雨降る日に考えていたモノ
こんばんは。デルタと申します。
私は精神疾患と発達障害を持って、現在療養中のものです。
最近、思うことや感じること、考えていることについて徒然なるままに記してみようと思います。
3月も終わりに近づくと期待や不安、そして私自身の闘病人生や仲間との想いでについて考えることがあります。
冬が終わりに近づき、また季節が変わろうとしています。私はこの3月が一番好きですが、とても苦手です。高校時代、勉強しても薬の副作用によりほとんど数式や英単語が入ってこなかったり、第一志望の大学に落ちたこと、そして苦しいながらも高校を卒業できたあの時代を思い出します。
国立大学の合格発表も終わり、世間は少しずつ新生活の準備が始まろうとしています。新社会人の方は高校や大学等を卒業し、これからの未来に期待を膨らませている方もいるでしょう。
私は大学を卒業した時、新卒の就職活動に失敗し留年という形を取らず卒業してしまったことを今でも後悔することがあります。「あの時こうしていればよかった」とか、「もっと良い選択があったのではないか?」とか…あげたらきりがありません。
その中で、私の生き方や考え方について少しだけ変化があります。
今までは、「学生時代に戻りたいな」とか、「学生時代のような生活をまたやりたいな」と思っていました。しかし、もうあの頃には戻れないし、あの頃に戻っても同じことを繰り返してしまう…そして、「前に進むことができない」と思うようになりました。
いつも苦しい時、学生時代の時みたいな笑顔になりたいと思っていました。今は学生時代の仲間とは少し距離はありますが、程よい大人同士の関係性を構築していると思います。
私の周りもほとんど、家庭を持ったり、趣味に仕事に楽しんでいる人が多くなりました。
幸せって何だろうな…っていつも思います。
2024年の抱負にも書きましたが、気軽に話せる仲間や新しい趣味を作って行きたい…特にスポーツサークルやアウトドアをしたいなって細やかながら思っています。
忙しなく過重労働をしている時は趣味や自分のやりたいことについて考える余裕が全くありませんでした。またコロナ禍も重なりで中々、友人にも会えないことや職場の飲み会等も少なかった気がします。更に同期同士の横のつながりも少なかったなぁ…って思います。
雨降る日、1人でベンチでタバコをふかしながら考えていました。
「自分なりの幸せを見つけていきたい」と。
些細な楽しみを見つけて行きたい。雨の日の散歩、雨の日に感じる音、雨の日の桜の蕾…
五感というやつですかね。
過去の自分を悔やむよりも、これからの人生を楽しんでいきたい。そう考えるようになりました。
だって、過去を悔やんでいたら、これからの自分が可哀想だし、幸せな未来を描くことができないと感じたからです。たまにノスタルジーな気持ちになることは良いですが、深く考えても辛くなるので、軽く考えていけたらと思います。
私は大学院を卒業して1x年になります。先日、私の恩師の最終講義があったそうです。私はあの時、卒業しきれなかった苦しい想いがありました。
その中で、私はやっと1x年経ち本当に学校というものから卒業し、自分の人生を歩んでいこう…そう考えるようになりました。
中学時代、誰にも苦しさを話せなかった私…
高校時代、逃げだしたかったあの土地…
大学時代、何もやっても中途半端だった私…
社会にでて…技術者として働いてもうまくいかなかったあの時代…
そして、今の仕事…
様々な葛藤を抱いていますが、やっと過去の自分から卒業できるな…と思っております。
雨降る日に少しだけ過去の自分から少しだけ成長できた気がします。雨の日を1人で感じることも悪くない…そんな気持ちになれた私は幸せです。
本日は徒然なるままに記してみました。この記事を読まれている方も些細なところで新たな気づきがあるかも知れません。私はそんな些細な気づきや幸せを大切に、これからも1日1日を大切に生きていこうと思います。
デルタ
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