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時代(とき)の流れ…6月の終わりに【療養日記】

こんばんは。デルタと申します。
私は精神疾患と発達障害を持って療養生活を送っているものです。

本日は6月の終わりに思っていることや考えていることを徒然なるままに記してみようと思います。

私は仕事を休んで一年強の月日が流れています。その中で様々な考えや行動を起こしてきたと思います。

これだけ仕事を休んでいると、今までの生活が正しいか?正しくないか?等がわからなくなることがあります。ただ、自分の中である程度自分で納得できる形にして今の職場に戻れたら良いなと感じています。

現在の状態になり、今までの3x年の人生で一番自分自身と向き合っていることも確かです。主治医を始め様々な人の助けで生きているのかな…とふと梅雨の雨降る夜に思うことがあります。

今は幸せ、不幸せの二択なら多分、幸せなんだと思います。信頼できる主治医がいて、全てはわかってくれないと思うけど相談できる人もいる、たまに遊ぶ仲間がいる、その環境に感謝できていることが私の中で「幸せ」なんだと思います。

もう学生の頃から1x年です。学生時代の仲間とは月日が流れるにつれ疎遠になり中々話も合わなくなり、私の中の居場所はどこなのか?と以前は自問自答していました。

今の職場に行き、その生活が流れる時間軸で私は新たなキャリアをスタートさせたと思います。あの頃の私は自信がなく、その環境がいかに恵まれていたことに気づきませんでした。確かに、高圧的な先輩や上司等とは中々うまくいかなかっただろうし、畑違い分野の職場に来た私は、その仕事を覚えることに必死でした。
でも、月日が流れた現在(いま)思うことがあります。

それは、周りの人は大した人間ではないということです。大したことがないというのは語弊がない様に言うと能力が低いと言うことではなく、平凡な人間の集まりだと言うことです。私もその大したことがない平凡な人間の1人です。ただ、一つ異なるとしたら周りの方々は人に助けを求めることができ、継続的に業務を遂行し、自分のキャパシティを考えて仕事をこなし、プライベートでは個々の好きなことをしていることではないでしょうか?

私は今後、仕事に復帰できた暁には「自分を大切にしよう」と思います。

「できないことはできない」と、「わからないことはわからない」、そして、「人に助けを求めよう」と思います。
併せて、周りの人のことは気にしないスタンスでいける様に自己の認知や行動の癖を修正できるスキルを何とか身につけていこうと考えております。

今は本やYouTubeでも解説がありますし、病院等だけでなく、自分でも働く、生きていく上で取り組めることは取り組んでいこうと考えております。


コロナ禍に始まった私の新たなキャリア。初めての障害者雇用で何もかもが整っていなかった時代。私はできるだけ周りのせいにしたくなかったです。しかし、あの日の私はいつも周りのせいにしていました。

あの人のせい、会社のせい、世の中のせい、制度のせい、等と投げやりになっている私がいたことも事実です。

コロナ禍のあの日、やっと普通に生きていけると思いましたが、コミュニケーションが取れない情勢により自己のメンタルがどんどん病んでいました。
しかし、今の私はその様な状況に陥ったのは私だけではなかったことに気づきました。仕事を休んでからの生活で私と同じようにコロナ禍で「人生の中の幸せ」を失ったと同じ様に話している人がいました。その方々もきっと同じ様な経験をし苦しかったのだろうと心の奥底で感じています。

今の私は一般の人のいわゆる普通な生き方をしようとは思っていません。仕事やプライベート等色々あると思いますが、好きなことに軸を置こうと今後のプランを考えております。もちろん今の仕事には戻ろうと思っています。その中で自分が熱中できる趣味や仲間を作っていこうと考えています。

コロナ禍のあの日は、そんな趣味や仲間を構築することができなかったです。でもあの日からx年経ち、今の自分ならあの時代よりも前向きに生きていける気がするし、助けてくれる人もいる気がするのです。

学生時代の様に未来に希望を持ち社会に出たら稼いでやろう等と考えることは今の私はもうしないと思います。

何をやるにも程々に、好きなことを楽しもう、その方が数年後の私は幸せで笑顔が溢れる人生を歩んでいると何となくですが思うのです。

本日は6月の終わりに徒然なるままに今の考えや気持ちを記してみました。
明日から7月ですがもう一度初心に戻り努力を続けていこうかと思います。

令和6年6月30日
デルタ

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