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遺言四十九

そう。
友情なんていうものはそういうものだ。

情があるから友であり、友があるから情も出る。

強要するものではない。
共有することもまた異であるということ。

環境、状況が変わっても変わらないのであれば友である。

向こうから離れる
こちらから離れる
双方どういう異なる状況であれば仕方のないこと。

「孤独は友人だ」「人はサヨナラの傘を用意しておかなくてはならない」
かつてこんなセリフがある映画があった。

自身が誰かを選ぶなら誰かが誰かを選ぶ。
当然のことだ。
それは自由であり、儚くも切なくもある。

若ければ若いほど。
それが恋愛模線であればあるほど。

40代50代になればまた別の話しになってくる。
更年期という面倒なものが増えては何かを奪われていく。
老いに向かう。
それは美しいことでもあり、儚くもある。

女同士の友情ともなれば、これまた複雑であり面倒だ。
自己中が露骨に見える場合もある。

それもいつ儚く終わるものか。

思春期に同じような経験をしたことがある。
「え?私何か悪いことした?」とゾッとし落ち込んだこともあった。

更年期の今、同じようなことがあった夕方。
私は19歳女子大生のnoteで気付かされる。

重たい荷物はもう下ろしてしまおう。
そこを突くのをやめようと自然と行動が現れた。

ある相談をしようと電話をくれとメッセージし
今晩かかってくる予定ではあった。

しかし、こちらから連絡するまでは放置という状態であった。
彼女は彼女で忙しいのだろう。

「明日の朝に電話する」と言われたが
その電話を受けたとて、もう何も変わらない。

疲れることはもうできない。

人の執着でしかなかった存在であったことを
19歳の女子大生の投稿に気づかされた夜であった。

いのち短し
「今目の前にいてくれる人を大切に」
※19歳女子大生の言葉

いのち短し
どうせ死んだらわからない

いのち短し
一つ一つ手放して身軽に彼方へ

いのち短し
違和感とは違和感
それを感じれたことはチャンスの兆し

いのち短し
死んだら産まれる

いのち短し
産まれるから死ぬ

いのち短し
いのち短し

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