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正体を明かさないメリット

私なんぞがバンクシーを語るのは何万年も早いかもしれないが、ふと思ったことの例として、使わせていただきたい。

バンクシーが正体を明かさないのは、その方が社会へ向けて自由にメッセージを発信できるからじゃないかと思う。

有名になってしまうと、発言も表現も自由に発信しづらくなる。

そんなところにそんなものを描くなと、政治的な圧力が掛かったり、権力者達から、望ましいものを描くような依頼が来るかもしれない。

また、どこの誰であるかが特定されてしまうと、
メッセージを解読する人にも余計な先入観が生まれたりして、受けとる方にも制限をかけてしまう恐れがある。

私の勝手な想像だけど、バンクシーはそういうのが、嫌なんじゃないかなと思った。

これは、バンクシーを例にしてみただけなんだけど、作家さんや、芸術家、身近なところでは、
私達noteを利用している人にも言えるのではないかと思って記事にしてみた。

匿名性を利用して誰かを傷つけたり、陥れたりするのはもちろんよくないけれど、匿名であるからこそ、響くメッセージがあるのではないか。

もちろん、自分を開示するのも素晴らしいと思う。
その人が言った言葉だからこその説得力というものや、安心感もあるだろう。

でも、私は、初めて読む小説の作者がどんな人か分からない状態で読む、あの最初の少しミステリアスでワクワクする感じが好きだ。

もちろん、どういう作家さんか分かって、その好きな作家さんの作品を集めるのも好きだけれど、
誰この人?って思いながら読み進めて、へ~!って思うあの新鮮な瞬間は、その人をよく知らないからこそ生まれる場合もあると思うのだ。

名前や住所や生い立ちや経歴や、周りからの評判とかそういうものが、生々しくその人を表し始めると、作品が発信している内容の受け取り方が変わる気がするのだ。

良くも悪くも。

例えば、すごく綺麗な詩を書いた人がいたとして、普段のその人が、いつもおちゃらけている面白い人だったとしたら、その人をリアルに知ってる人は、
その詩の純粋な綺麗さが入ってこないかもしれない。

作品と作者を離した方が、作品というのは、ダイレクトに受け取り手に届く場合もあるのではないかと思うのだ。

もちろん、作者の背景が分かってこそ輝く作品もあると思うけれど。
相田みつをさんとか。

でも、匿名であることにメリットもあるなあと思う。

画像はお借りしました。

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