「気づいた人がやる」システムは信頼を落としてしまう可能性が高い話
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皆さんは仕事や、家事などにおいて役割を決める際に
「気づいた人がやる」
という提案を耳にしたことはありませんか?
私は結構あります
しかしこれは経験上、とても良くないシステムであると感じています
皆さんもうすうす感じてはいるのではないでしょうか
なぜそう思うのか
それは必ず特定の人だけに任せてしまう流れにつながるからです
この「気づいた人がやる」というシステムでは必ずこの問題が発生します
「気づいた人」が決まってしまうのです
「気づいた人」には見ていて、特徴がありました
・気遣いができる
・それがなされていないと我慢できない
・要領がよく、それにいち早く気づく
等です
これは「人のよさ」も関係しつつも、人間の「特性」的な部分も大きいと考えてます
ただ、「気づいた人」に対して、しっかり感謝し、適宜フォロー、役割分担がその後もしっかりなされていればこの話はこれで終わりです
しかし「気づいた人がやる」という流れは
それ以外の人がその役割をこなす頻度が著しく減り、「いつもやっていて要領が分かっている人がやればいい」に徐々に理由が変わっていき、
最終的は「その人の係」という既成事実が生まれてしまうこともあります
そして、私が一番良くないと考える結果は
最初の取り決めはなかったことになり、
周囲の人が「あの人の係だよね」と悪意なく言葉にすることです
そうなると、「気づいた人」の善意も台無しになり、大きくモチベーションが下がるばかりか、「気づいた人がやる」と決めた同僚等への信頼も崩れ去ります
「気づいた人がやる」
簡単に実行できそうな言葉ですが、上記のことをしっかり肝に銘じておかないと、いたずらに人を傷つけることになると自覚しておきましょう
気づいた人がやる…ちょっと返信傾向からみて
「自分のやり方でないと満足できない、他者のやり方に納得できない人が気づいて行う、自分の仕事とする」
はやっぱりあるんだなと感じました
それは本人の特性によるもので、それを周囲に伝えて了承をもらっていたり、自分自身が辛くないものになっていれば上手くコントロールできているのではないかと思います
ただ、「相手が上手くできていないから」、「自分の方が上手くできるから」という他責思考の自己肯定的思考になっているなら
それはやっぱりうまくいかないだろうな と改めて感じています
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以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
質問等あれば、書き込んでいただければ