#92 自民党の歴史
昨日のブログ(こちら)の続きです。
茂木誠先生の動画をもとに,自民党の歴史を紐解いていきます(このブログは,100%自分の勉強のためなので,その点はご了承ください。僕のブログ読むよりも
吉田茂の後を着いだのが,池田勇人と佐藤栄作です。
吉田茂はアメリカべったりでしたね。憲法9条を守り,日本は軍隊を放棄し,国防をアメリカに任せることで経済発展に集中するというやつです(吉田ドクトリン)。
その後を継いだのが,池田勇人と佐藤栄作で,池田勇人は大蔵官僚で,佐藤栄作は運輸官僚です。それぞれが自民党総裁となり,総理大臣になっています。
この吉田茂の流れを組む派閥が「宏池会」なんですが,そのうち佐藤栄作陣営を奪い取った人がでてきます。
奪い取った人物は,「田中角栄」です。
どうやって奪い取ったかというと,まあ,田中角栄は土建屋ですから,バックに色んな土建屋がついているんですね。当時は高度経済成長で,経済がうなぎのぼりだったので,土建屋も儲かっていました。その土建屋たちから政治献金を募り,潤沢な資金力でお金をバラまいたんですね。佐藤栄作陣営に。そうやってお金で味方を作ったのが田中角栄です。
田中角栄派閥は「田中派」と呼ばれ,後に「経世会」という派閥になります。
もう1つ派閥がありました。
岸信介の自主独立を目指すグループです。これは,「清和会」と呼ばれるようになり,福田赳夫という大蔵官僚が後継者となりました。福田赳夫は,福田康夫の父です。
で,佐藤栄作が首相を務めた後,次の首相を決める総裁選をやりました。
福田赳夫と田中角栄で争うことになったわけですが,田中角栄が圧勝したんですね。
福田赳夫は,資産家の息子で,東大法学部卒の大蔵官僚という,いかにもエリートだったのですが,田中角栄をバカにしていました。田中角栄は大学すら出ていませでしたから(田中本人は「小卒」と公言していました),そのことをバカにしていたんですね。
(ここからは,僕の知識ですが,田中角栄の支持基盤は土建屋ですから,土建屋を儲けさせることが大事なんですね。そうすると,儲かった土建屋たちからたくさん献金を受けることができるようになりますから。そのために作ったのが,日本道路公団や国鉄などの,特殊法人です。言ってしまえば,国が道路や鉄道などの公共事業を発注し,それによって土建屋を儲けさせるわけですが,この公団は,末期には天下り先とか税金を貪っているとか非難されましたが,できた当時は役割があったのです。やっぱり,国が税金を投入して開発を行ったことにより,人の移動が活発になり,田舎が豊かになったのはその通りだと思います。なお,田中角栄は自動車税も開発しています。これは,もともと道路特定財源として,大蔵省が管理する予算とは別に,建設省が自分で自由に管理できる税金となっていたものですが,これは,現在は一般財源(財務省管理の税金)となっています。)
ちょっと脱線が過ぎましたが,まあ,田中角栄が総裁選を制し,首相になったわけですが(1972年),この年,世界情勢を覆す事件が発生したんですね。
ニクソン訪中です。
それまでの冷戦は,アメリカ対ソ連・中国という図式だったのですが,その情勢を一気に変えたのがニクソン訪中です。これは,アメリカが中国と仲良くすることをソ連に見せつけたわけですから。当時のアメリカは,ベトナム戦争が泥沼化していて,これをどうにかするという公約でニクソンが大統領に当選し,また,中国は中国で,ソ連型の計画経済を導入しても全然豊かにならなかったため,なんとか経済成長への打開策を考えていたため,アメリカと中国の利害が合致し,ニクソン訪中が実現したのです。
ただ,このようなアメリカの対応に,田中角栄はキレたんです。
だって,何の事前連絡もなかったわけですから。アメリカから見れば,日本は属国なわけで,事前に知らせる必要はないと判断されちゃったわけです。
ニクソン訪中を目の当たりにした田中角栄は,「じゃあ,俺も行く!」と田中訪中をやります。
これは,どういう思惑があったかというと,現実的には,国防も経済もアメリカに頼り切っていたわけですよね,日本は。経済の点についても,マーケットはアメリカばかりだし,石油もアメリカから買っていました。これじゃダメだ,日本もアメリカべったりから脱却しようと思って接近したのが中国です。田中角栄は,中国マーケットを手に入れたいと考え,田中訪中に踏み切ったのです。
田中は,まあ,いろいろとアメリカに楯突くわけです。アメリカべったりが嫌なわけですから。石油輸入も,アメリカからじゃなくって,インドネシアから輸入したりしていました。そうしたところ,アメリカから睨まれ,その結果,ロッキード事件が起きます。
「ロッキード事件」て何かというと,田中角栄がアメリカのロッキード社から賄賂をもらったという疑惑がかけらられた事件です。日本の全日空(ANA)が,ロッキード社から飛行機を仕入れる際,ロッキード社側が便宜を図って,日本側に賄賂を送ったのですが,その送り先に田中角栄も含まれていた,という疑惑がロッキード事件です。
このロッキード事件により,田中角栄は東京地検特捜部に逮捕され,受託収賄罪で起訴されることになります。
もちろん,被告人となった田中角栄は首相の座を降りるわけですが,ただ,保釈されて拘置所から出てきて,その後,目白の自宅で政治を操るんですね。
目白の自宅には,田中派の議員がたくさん出入りして,田中角栄の指示通りに事が運んでいくのです。そして,田中角栄が指名した議員を総裁に仕立てていくという,田中角栄の闇将軍が始まります。
その後,「三木武夫」という総理大臣がはさまりますが,この動画では飛ばされます。
福田赳夫に飛びます。
この人の所属する派閥は清和会でしたね。自主独立路線の清和会。
ただ,福田赳夫が首相になるに先立って,宏池会の大平正芳と話がついていたんです。福田赳夫が先に総裁になり,その後に大平正芳が総裁になるという内容で。というのも,福田赳夫も大平正芳も,元大蔵官僚で,福田赳夫が先輩だったので,「先輩の私が先に総裁になるけれども,その後は大平くんを総裁にしてあげるよ」ということです。
で,この動画で福田赳夫について語られているのは,「ダッカ・ハイジャック事件」です。これは,日本赤軍が,飛行機をハイジャックして,福田赳夫政府に,日本で拘束されている日本赤軍の仲間の釈放を求めた事件ですが,なんと,福田赳夫はこの要求に応じてしまったんですね。「人の命は地球よりも重い」とか言っちゃって。
これはやべぇよ。
エリート官僚って頭の中お花畑なんだなということが,よくわかる事件だと思います。
(ちなみに安倍政権は,日本人ジャーナリストがイスラム国に拘束された場合でも,イスラム国の要求には応じませんでしたよね。まあ,当たり前なんですが,福田赳夫はこの当たり前ができていなかったんですよ)
福田赳夫の次は,予定通り大平正芳が総裁になり,その次に鈴木善幸が総裁になっていますが,この辺は軽くしか語られていません。
で,次が中曽根康弘です。
派閥は「中曽根派」という弱小派閥で,政治思想としては,清和会っぽい自主独立派でした。中曽根康弘は元海軍士官で,憲法改正を望んでいました。
ただ,田中派に接近したんですね。で,田中角栄も中曽根康弘を担いだ。田中派の支持を得た結果,中曽根康弘が総裁になり,首相になりました。
国際情勢としては,アメリカがレーガン政権で,ソ連がそろそろ終わるような頃でした。ソ連に対する最後の締め上げをやるような感じで,「新冷戦」とも呼ばれていました。
中曽根康弘は,「日本列島を不沈空母にする」とレーガンに話し,レーガンにも気に入られていました。
中国では,「胡耀邦(こようほう)」国家主席の時代で,この人は改革派でした。当時,若者による民主化デモも始まっていたけれど,まあ,そこまでそれを弾圧したりしないような感じだったんですね,胡耀邦は。
だから,中曽根康弘は,胡耀邦が悪くならないよう,8月15日の靖国参拝をやめたんです。せっかく中国で民主化運動が起き,指導者もそれに寛容な態度だったからです。
この中曽根政権末期,自民党内では事件が起きます。
竹下登が田中派を奪い取ったんです。クーデターを起こしたんですね。このショックが大きかったのか,田中角栄はまもなく亡くなっています。
自民党最大派閥を手中に収めた竹下登がどういうことをやったかというと,金権政治です。
つまり,お金を集めて議員に配って,総裁選の議員票を操るんです。しかも,自民党内だけならまだしも,「国会対策」とかいう名目で,野党の社会党にも金をばらまいたんですね。
でも,どうやってそれだけお金を集めるかという疑問が浮かんできます。田中角栄の時代は,「日本列島改造論」と銘打って,日本中にたくさん道路や鉄道を走らせ,それによって儲かった土建屋から政治献金を受けるという方法がありましたが,その時代とはもう違っていたんです。日本には,もう土建屋が儲かる素地はなかった。
そんな竹下登が目をつけたのが中国。当時の中国はとても貧しかったので,中国に投資して,土建屋を儲けさせたわけです。
この頃から,田中派=竹下登が継いだ派閥は「経世会」と呼ばれるようになります。
竹下登は,田中角栄と同様に,潤沢な資金をもとに,自民党内を支配するようになります。
竹下登自身は,リクルート事件で失脚しますが,竹下登が指名した議員をどんどん首相にしていきます。宇野宗佑,海部俊樹,宮澤喜一などです。
で,この人達が,本当にひどい。特に,宮澤喜一は,「従軍慰安婦問題」という,吉田清治のフィクションでしかない,デタラメな報道を,事実確認もなしに謝罪したんです。この従軍慰安婦問題は,報道した朝日新聞も誤りを認めています。
竹下登は,いろんな代議士を傀儡にして,政治を動かしていました。
そんな竹下闇将軍内閣に終止符を打ったのが,自民党を飛び出して,反自民内閣(細川護熙)を作った,小沢一郎です。
明日は,小沢一郎から話を始めたいと思います。
今日も本当に勉強になったなぁ。自分で文章にする過程が,やっぱり一番勉強になりますね。
それではまた明日
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