「愛されたい」を捨てた私が、愛されて幸せな日々を送れるようになった話
「もう、期待なんかしない。愛されたいなんて諦めよう…」
早朝の、とある場所へ向かう車の中で
少しずつ東の空が明るくなっていくのを眺めながら、私はそう心の中でつぶやいた。
もう10年くらい昔の話。
はじめまして。占い師のハニーです。
現在、私は『愛されたいを叶える占い師』として活動をしております。
今でこそ、マヤ暦や易経、タロットカードを使い、多くの方々の悩みに寄り添いながら、穏やかで優しい日々を送っていますが、
ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
このnoteでは私のこれまでの半生を振り返りながら、自己紹介を兼ねて皆さまに
「愛されたいを捨てたからこそ、見えてきた幸せへの道」
をお伝えしたいと思います。
幼いころの私は、親の期待に応える優等生でした。
3人姉弟の真ん中として生まれましたが、上の姉とは10歳の年の差があるため、2つ下の”弟の姉”という位置づけで、どちらかというと長女っぽい育てられ方をしたと思います。
妹としてよりも「(弟の)お姉ちゃんでしょ?」と言われることが多く、あまり親に甘えていた記憶はありません。
元々内向的だったこともあり、親に言われたことを忠実にこなすタイプの子どもでした。
器用でもあったので成績や習い事などもそつなくこなせており、典型的な『手のかからない子』。反抗的な態度もほとんどとったことがないゆえに、おそらく、姉弟の中で最も親の期待が大きかったと思います。
その期待に応えるように、とにかく成績を落とさず、できるだけレベルの高い学校へ進学することを目指していました。
高校3年の時です。
進学校で、学年でも一番成績の良いクラスにいた私に、当然、先生も親も出来るだけレベルの高い大学を選ぶように進言してきました。
ですが私には、ひそかにパティシエになりたいという夢がありました。
実は小学5年生のとき、姉(当時20歳)が彼氏にバレンタインのチョコレートを手作りするということで、そのお手伝いを兼ねて一緒にチョコレート作りをすることがありました。
お菓子作りの本を見ながら、チョコレートを刻むところから、溶かして、型に流して、一度冷やして、別のチョコレートをまた溶かして流し入れて…。
今考えると割とカンタンなものでしたが、私にとってはすごく新鮮でした。
チョコレートの甘い香りに包まれながら、チョコレートが溶けたり固まったりする過程はまるで理科の実験のようでワクワクしたのを覚えています。
何かを一から作り上げて形にする楽しさと「出来た!!」という満足感、そして出来上がったチョコを軽くラッピングして父親や弟にあげた時にとても喜んでもらったことで、私は子どもながらにお菓子作りにどんどんハマっていきました。
もちろん、学生なので勉強や学校生活がメインでしたが、時間ができると姉の部屋にあるお菓子の本を勝手に借りて(笑)読み、母に頼んで材料を揃えてもらっては時々お菓子を作っていました。
そこから、いつしか「パティシエになりたい」と思い、勉強の合間に製菓の学校をいくつか調べていましたが…親にはなかなか言い出せませんでした。
意を決して行きたい学校があることを伝えましたが、親はあくまで趣味の範囲だと思っていたようで驚きつつ、「県外の学校に女の子が一人暮らしなんてとんでもない!」「商売するのは大変だぞ」「今の成績があるのに専門学校なんてもったいない」などと言って猛反対。
何度か説得しようと試みたのですが、先生にも「あなたの成績で、それはもったいない!」と反対され、最終的にお金を出すのは親ということで、親の意向で栄養士になる道に進みました。
もちろん、今となってはそれは親として私の将来や女の子であるということを心配してのことだったことは充分に理解できます。
後悔もしていません。
ただ、自分の夢を諦めなければならなかった時、私は心のどこかにぽっかりと穴が空いたように感じました。
何より悲しかったのは、私の本当の気持ちを伝えた時に、両親から理解や応援を得られなかったこと。
「私はやりたいことをやることもできなんだ。応援もしてもらえないんだ。そんな価値のない人間なんだ」
いつしか私は、周囲に「イイコ」として見られることが自分の価値だと思い込むようになりました。
ちょっとしたイジメにあったこともあり、人の顔色を伺うように、俗にいう「空気を読む」ことが当たり前にできていました。
友人に対しても遠慮がちで、自分の意見はなかなか言えず、自分の本音を押し殺して生きることが当たり前になっていきました。
その後、それは恋愛の面においても顕著に表れてきました。
私は相手に嫌われることを極端に恐れ、自分の本当の気持ちを伝えられないことが多々ありました。
いつも「イイコ」でいなければならないという思いが強すぎて、相手に気になる事や不満があってもそれを言うことができず、すべてを自分の中にため込んでいました。
そんな状態だったためか、初めての彼氏に浮気をされた時でも、
「私にはあなたしかいない…!」
「好きだから許すから一緒に居たい…!」
と”付き合ってもらっている”というマインドで縋り付いていました。
一度はフラれて別れたものの、数か月後にはその相手から連絡があり「もう一度やり直そう」ということになり、私は「やっぱり私には彼しかいないんだ…!」と思い込んでいました。
ですが…実はこのとき、この相手は当時の浮気相手とも続いており、私は単なる『都合のいい女』として遊ばれていたことを後に知りました。
その相手からすれば、私は(不満があっても言わず)彼の言うことに忠実に従う『イイコ』でしたから、そういう扱いをされるのも当たり前だったんですよね。
自分のことを価値のない人間だと思っていた私は、その彼と付き合っていることも『付き合ってもらっている』という認識になっていました。
自分に嫌気がさしつつも「こんな私だからダメなんだ」と更に自分を責め続け、まるで出口のない迷路に迷い込んだかのようでした。
「愛されているという確信が持てない」
その不安と孤独感で、ちゃんとお付き合いをしている彼氏がいても、ふとした時に寂しい気持ちが溢れてきてどうしようもなくなることがありました。
そんな状態のまま、今の主人に出会い、数年の付き合いを経て結婚。
とても優しい人で、スムーズに結婚に至り、また翌年には可愛い双子の息子たちも生まれ、ようやく安心できる生活が手に入ったと思っていました。
しかし、そこでもまた新たな試練が待っていました。
主人のお義母さんが車椅子の生活をしていたこともあり、主人はとても両親・家族を大切にする人でした。また、たくさんの苦労をしてきたこともあり、お義父さんは自分にも他者にも厳しい人でした。
私自身、自分に自信がなく、無価値観を抱えていたので、主人の実家に行った時に言われた些細なことに、一人で勝手に傷つくことがよくありました。
悪意がないことは分かっていても、子どもたちのことに関して「このままじゃよくない」と言われると「私は母親として失格だ」と言われているようでますます自信を失ったり、「なんで私がそんな風に言われなきゃいけないの?!」と怒りの感情が湧いてきても、やはり抑え込んで押し殺していました。
その頃は実の親とも、実家の金銭的なトラブルのことで関係がギクシャク。
母が急死し、そのあとすぐに祖母も亡くなり、一人で暮らしていた父はなかなか一人で自立した暮らしが出来ずにいました。
借金などもあったために私たち姉弟がいろいろ世話をするものの、一向に父は生活をきちんと送ることが出来ずに、そのことで姉弟間でも父のことを押し付け合うような、とても窮屈な関係でした。
主人は優しい人で、一応はそんな私の話を聞いてはくれるのですが、当時は主人の仕事もいろいろとハードだったこともあり、私の抱える孤独や葛藤を理解してもらうということはできませんでした。
ある日のこと。
私は趣味でやっていたハンドメイドの委託先のショップオーナーさんから、少し離れた会場での大掛かりなイベントに参加するので、一緒にイベントを手伝ってもらえないか?と依頼を受けました。
イベント当日は週末。朝からのイベント開始に合わせて早朝から什器や商品を運び込み、ディスプレイもやって夕方までのイベント。片付けもするとほぼ丸一日がかりになります。
我が家は主人が職業柄、週末は家にいないので、当時はまだ小学校低学年だった子どもたちは、主人の実家に前日から預けさせてもらえないか…義父に伝えると
「子どもたちを置いてまでやらないかんことなんね?」
と、私の活動に対して釘を刺されるようなひと言を言われました。
預けることは了承してもらいましたが、そのひと言がどうしても心に引っかかってしまいました。
「私は母親としてダメなの?自分がやりたいこともやっちゃダメなの…?」
電話の受話器を置いたあと、そんな気持ちがグルグルしました。
自分は何をしても無価値な人間なんだ、という黒くて重い感情が頭をもたげてきました。
悲しいような、空しいような、どうしようもない気持ちになって、その日、仕事から帰ってきた主人に、ことのすべてを話しました。
「そう思うなら、預けなきゃいいやん」
たぶん、主人は悪気はなかったと思います。
前述したとおり、仕事の後で疲れもあったでしょうし、何より私と実家の間で板挟みになるのはしんどい気持ちがあったと思います。
だけど…私はこの時
「私の味方になってくれる人はいないんだ」
と、大げさかもしれませんが、深い絶望感に陥りました。
「もう、期待なんかしない。愛されたいなんて諦めよう…」
それは乾いた心の中で空しく響き、同時に私の心を支配していたようでした。
そこからの数年は、文字通り何かと一人で戦うような日々でした。
子どもたちこそ特に問題もなく育っていましたが、主人とはその一件のあとは心の距離を感じてしまい、素直に甘えたりできずにいました。
実家(主に父)や姉弟間との関係もこじれていくばかり、仕事での人間関係や友人との関係でも信じていた人に裏切られるようなことがあったり…。
「私の何がいけないんだろう?」と自問自答するも、苦悩は消えることはありませんでした。
そんな私の人生を大きく変えたのが、5年ほど前の『マヤ暦・易経』との出会いでした。
ちょうど40歳の誕生日。
知人からバースデーメッセージをもらったのですが、そこにはちょっとした占いのようなアドバイスが添えられていました。
知人に聞くと、2年ほど前からとある先生の元で『マヤ暦・易経』を学んでいるとのこと。
彼女は元々から華やかなオーラのある女性でしたが、その頃はますますお仕事が順調になってきていて、とても人生が充実している憧れの女性でした。
アドバイスが的確だったことと、なんだかピンとくるものがあり、私もその先生の元で学ばせてもらえないか?と彼女にお願いしました。
そこから私はのめり込むように『マヤ暦・易経』を学びました。
学んでいくうちに
「繊細さ」
「感情の波の揺れ幅の大きさ」
「環境に左右されやすいこと」
など、総じて私が感じていた「生きづらさ」が、実は自分の生まれ持った本質からきていることが理解でき、「そういうことだったのか…!」と腑に落ちました。
更に学びを深めていくにつれて
・これまでの人生の中で出会った人たちとのご縁の深さ(特に家族)
・起きた出来事の意味
それらが少しづつ紐解けていき
「私はありのままでいい」
「私もみんなも、誰もがそれぞれの役割をしているだけ」
「私にも周りの人にも、それぞれのタイミングがある」
このことを深く理解することができるようになりました。
人生の道に迷い、心が荒れ果ててしまっていた私にとって、この学びは自分の内面を掘り下げ、向き合うことを教えてくれました。
ひと言でいえばそれまでの人生、私は被害者意識で生きてきたことを痛感しました。
「自分という人間の存在価値を自分で認めてあげること」
「他でもない、自分自身が誰よりも自分を愛してあげること」
このことの大切さを教えてくれました。
また同時に、心理学や脳科学・量子力学やスピリチュアルなど、興味が湧くあらゆるものを独学で学ぶことで、ただの占いを超えた多角的な視点を持てるようになりました。
現在は更にタロットカードも占術として加え、元々持っていた直観力にも磨きをかけるべく精進しているところです。
5年前から学び始めてからは、主人とも変な意地を張ることなく素直にコミュニケーションが取れるようになり、子供たちの思春期もなんのその、家族の仲は順調です。
また、現在の職場ではとても良い人間関係に恵まれ、何となく気の合わない人はいつの間にか居なくなる、ということも何度もありました(笑)。
出会う人も、今まで出会うことのなかった経営者の方々や全く分野の違うお仕事をされている方、海外に住む方などとご縁をいただくようになりました。
1年前に父が亡くなりましたが、その時には父や兄姉間とのこれまでのギスギスした関係は一切なくなり、とても穏やかな気持ちで見送ることが出来ました。
誰との関係にも余計な心配をすることが減り、何よりも自分への信頼が増し、自分に安心して過ごせる…
時には悲しいことやネガティブなことが起こっても、自分を信じ「大丈夫」という気持ちで穏やかに過ごす毎日を送っています。
占いを通じて多くの人々と出会い、共に成長してきた今、私は確信しています。
占いは単なる未来予測の手段ではなく、また現実から目を逸らして気分"だけ"を盛り上げるものではなく、人生の選択肢を広げ、希望とご本人の真の魅力を見つけ出すためのツールのひとつです。
過去、何度も「私なんか生きている価値なんかない」と孤独に陥り、心が弱く、感情に踊らされながら、私は苦しさを乗り越えてきました。
その経験こそが、今ここで、皆さんの心に寄り添い、共に未来を切り開いていくエネルギーとなっています。
今のあなたも、自分に自信が持てず、そんな自分をますます責めて追い込んでしまい、恋愛や人間関係で深い悩みや迷いの中で苦しんでいらっしゃるかもしれません。
「誰にも愛されない」
「誰も味方になってくれない」
「私はひとりなんだ…」
そんな風に孤独を感じていらっしゃるかもしれません。
でも、安心してください。
あなたはひとりではありません。
どうか私と一緒に、心の奥に光を見つける旅に出かけましょう。
あなた自身が自分の心の奥にある真実と魅力を見つけ、希望をもって一歩足を踏み出すためのサポートをすること。それが私の役割です。
私は、あなたの心のガイドとして、いつでもここにいます。
どんな状況だったとしても、必ず希望はあります。
その希望と、未来へと歩み出すための力を見つけられるよう、全力でサポートさせていただきます。
どうぞ、ご相談にいらしてくださいね。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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