リポーターから阪神のユニフォームを着た感想を聞かれ 「阪神のユニフォームっていうのはテレビでしか見たことなかったんで 凄くうれしいです」 丁寧に真っ直ぐ応える横田慎太郎選手。 鹿児島の方言も少々入り、それもまた美しく。 2013年10月24日 名門鹿児島実業からドラフト2巡目で阪神2位指名。 初めて縦縞のユニフォームを着た横田選手の眼差しは緊張の中にも美しく光る。 入団してから変わったのは体格。 真っ直ぐな眼差しは変わることはなく 引退後の活動でもその瞳は初めて阪神
阪神タイガース 横田慎太郎 背番号24 動画サイトにて引退試合での「奇跡のバックホーム」を見ることができた。 これは「奇跡」ではなく 「努力」のバックホームという気がしてならない。 横田慎太郎に関しては「気がしてならない」事が多い。 今、彼を知れたということ 今後も彼を追ってみようと思えること いつの日か甲子園へ行って阪神の試合をこの目で見たいという目標を持てたこと 横田慎太郎 何もかも美しく
横田君 本当に君はどこか別の世界へ逝ってしまったのだろうか。 私は阪神ファンではない。 でも、君を知っている。 それは阪神の選手だから知っている。 阪神が動けば日本も動くようなそんなチーム。 だから知っている。 もちろん西に住んでいるわけではないし 野球に興味があったわけではない。 しかし野球は知っている。 そして君を知っている。 君が引退試合で「奇跡のバックホーム」となるものをしなくても 君は有名であり、その後も有名になっていた選手だと思う。 横田君の真っ直ぐな
日ハム vs ロッテのクライマックスシリーズ始まった。 現在住んでいる地域では中継がない。 巨人vsベイスターズは放送されている。 どうしても新庄監督の下でやってきた選手たちの仕上がりを見たかった。 いちいち配信と契約することすらも面倒になり実家へ連絡しLINEの画面を通して中継を見せてくれと頼んだ。 ちょうど兄が帰宅したようなので何やら角度を変えたり音の迫力をプラスしてくれたり何やら色々とやってくれている。 おかげで最後まで試合を見ることができた。 ただ、いつも大き
夢見が悪い。 夜空をを見上げる。 パパ どこにいる そっちに行かなきゃ 話しすらできない まだまだだ行かせてもらえない あとどのくらい何を乗り越えたらパパと馬鹿話しができる? またあの星を見上げる 相変わらず濃い色してるなあ 玄関開けて左の空にはだいたいいるのに今日はいない いつ、どこで会える 「おまえばっかだな!だから好きだ!」 「わかる!そういうことよ!」 あの豪快なパパは今どこよ 心繊細過ぎで自分より友達家族 なんでもネタにして笑いをとる こういう日記
世間で起きていることに興味がないが 歯を磨きながらテレビをつける 23時のニュース 鹿児島県警の事件隠蔽報道は以前から知っていた 容疑者となる立場の弱い側は真面目である 一生懸命隠蔽しなくてはならない本部長側は隠すのが相場 その上にまた強気者がいるのも相場 こんなことは警察内部ではよくあること もう一人内部告発者が出てきたとて 出る杭打つのも相場 容疑者となった正直者側は人に愛される側であることも相場 いつの日か真実が明らかになることを願うが それも叶わなく 自然
思いの外 今日は調子が良い。 午前中、介護士の「知人」と電話した。 彼女はLINEの「友達」に入っている。 しかし彼女は「知人」である。 家族も「友人」に入っている。 従姉妹も。 家族親戚は「友人」ではない。 利用する店の公式LINEも少々。 やはり「友人」ではない。 屁理屈であるが前にこの当たり前をどうしたら良いのだろうか?と考えなくなった。 知人であり友人ではない人物で留めることができる自分が出来上がったのだ。 こびりつきを強いタワシで擦り落としたのではない。
そう。 友情なんていうものはそういうものだ。 情があるから友であり、友があるから情も出る。 強要するものではない。 共有することもまた異であるということ。 環境、状況が変わっても変わらないのであれば友である。 向こうから離れる こちらから離れる 双方どういう異なる状況であれば仕方のないこと。 「孤独は友人だ」「人はサヨナラの傘を用意しておかなくてはならない」 かつてこんなセリフがある映画があった。 自身が誰かを選ぶなら誰かが誰かを選ぶ。 当然のことだ。 それは自由
5月15日 朝10時に叔母は認知症の為、精神内科へ入院してしまう。 帰省すれば必ず叔母の家にたくさんの料理を持って遊びに行く。 親戚がたくさん集まる家だった。 後に叔母の兄弟姉妹達の病気、亡くなった叔父もいれば足が悪くなったりなどで 集まることが少なくなってきた。 コロナ3年の間に。 最近は兄弟も連絡してこないと言う。 妹夫婦とその子供達だけがこの叔母のお世話をしに通って通って通いまくった。 妹も82歳である私の母。 悔いが残らないようにしてあげたい。 そして自身も悔
叔母の認知症が進んでいる。 5月15日 認知症病棟へ入院し薬物治療。 いよいよである。 老々介護が限界である。 現在、従姉妹が一緒に住んで面倒を診てくれているのはいいが… この従姉妹がとんでもない。 面倒を診ているというより自身の家が出来るまでの期間限定ではある。 それまで一人暮らしの叔母の家に居候だ。 しかし家が出来る前に叔母は入院をする。 叔母ちゃんは暴言がひどいというが 私と電話をするとそうではない 「元気だったかい?」 「今度一緒にお茶しよう」 「美味しい
4月27日 大阪靱公園にて恒例「風のハミング」 FM COCOLOにてKANちゃんの「良ければ一緒に」が流れる。 要さん、馬場さん、竹善さん、トータス松本さんにマッキー。 KANちゃんの飲み仲間が集まったという。 その場にいる雰囲気にしてくれるこのアーティストたちの力は一体なんだろう。 好きだからそう思い込んでいるかもしれないが。 KANちゃんは今、違う世界へ行っているようだけど 今頃どこで何してるんだろう。 そしてブギウギワンダーレビューを贅沢にも2度も。 是非
世代ではない 学生の頃は小室ファミリー全盛期 それは突然やってきた。 「スターダストレビュー?今夜だけきっとしか知らないな…」と思いながら 動画サイトで音を探す ライブ動画を大画面に映す SSKオールスターズの動画 KANちゃんも杉山清貴さんも すぐにチケットを探す しばらくライブ映像と共に盛り上がる とにかく楽しい要さんのトーク 平城京が奈良ではなく大阪にあるとトークで言ってしまったことを 歌にしている この人はなんなんだ? 歌もトークも素敵で すぐチケットを
結局、人は人に頼って欲しいのだということ。 そうではありたくないと思う自分。 できれば頼ってほしくない。 そう創っていくうちに私はそれを成功した。 家族は別だ。 頼っても頼られてもいい。 しかし、どんなに心友だと言っても赤の他人だということ。 生きているうちに友人は少しで良い。 持っているモノも少しで良い。 コレを持っていない 友達が少ない これらを何故、恥じる必要があるのか。 それでいいのである。 友達が多いと自慢する人の様を見ているといたたまれなくなる。 多けれ
「歌う ~ずっと好きだった曲~」という番組を観た。 KANちゃんと親しい友人、共演者などがKANちゃんの思い出を語る。 根元さん、三谷さん、ASKAさんに竹善さんなど。 やっぱりふざけてるKANちゃんを思い出すと。 これはファンも同じかな。 ライブに行ったわけでもなければCDは少ししか持っていないKANちゃん。 それでも好きなんだな。 KANちゃんといつでも連絡をとって会っていたKANちゃんの友人たちはいなくなったことを実感してしまう。 それでも「あいつ死んだんじゃ
ただ最初に申しておきたいのがこの画像の大学ではないということ。
あの時「手も振らずに別れた」ことを後悔する。 見上げても見上げてもどこにもいない。 もう心の中でしか生きていないのだろうか。 死んだ人間をそう思うのは単なる気休めだろう。 手を振って別れていたなら 見上げれば見上げるほど涙が溢れているだろう。 いのち短し その先の言葉はそっちの世界にあるのだろう いのち短し けれど空は青 深夜の ASKAは沁みる。