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【推し燃ゆ】推しとの距離感とれてる?あなたの推し活は幸せ?

「あなたに推しはいますか?」
「どんな推し活してますか?」
「推しとの距離感はどのぐらいですか?」

私にも「推し」はいるけれど、ふわっとした好きだと思うし、複数人いるので炎上した時にもダメージは少ない。元々一人に絞れないのと複数好きな人がいることで自然とリスクヘッジしているのかもしれない。

それでも推し関連のSNSのチェックやいいねはこまめにするし、コンサートにも東京近郊であれば必ず行っているが、自分の精神や生活を侵されないように、わりとしっかりめに距離を取る工夫をしている。
やっぱりね、生活全てが推し中心すぎるのは個人的に性に合わないだけなんだけど……。

で、宇佐見りんさんの芥川賞受賞作「推し燃ゆ」だが、なんとも胸がヒリヒリとギュッと痛む話だった。

推しが燃えた。
ファンを殴ったらしい。

というキャッチーな一文から始まる。いわゆる「炎上」ですね。

主人公あかりは高校生で、とあるグループの真幸くんという推しに心血注いでいる。
ファンには色々なタイプがいるのだが、あかりがやっていることは
「推しを本気で追う。そして解釈してブログに残す」という形で、最終的には推しと自分を一体化させることにある。

推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

推しは背骨。あかりにとって推しがなくては一人で立つこともできないぐらいの存在。そして、あかりは推しとの距離感はゼロに近づけようとしている。

更にあかりには発達障害や学習障害、ADHDかと思われる病名がつけられていた。保健室通い、忘れ物、汚部屋、人の言葉を正面から受け止め適当な行動ができないといったエピソードが続いて読んでいて、どんどんこちらも苦しくなる。

家庭や学校で自分がお荷物であること、だからこそ「推しを推す」という行為だけが自分が自分であり、生きる意味を持つ状況=背骨なのだ。

あかりは推しのCDやコンサートに行くために、文字通り身を削ってバイトをしお金を注ぎ込んでいく。ろくなものも食べないで痩せ細り、顔中にできたニキビを隠すために前髪を下ろす。自分だけで推しの誕生日ケーキを買い、無理に食べて吐く。

この辺でさすがに
ちょっと待って!!となった……。
推し活って楽しいものなんじゃないの?
まるで苦行の中に喜びを見出す修行のよう。

あかりはSNS上ではしっかり者のお姉さんを装っており、それなりにファンからの信頼も厚い。SNS上での虚像によっても自分の価値を見出しているように見える。(やっぱりSNSの発信情報だけではその人の実体はわからないものだ→ここ重要

その推しが炎上し、もはや推し活ができない状態にまで陥るのだけれど、そしたらあかりはどうなるの?って話。

ややネタバレになるのだが、あかりはどんなに課金しても、情報を網羅していても「推しとの距離はゼロにならない」と気づく場面が出てくる。
それはたった何秒かに目撃したもの。そのシーンのリアルさには私も打ちのめされたし、宇佐見さんのその部分の描き方に感動した。

純粋に推しとの一体化ができると信じている状態の推し活って、推し=自分ですよ。そんなこと可能なわけない。

推しがいなくても生きられる人間であること。つまり背骨はあくまでも自分のもので、推しの存在は地肉として自分を豊かにさせる存在にとどめるのは大切かもしれない。

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