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「考える」と「答えを出す」が真逆であるという仮説-頭の使い方

ナイスアイディが出るときというのは、風呂に入っているときとか、寝床でうとうとしているときとか、そんな時で、必死に考えてるときってそんなに「降りてくる」ことってない気がします。とはいえ考えることが無意味ということもできず……

それで、こんな仮説を立ててみました。

考えているときというのは脳を興奮させているとき。新しく仕入れた情報や脳内に既にある情報どうしを連結させる時間だと思います。たぶん脳細胞と脳細胞が情報的に連結したり、そのためにシナプスが伸びたり、そういう時間なのだと思います。このとき、必ずしも答えに近い連結ばかりが起きるわけではない気がします。そんなに脳も脳細胞も器用ではないでしょうし、最初から答えが分かっているわけでもありませんし。

そして、答えが「降りて」くるときというのは風呂に入っているとき、うとうとしているときですから脳の興奮が落ちているときだと思います。

両者とも、脳の興奮度については、私が考え事をしたり答えを出すときの内観と一致している気がします。

そして、脳の興奮度を落とすと、あまり強くない脳細胞の連絡が弱くなり切れていき、強い脳細胞の連絡だけが残ってゆくと思います。そして充分に脳細胞の連絡が刈りこまれたときに答えが「降りて」くる気がします。

これは仮説でしかないのですが、考える(=脳の興奮度を上げる)ことによって結合した脳細胞において、より関連性や整合性が高いところに強い連絡が生まれるのではないでしょうか。そして、脳の興奮度を下げる(=答えを出そうとする)ことで弱めの脳細胞の連絡が絶たれ、強めの脳細胞の連絡だけが残り、正解が導き出される……

もしこの仮説が正しければ、脳の興奮度の上げ下げを上手に行えるようになれば効率的に思考し正解を導くことができるようになります。
少なくとも私は脳の興奮度を上げ下げするためのツールを持っています。それは瞑想です。瞑想というか、己を研ぎ澄ます訓練や、己をくつろがせる訓練です。

瞑想は心を無にする訓練などといわれますが、心の中から言葉を追い出すという意味では心は無になっていきますが、そのとき緊張するか緩和するかについて述べている資料は少ないと思います。そして私は緊張する訓練をするときもあるし、緩和する訓練をするときもあるし、両方とも大切だと思っています。基本的に、緊張するためには筋肉に力を入れ、緩和するためには筋肉から力を抜くだけです。特に表情筋や顎の筋肉、奥歯の噛みしめ強さ、頭蓋骨を包む筋肉、それらに力を入れたり入れなかったりするだけで緊張と緩和は行われます。

頭をよくして創造性を高めるために瞑想は有効ではないかという仮説を提唱したいです。

ただ、瞑想だけしていればいいってもんじゃないのは当たり前です。脳は脳内にある情報を使って答えを出すことしかできません。勉強してたくさんインプットをしたほうがいいでしょう。

また、インプットを有効に行うためには、インプットしようとしている情報が有益であると脳に思い込ませる工夫が大切です。また、既に脳内にある情報と関連がある情報が脳への定着がいいです。

つまり、馬鹿な人が頭がよくなるのはたいへんで、すでに頭がいい人がさらに頭がよくなっていくのは簡単であるということになります。

世界そのものに興味と感心があり、世界に満ちあふれているさまざまな法則を好み、かといって複雑さや矛盾を嫌わず、生きていることに前向きな人ほど、様々な情報に価値を見出しやすいので、頭がよくなりやすい傾向があると思います。

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