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読書感想文:養生訓
奥田昌子さん編訳のエッセンシャル版
貝原益軒の「養生訓」を読んだ。
表紙の帯に、
「病気にならない体をつくる 養生訓」
「体は本来100年でも長持ちするものだ。」
と書かれており、興味を惹かれたので、読んでみることにしたのだ。
確か学校の歴史の授業で「貝原益軒」という人について習った気がするが、あんまりどういう人か知らなかったけれど、健康に関してこんなに沢山の金言を残した人だったのだと思った。
「益軒の養生哲学のエッセンスを余すところなく選び出し、読みやすく7章構成にまとめたのが本書である」との記載通り、1ページの文字数も少なく、
大変に読みやすかった。
書いてあることの多くは、昔からよく言われていることなのだが、昔の人が説得力を持って書いた1冊の本として、改めて読むと、すごく納得感があった。
ほぼ全てのページが良かったし、為になることが書いてあったのだが、その中でもとりわけ心に響いた部分を残して起きたい。
健康の肝は、欲のままに突っ走らないこと。
ほどほどに飲食し、運動し、心を穏やかに保つこと。
このことが、言葉や表現を変えながら丁寧に説かれている。
治療を受けるのは最後の手段
病院で治療を受けるのは最後の手段である。
食欲、色欲を慎み、規則正しい生活を送り、
しっかり養生すれば病気になることはない。
消化不良で食欲のない人も、よく歩いて体を動かし、立ったり座ったりしていれば、治療を受けなくても胃もたれするようなことはない。これが最善の策である。
どんなによい薬もその病気に合わなければ害があるし、ほかのどんな治療にも欠点がある。
治療は最後の手段で、まず養生せよというのはそのためだ。
現代は医学が発達して様々な薬があるので、
多少調子が悪くても、つい薬に頼ってしまい、
根本的な解決を疎かにしてしまいがちだけれど、
どんな薬にも副作用はあるし、
病気になってから治療するより、病気になることを防ぐことの方が大事なのは言うまでもない。
自分の欲にかまけて、体を酷使して壊すより、
体を大切にして、病気にならないことの方がよっぽど大切だよな、と思った。
身の丈に合った仕事をせよ
何をするにも、自分にできるかどうかを冷静に判断せよ。手に余る仕事をこなそうとして神経をすり減らし、病気になったら何にもならない。
背伸びはしないほうがよい。
これは、私も感じていて、すごい仕事をするとか、沢山稼ぐことを目的に体を壊してまで働くのは本末転倒だな、と思った。
自分に不相応な仕事量や、役割が来たとき、
自分が前向きな気持ちでチャレンジしてみたいと思うなら別だけれど、周りから嫌われたくないとか、尊敬されたいからといった見栄をはりたい等の理由で不相応なものを引き受けることは、誰の為にもならないのではないかと思う。
怠けることなく、無理することなく、
分相応の働き方をしたい。
節度をもって食べ、体を動かせ
まず行うべきは、節度をもって食事をすることだ。
胃腸を損なうもの、体の害となるようなものを食べてはならない。
そして、色欲を慎み、睡眠や休息をとりすぎないようにせよ。
楽だからと座ってばかりいるのではなく、体をときどき動かして血行をよくする必要がある。
「楽だからと座ってばかりいるのではなく、体をときどき動かして血行をよくする必要がある。」
わあ、耳が痛い笑。
確かに休日等にあまり動かないでいると、
具合が悪くなる。
益軒は、体を動かすことの大切さ、
腹八分目の大切さを、言葉を変えながら何度も
言っている。
確かに、食べ過ぎも、だらけすぎも体が重くなるもんなあ。
他にも、
「何ごとも、できる限り自分でせよ」とか、
「楽は苦の種、苦は楽の種」
「体はいじめてやるほうがよい」
「心は静かに、体は動かせ」
等、耳の痛くなるような金言に満ちている。
健康の鍵は適度な食事と適度な睡眠
食事は体を養い、睡眠は心を養うが、どちらも行きすぎると体調を崩す。養生のお手本は、朝は早起きして夜は0時ごろに寝て、昼寝はせず、仕事に励む。心はいつも清々しく、少食で、消化不良を避けるというものである。こうすれば生命力がみなぎり、血液がしっかり体を巡るから病気が寄りつかない。節度ある食事と睡眠が養生の鍵となる。
睡眠は心を養うって、なるほど!と思った。
確かに睡眠不足だと、やる気もなくなるし、
イライラしやすくなる。
でも、寝すぎもよくないらしい。
睡眠1つとっても、奥が深い。
そして、心を清々しく保つ。
ストレスが病気の元であることは、言うまでもない。
悩み苦しむと生命力がすり減る
感情に振り回されてはならない。特に怒り、悲しみ、憂い、心配を手放して、心を静かに、和やかに、穏やかに保て。いつも気さくに、楽しい気分で過ごし、悩み苦しむことのないようにせよ。こうすることで、生命力を蓄えることができる。
今、別の本で「祈り」の効果について読んでいるのだけれど、自分ではどうにもならないようなことに直面した時は、見えない何かに委ねてしまうというのも手なのかもしれない。
どうにもならない現実にクヨクヨ悩むより、
(どうにかできることは、努力が必要だけれど)
人事を尽くして天命を待つ。
インドの聖人クリシュナムルティは、
「解決は大いなる神の業。人間の努力で解決できるものは少ない」と言ったそうです。
口数を減らし、心を休ませよ
心はいつも落ち着いて、穏やかであるのがよい。
静かに話し、口数は少なく、余計なことを言わないようにせよ。これが生命力を守る最善の方法である。
沢山おしゃべりした後って、どっと疲れる。
喋ってる時は、楽しいし、興奮するのだけれど、
家に帰ってどっと疲労に襲われたり、翌日やけに疲れていたり。
気の合う友人と楽しく話した時でさえ、
喋りすぎると、疲れるのだから、喋りすぎは生命力を奪うのだろう笑。
余計なことまで口にして、災難を生み出すこともあるし。
「沈黙は金、雄弁は銀」とも言うしね。
心に体の手綱を取らせよ
耳、目、口、鼻、体には、聞く、見る、話す/食べる、匂いを嗅ぐ、役目があり、これを心がコントロールしている。欲求や感情を自制して、人がよりよい形で生きていけるようにするためだ。
この様子は、心という番頭が、耳、目、口、鼻、体という手代や丁稚らに指示を出し、仕事ぶりを評価し、店を繁盛させるのに似ている。
もし、丁稚が番頭に指図し始めたらどうなるだろう。店はたちまち没落し、体は病気にむしばまれる。手綱を握るのは心でなければならないのだ。
体の声を聴いた方がよいこともあるけれど、
欲に任せて、暴飲暴食したり、怠惰な生活を送ることが体によくないのは、当たり前。
体の手綱を心にとらせるというのは、すごく分かりやすい例えだなと思った。
健康とは関係ないけれど、
これを読んで、やっぱり上に立つ人の技量の大きさや、本当の意味での賢さ、良心というものは、大切だと思った。
100点満点を求めない
どんなことでもそうだが、100点満点を目指すと心の負担になって楽しくない。他人にも完璧を求めると、足りないことろばかりが目について腹が立ち、うるさく言って、これまた心を苦しめる。
ふだんの食事や衣服、道具、住居、庭の樹木も、派手で贅沢なものはやめておけ。そこそこよければ十分だ。
100点満点でなくてもよいと考えることも、生命力を養う方法である。
100点満点を求めないって、大事な気がする。
100点満点を求めるって、何でも自分の思い通りになると思っている傲慢さから来るのかもしれない。
食事も、人付き合いも、生きていく上で必要な全ては、ほどほどが良いのかもしれない。
自分の思う通りに、満足しようと思う傲慢さが、
病気を呼んでしまうのかもね。
最後に、現代では、大分失われしまった「畏れ」という感情について書かれた1文を引用して終わりたい。
養生とは命に感謝し、慈しむこと
養生の心がまえを一字で表すなら「畏」である。
畏れるとは、神仏や身分の高い人などの近づきがいたい存在感を敬い、かしこまることを意味する。かけがえのない命と、自分を生かしている体に深く感謝し、これを慈しむことと言い換えることができるかもしれない。
畏れる気持ちがあれば、したい放題するのではなく、慎重に、間違いのないように身を慎み、我慢できるものだ。
自分の体だけど、与えられた命。
自分の自由にして良いとは言え、大切にしないと、しっぺ返しをくらい、後で苦しむのは自分。
自分の体と言えども、
全てを自分でコントロールできる訳ではない。
体を、命を慈しみ、大切にする。
畏れを持って、敬う。
それは、「甘やかす」のとは違う。
本当の意味で自分を大切にできる人は、
きっと周りの人も、周りの環境も大切にできる。
とても良い本を読んだな、と思いました。
今も昔も大切なことは変わらない。
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