかというと,なんと,自民党(経世会=野中広務)が,日本社会党と手を組んで,自社連立政権という,全く意味不明な政府が誕生します。

先ほどの小沢一郎傀儡政権は,細川護熙→羽田孜と,1993年8月~1994年6月まで続くんですが,その後,↑の自社連立政権が成立するんですね。

総理大臣となったのは,日本社会党の村山富市です。

しかし,日本社会党も,小沢一郎と手を組んでいましたよね?

小沢一郎は,自民党を抜け出して,日本社会党と手を組み,反自民連立政権を樹立したと先程書きました。じゃあ,どうして,日本社会党は小沢一郎を裏切り,自民党(経世会=野中広務)と連立したのか。

それは,日本社会党が小沢一郎に手を焼いていたんです。小沢一郎は,根回しが下手なんです。事前相談もなしに,1人で突っ走ってしまう。「自分にはついてきてくれる」と思っているフシがある。「剛腕」とも呼ばれていましたから,自信があったのでしょう。40代で自民党の幹事長も務めていましたから。

ただ,小沢一郎が出世できたのは,バックに大物がいたからなんですね。

小沢一郎は,あくまで,田中派,そして竹下派(=経世会)の小沢一郎に過ぎなかった。

だから,小沢一郎自身の求心力は,それほど大きくなかったんです。

そのため,小沢一郎は,日本社会党の裏切りにあい,その結果,自社連立政権=村山富市政権が誕生してしまったのです。

でも,社会党の国会議員が総理大臣なんておかしな話ですよね?

日本社会党はソ連の手先だったので,当然,「憲法9条改憲反対!自衛隊は違憲!米軍も違憲!」と主張してきました(ここからは僕の独り言ですが,憲法9条で日本が戦力を放棄し,米軍も撤退したらソ連は得するに決まってますよね。軍隊もなく,米軍もいない丸腰の日本なら,ソ連によって共産化することは簡単ですから。だから,憲法9条改憲反対!自衛隊違憲!米軍も違憲!になってくるわけです。)。

そんな日本社会党の村山富市が自衛隊の最高司令官になってしまっているのは,本当におかしな話です。

そのため,自社連立政権の樹立を受けて,日本社会党が分裂します。社民党(福島瑞穂)と社会民主連合(菅直人)です。この分裂した日本社会党の人たちは,宿主のソ連を失った結果,急速に北朝鮮に近づいていきました。

で,この菅直人がどういう人かというのも動画内で語られていて,

例えば,よど号ハイジャック事件(日本赤軍が北朝鮮に亡命した事件)で北朝鮮に亡命した日本赤軍メンバーが北朝鮮に保護されているのですが,その赤軍の子どもたちが日本に帰ってきていて,「市民の会」という団体をを作っているのですが,菅直人はその「市民の会」に献金しています。

つまり,菅直人は,日本赤軍の子(しかも,この亡命したメンバーたちは,日本人拉致に関わっていることが明らかになっています)に,お金を渡しているんですね。

それと,菅直人は,北朝鮮による日本人拉致事件の実行犯が韓国で拘束された際,その釈放を求める署名にサインしています。

つまり,菅直人は,日本人拉致被害者の解放を求めるのではなく,日本人拉致の実行犯の釈放を求めていたんですね。

それと,鳩山由紀夫です。

この人は,2009年の政権交代後の総理大臣として有名ですが,この人も元々自民党の経世会に所属していて,小沢一郎と一緒に自民党を抜けたんですが,なぜか小沢一郎とは距離を取り,菅直人と一緒に民主党を作るんです。

不思議ですよね。鳩山由紀夫って,鳩山一郎の孫なんですよ?

鳩山一郎は,自主独立派だったんですが,なぜか,その鳩山一郎を源流とする清和会に所属するのではなく経世会に所属し,なおかつ,小沢一郎と一緒に飛び出したものの,小沢一郎とは距離を取って菅直人に近づく・・?なぜ?

で,自民党内部はどうなっていたかというと,経世会による支配は一応続いてはいました。

野中広務が院政を敷いて,橋本龍太郎や小渕恵三を首相として輩出していましたから(反小沢一郎の自社連立政権=村山富市政権の後,経世会の橋本龍太郎が首相になっています)。

でも,元々経世会というのは,他の弱小派閥の議員を総裁に仕立てるということをやっていたんはずなんですが,この頃は,経世会本体から総裁を擁立していました。

というのも,他の派閥が乗ってこないですね。経世会による派閥支配がマスコミに批判されて,あんまりイメージが良くなかったからです。

この頃,宏池会(吉田茂の後を継いだ池田勇人が源流)は,加藤紘一が仕切っていましたが,この人は,憲法9条を守り,なおかつ親中国なので,経世会の野中広務とかなり近い考えを持っていたんですが,野中の誘いにはあんまり乗ってこなかった。

このように経世会が自民党を支配していたんですが,清和会(森喜朗,小泉純一郎)は,これに反対し,小泉純一郎が総裁選に出馬していましたが,経世会=野中広務が擁立した橋本龍太郎に負け続けていました。

そんな橋本龍太郎政権が続き,その後,小渕恵三政権(これも経世会支援)となった頃,野中広務と森喜朗の密室政権交代が起きます。「次は清和会で総裁を出していいよ」と密室で話し合ったんです。その結果,総裁選をやらずに総裁を小渕恵三から森喜朗に変えてしまったんですね。それで,自民党はマスコミから猛烈なバッシングを受けます。

これを機に,野党側から森喜朗内閣に対する不信任決議案が出されます。これに危機感を感じた加藤紘一(宏池会)は,解散総選挙による自民党大敗を予期し,野中広務に反旗を翻そうと思いました。この加藤紘一が起こした謀反を「加藤の乱」と呼びます。

加藤紘一は,経世会=野中広務に反旗を翻そうと,仲間=森喜朗内閣への不信任決議に賛成票を投じる仲間を集めようとしますが,これに対し,野中広務が猛烈な圧力をかけるんですね。「圧力」って何かというと,この時既に,選挙は小選挙区制が採用されていましたから,圧倒的大政党有利になっていたわけですが,その小選挙区制による衆議院選挙で「自民党による公認をしないよ」と脅したんです。公認がないと,野党として出馬するか,無所属として出馬するしかないので,衆議院議員にとっては命取りです。

この野中広務によるプレッシャーにより,加藤の乱はどうも失敗しそうということがわかってくるんですね。

ただ,ここで加藤紘一は,「YKK」という同期3人組を頼ろうとします。

「YKK」というのは,加藤紘一と同じく1972年初当選で同期の,山崎拓と小泉純一郎を含めた3人のことです。3人の頭文字をとって「YKK」です。

加藤紘一は,小泉純一郎にも協力(森喜朗内閣への不信任決議に「賛成」票を投じる)を求めます。しかし,小泉純一郎は,森喜朗と同じ清和会に属しています。小泉純一郎としては,この賛成票は,直属の親分森喜朗に対する裏切りです。

この加藤紘一の協力要請に対し,小泉純一郎は「YKKは友情と打算の二重構造だ」と言って断るんです。

その結果,小泉純一郎(清和会)と経世会が手を組んで,加藤派を叩き潰しました。

加藤紘一本人も,言い出しっぺにもかかわらず,結局,野中広務の圧力に屈して,不信任決議に賛成票を投じなかったんですよね。完全にひよってしまった。

元々宏池会に所属していた麻生太郎(吉田茂の孫)も,加藤の乱の頃には,清和会に接近していました。

動画内では「タラレバ」にも触れられていて,もし,小泉純一郎が森喜朗よりもYKKの友情を重視していたら,森喜朗内閣への不信任決議に賛成し,自民党を離れ,小沢一郎に合流していたと思われるわけで,そうすると,小沢一郎と小泉純一郎が手を組む可能性もあったわけです。

そうすると,もし加藤の乱が成功していたら,加藤と小泉純一郎は小沢一郎,菅直人・鳩山由紀夫の民主党に接近し,政権交代が実現していたでしょう。それを小泉純一郎は防いだわけで,その功績は大きいと思われます。

加藤の乱後,宏池会ボス(加藤紘一)があまりにもヘタレたので,宏池会は瓦解しました。

その結果,経世会と清和会で総裁選をやることになり,経世会・野中陣営は,また橋本龍太郎を担ぎます(しかし,橋本龍太郎は,デフレ下で消費増税を行ってしまい,デフレの長期化を招いています。その結果失われた10年から20年になってしまっています)。これに対し,清和会は,小泉純一郎を担ぎます。

この総裁選で,小泉純一郎が勝つことになるわけですが,続きは明日書きたいと思います。

今日も勉強になりました!

それではまた明日!


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