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偉い人が海外出張にきて、駐在員に魂を吹き込んだ話

海外勤務では、本社の偉い人と会う機会が多いが、ポジションが高いからといって、この人は凄いと感じることは、実は驚くほど少ない。
でも、稀に、本当に尊敬できると感じられる人もいる。

今日は、その香港赴任時代に経験した、駐在員に魂を吹き込んだ本社の部長の話しを書こうと思う。

先進国に比べると、当時の中国(1995年頃)は、まだ社会システムやインフラが驚くほど貧弱だった。
私達のようなインターナショナルビジネスマンにとっては、なによりもまず不便だったのが国境、イミグレーションである。

仕事がら、毎日のように香港から国境を越えて中国に入るのだが、中国のイミグレーションは想像を絶するテキトウさだった。入国管理官のモラルは低く、大して旅行客がいなくても、運が悪いとイミグレを通過するのに2-3時間かかった。
夏の暑い時でも、エアコンのない吹ききさらしの通路などで、満員電車よろしく立ったまま待たされた。汗が体中から噴き出た。

イミグレを無事に抜けて入国しても、まだ困難は続く。
国境からタクシーを拾って顧客を訪問しようにも、タクシーが値段を吹っかけてきて、なかなか乗ることができない。

中国珠海に香港から船で着く、効率の悪い入国審査で一時間以上無駄にしながら、イミグレを抜け、タクシー乗り場に行く。タクシー乗り場には、10台を超えるタクシーが列をなしている。
私が訪問する中国工場の名前を運ちゃんに言うと、100元で行けるところを、300元とふっかてくる。20元や30元の割り増しならすぐに乗り込むのだが、3倍の価格では、乗るわけにはいかない。

しかたがないので、後ろに並んでいる次のタクシーへ歩いていき、幾らか聞く。その運ちゃんも、少し笑いながら300元と答える。
で、また、その後ろのタクシーの運ちゃんへと向かう。途中から、わざわざ歩いていくのも面倒なので、声を張り上げて値段を聞く、すると全員300元と答える。運ちゃん達は皆ニヤニヤしている。

タクシー乗り場のタクシー全滅ということで、私は幹線道路の流しのタクシーを目指して歩きだす。港のタクシー乗り場から、幹線道路はわりと近く、5分も歩けば辿り着く。
但し、夏の太陽は容赦ないので、1分でも日向を歩くと汗が体中から噴き出してくるので、できれば歩きたくない。

私が歩き出すと、数台のタクシーがトロットロッとエンジンを鳴らしながら、私の後ろをゆっくりとついてくる。
1分ほど歩くと、運ちゃんが200元と運転席の窓から叫んでくる。私が無視して歩き続けると、その運ちゃんはあきらめて、港のタクシー乗り場にUターンしていく。
2分経過すると、ついてきている2台目のタクシーから、150元との声がかかる。未だ少し高いので、やはり無視して歩き続ける。
そうして歩き続けると、もう間もなく幹線道路というあたりになって、私についてきている最後の1台のタクシーが120元と言うので、そこでやっとタクシーに乗り込める。

インフラがこういう状況なので、お客さんとの約束の時間というのも、あってないようなものである。オリジナルの約束時間から1時間くらい遅れることはざらであり、当時の中国では、出張者とのアポ時間の概念は1時間くらい平気で遅れるというものだった。

顧客との商談が終わると、また、同じようにドタバタしながら香港へと戻っていくのであった。我々駐在員は毎日こういう感じで働いていたので、中国のインフラの弱さに慣れていたが、厄介なのは、日本から時々やってくる偉い出張者の人達であった。当時のビジネスは、まだ全然小さかったけれど、物見遊山で中国を訪問する偉い人が時おりやって来た。

偉い人が来る時は、中国側の代理店にお願いして、車を用意してもらったり、イミグレを優先に通れるように(具体的にどうするのかわ知らないが、人脈とお金があれば素早くイミグレを通り抜けられる方法もある)したり、気を遣うのだが、だいたい偉い人は、香港に戻ったあとに、中国のインフラの悪口をさんざん言い、更には、駐在員に、もっとスムーズに中国視察ができるように努力しろと、文句をいうのが定番であった。

そんな中、日本から私の直属の部長が、中国視察にくるということになった。それも、普段のビジネスオペレーションを知りたいということで、代理店などにアレンジを頼まずに、私と2人だけで中国顧客を訪問したいとのリクエストであった。(その前の年に中国語学留学をしたので、私の中国語の程度もみてみたいというのもあったらあしい。)

香港から日帰りで中国珠海のお客さんを訪問したが、内容は散々であった。湿度の高い、夏の暑い日で、中国入管は相変わらずのスローな仕事ぶり、汗だくになりながら中国入国をすませる。
タクシーもいつも通りのぼり方。今日は大事なゲストが一緒だから150元で乗せてと言っても、全く聞かない。
300元で乗ってもよいのだが、勘のいい部長は、こいつら皆でぼってきいるのだな。俺はこういうやつらに余計なお金は払いたくないというので、テクテクと一緒に炎天下の中を幹線道路へと歩くことになった。
タクシーに無事の乗れたときには、もう体中汗だく状態だ。

優しい中国顧客が、私のつたない中国語を満面の笑みで、完璧に理解できているという演技をしてくれたり、美味しいお昼ご飯を用意してくれたりというのが今回の出張の唯一よかったところで、それ以外はあちらもこちらも散々であった。

どうにかこうにか、中国でのスケジュールを終えて、香港に戻るフェリーの中でやっとほっとできた。大量の汗をかいたので、二人ともシャツがヨレヨレになっていた。

私が部長に、なかなかスムーズにいかなかくてスミマセンと頭を下げると。
部長は、お前、毎日こんな感じで中国顧客を訪問しているのか。こりゃ結構大変だなあ。中国ビジネスは中期的には最重要だけれど、なかなか立ち上がりをみせないし、お前も相当つらいだろうから、任期を後1年とか区切ってやろうかと、言った。

てっきり、私はアレンジの悪さを文句言われるかと、しょげた気分だったところに、部長から優しい言葉をかけられて、私は痛く感動した。
そして、反射的に、いえ、ビジネスが立ち上がるまでやらせてくださいと、頭を下げていたのであった。

本社からくる偉いさんは、中国出張について文句をいうというのが定番であったが、この部長が初めて現場の人間の立場に立ってコメントくれた。
これが私の心を掴んだ。

そうか、赴任期間を区切らなくてもいいか。
お前には相当負担をかけることになるけれど、将来中国ビジネスは我々の大きな飯のタネとしてとても大切なので、引き続き頑張ってくれるか。
と部長は言った。

私は、いつか必ず中国ビジネスを立ち上げて、部長を喜ばせようと強い決意を持ったのであった。

おわり













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