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5月某日

雨音で目覚める朝が好きだ。
家を出る時には止んでいて、でももうすっかり雨降りの心構えだったので歩いて出かける。

今日は液体だけで凌ぐ日と決めていたのに、冷蔵庫には昨日気の迷いで冷凍庫から移した豚肉のパックがいた。

イオンで買ったもので、値引きのシールには食品ロスにご協力いただきありがとうございますとある。
アンタそんな全部に気ぃつかわんでええんやでという気持ちになる。
今日食べることはないだろう豚肉パックをまだ起きなくていい時間に親しい人を起こしてしまったような気持ちになって内心軽く謝りながら冷蔵庫の扉を閉めた。

どうも血圧が上がりきらず、些細なことで感情が揺らいでしまう。
爪でデスクをカタカタと弾いてしまいいかんいかんと思い直す。
機嫌よくいる努力をしたいので、トイレに立ち、最近はまっている孫のリズムでぼやく。
どうして〜こんなに〜腹立つのかヨォ〜〜といった調子。
この一節以外は知らないけれど、馬鹿馬鹿しくなって割と効果的めんだと思う。

平均点の仕事をこなし、週半ばに控えている面接のために資料に目を通す。
私は面接する側よりされる側の経験の方が多い。

数少ない面接官の経験の中でいつも思い出すのは漫画「働きマン」の主人公ヒロコのセリフで、面接をするということはこちら側の考えをクリアにしておかなくてはいけない、といった趣旨の言葉。

漫画では、同僚に真面目なんだから・・・と慈愛の念を含め呆れられていたけれど、相手の人生に長い目で見ても多少の影響を及ぼす可能性があるのなら、こちらも後悔のないように立ち振る舞わなければならないと思う。
まったく、真面目なんだから・・・。

自分から申し出た記事作成の業務に触れずに終える。
メモを自宅に忘れたという理由だけではない。ここには私が文章を書いて喜んでくれる人がいないという不安で指が強張る。
去年、私はここで、この人たちに一度挫かれたんだという記憶がどうしても二の足を踏ませる。

自分の大切にしている部分を踏みつけられたような日々だった。
それからはよく諦め、よく笑い、決して目立たず、でしゃばって傷つくことのないように過ごしている。

嫌気がさしながらもやり過ごせていたのはある人がいてくれたからで、今、自らその人を失おうとしていて、人がひとりいなくなるだけで、毎日はこんなに間延びして退屈なものかと久しぶりに実感する。

夕方に下腹部が痛みだして、ああ今月もきたなと思う。
先月、生理の痛みに辟易してクリニックを受診して調べてもらったところ、臓器の構造的に痛みがあるのに出血が遅くなると教えてもらった。なるほど合点がいく。
ていうか今月もばっちり痛むのかよ。

昨日、カゴのバイトの昼食時に選んだコンビニのおにぎりが美味しく、明日の昼食にとコンビニへ寄る。
夜は味噌汁などで気を紛らわせて、無事に豚肉は明日以降へ持ち越されることになった。

万全の状態で必ず美味しくいただきますので、と頭の隅で豚肉に語りかける。
食事や食材の用意があるということは、こういう事になるからやっぱり苦手だ。


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