もう少しだけ先送りにしませんか
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、600日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。
法律に関する記事は既にたくさん書いていますので、興味のある方は、こちらにテーマ別で整理していますので、興味のあるテーマを選んでご覧ください。
【 今日のトピック:先送りにしてみましょう 】
僕は2019年7月に、働きすぎが直接の原因となって、うつ病を発症しました。
うつ病を発症して以降、自分なりにうつ病を発症した原因を分析した結果、働きすぎだけが原因とは考えなくなりました。
今になって考えると、
・幼少期に虐待を受けた
・身体疲労が精神疾患につながる体質
・長時間労働
・ボスの指導が下手くそ
というように、複雑な要因が相互に絡み合って発症したのかなと思っています。
どれか1つが欠けても発症したかもしれませんし、発症しなかったかもしれません。
どれか1つが欠けた世界線を僕は味わったことはないので、なんとも言えません。
ただ僕は、↑の4つがすべて揃った世界線を生きた結果としてうつ病を発症したことは知っているので、今後は、この4つが揃わないように尽力しなきゃいけません。
しかしながら、「幼少期の虐待」と「身体疲労が精神疾患につながる体質」は変えようがありません。
だから、この2つは死ぬまでずっと抱えなきゃいけない十字架です。
十字架を背負わされたことを恨んでもいいんですが、どれだけ恨んでも変わりません。
変わらないことに絶望して自殺してもいいとも思います。ここはめちゃくちゃ極端に見えるかもしれませんが、世界には、自分で自分の死期を合法的に選べる国が確かに存在するので、「生きるのが苦しいなら自分で死を選べばいいのでは?」という発想がめちゃくちゃおかしいとは僕は思っていません。
むしろ、「いつでも自分で自分の死ぬ時期を決められる」と思えたほうが、「だったらもう少し生きてみるか」という発想につながり、逆に自殺を防止する役割があったりします。
ちなみに、日本人がスイスで安楽死を行った前例があるので、日本人の皆さん、安心してください。
スイスで日本人が安楽死するハードルはめちゃくちゃ高いですが、ただ、不可能ではないことが実証されています。
だとすれば、もう少し生きてみませんか?
日本人が日本国内で自分の死ぬ時期を決めることは、自殺するほかには依然として不可能ではあるんですが、スイスでは外国人の安楽死を合法的に受け入れています。
自殺という悲劇は、今後繰り返したくありません。理由はよくわかりませんが、どうしてもイヤなんです。
安楽死を認めることで、「もう少し生きてみよう」と思える人が現れるのであれば、安楽死を導入する意味があると僕は思っています。
そして、安楽死じゃなくても、最終的に自殺によって自分で自分の人生を終わらせることはできます。
仮に自殺が失敗して生き残ってしまったとしても、それが犯罪になるわけではありません。
いつだって自殺できます。僕は自殺の方法について調べたことないので、どうやって自殺するのかよく知りませんが、毎年何万人もの日本人が自殺に成功しているので、確実に成功する自殺方法がきっとあるんだと思います。
だったら、もう少し生きてみましょうよ。
いつでも自分で死ぬ時期を決められるんだったら、それを先送りにしたっていい。
先送りにして、そのときにまた考えればいい。
今この瞬間に自殺しようと思っている人も、よくよく考えれば、1週間前からずっと、眠ることなく自殺しようと考え続けたわけじゃないはずです。
1週間前から1秒の隙間もなくずっと自殺について考え続けたわけじゃない。少しウトウトした瞬間があれば、その瞬間は自殺について考えていませんし、テレビを見てぼーっとした瞬間があったのなら、その瞬間も自殺について考えていません。
そうすると、自殺したいという今この瞬間の気持ちは、一過性と言わざるを得ません。
自殺企図は、必ず一過性なんです。
自殺したいと強く思う瞬間もあるし、そんなに自殺しようとは思わない瞬間もある。
だとすれば、「自殺したい」という、今この瞬間の気持ちが「なんぼのもんじゃい」という話なんです。
今この瞬間の「自殺したい」という気持ちは、また結局弱まります。
しかし、弱まった後は、また強まりそうですよね?
そうやって、自殺したいという気持ちが強まったり弱まったりしながら、今この瞬間に、めちゃくちゃ強く自殺したいと思っています。
でも、その強い自殺願望も、必ず弱まります。だって、これまでがそうだったじゃないですか。
強まる・弱まるを繰り返してきたということは、どうせまた強まる・弱まるを繰り返すんです。
だったら、強まった瞬間、つまり、感情が暴走した瞬間に命を落とすなんて、バカらしくないですか?
その強まった感情は、さっき説明したように一過性なわけで、必ずまた弱まります。
そして、これもさっき説明しましたが、いつでも死ぬ時期は決められるんですから、本当に死んだほうがいいなら、冷静に頭を働かせられる状態になった後に、冷静に人生を見つめ直しながら考えればいい。
どうせまた弱まるような一過性の思いに振り回されて自殺を決断してしまうのはバカらしいと僕は思います。
どうせ自殺するなら、精神疾患をきちんと治療して、冷静な自分を取り戻した後でいいです。
つらつらと書いてきましたが、今日の僕の思いが、本当に自殺を考えている人にとって、どれだけ役に立つのかはわかりません。
正直なところ、僕も、真剣に自殺を考えたことはありません(「この苦しみから逃れるために自殺を選ぶのも理解できるな」とは思いましたが)。
ただ、僕は、うつ病のどん底にいた頃、とにかく不眠に悩んでいたんですが、よくよく自分を観察していると、本当に毎日不眠の症状が出るわけではないことに気づいたんです。
「寝付きが悪い」
「寝付いても夜中に目が覚めてしまう」
とめちゃくちゃ悩んでいたんですが、その悩みの真っ最中のある日、ふとぐっすり眠る日があったりします。
ただ、調子が悪い時期は、そういった、「不意にやってくる調子良い日」に気づけませんでした。
だって、またすぐに調子悪くなっちゃうからです。
でも、本当に丹念に自分を見つめると、本当に文字通り「毎日」不眠だったかというと、そうじゃなかったんです。
それに気づいた結果、不眠に悩むのがめちゃくちゃバカらしくなったんです。
「眠れない~!」と悩んだまさにその日にぐっすり眠れたりするわけですよ!
だから、「眠れない~!」という悩みは一過性でしかない。そんな一過性の思いに振り回されたくないなと思うようになりました。
だから、眠れない日が来ても、「またどうせそのうちぐっすり眠れる日が来るんだよな~。だってこれまでそうだったし」と思うようになりました。
確かに、未来が必ず過去と同じように進む保証はどこにもありませんが、とはいえ、残念ながら、僕は普通の人間で、普通の人間の将来って、ほぼほぼ過去と同じように進んでしまうんです。
本当に残念ですが(笑)。
でも、普通の人間であるおかげで、過去と同じ日々がまた繰り返されるので、未来でもきっと、調子良い・悪いが繰り返されるんです。
僕はそうでした。やっぱり僕は普通の人間だったんです(笑)。
長々説明してきましたが、調子良い・悪いを繰り返してきた僕としては、「自殺したい」という思いも、強い・弱いを繰り返すんじゃないかなと思ったんです。
もしそうだとすれば、一過性の思いに振り回されて自殺しちゃうのは本当にバカらしいなと思います。
本当に自殺に悩んでいる人に対して「バカらしい」というのは、極めて失礼だとは思います。
でも、僕は、この「バカらしい」という考えに救われました。
だから、僕と同じように、「バカらしい」に救われる人がいるかもしれないと思い、長々と書いてしまいました。
きっかけは何でもいいです。自分で自分を救ってあげてください。自分を救えるのは自分だけです。
それではまた明日!・・・↓
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