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良い一日を。

 一言でいうと、切ない。二言でいえば、切ない、そして、明るい。


 マイ・プライベート・アイダホ。喜劇とも悲劇とも言い切れない、でもその二つを矛盾することなく併せ持つ、そんな作品だと思います。


 リヴァーフェニックス演じるマイクウォーターズと、キアヌリーブス演じるスコットフェイヴァーのダブル主人公。リヴァーは、23歳という若さでこの世を去ってしまいます。そして、リヴァーとキアヌは友人同士だったようです。



 マイクとスコットは同じ男娼として働いていた。マイクはナルコレプシーという突然眠ってしまう病気を持っている。スコットは客の前で突然倒れたマイクを介抱し、そこから二人の関係が始まる。


 不良少年たちの親方(?)的存在のボブやその仲間たちとのコミカルなのかシュールなのかよくわからん映像とか、静止画で表現されるお客とのベッドシーンとか、なんか前衛っぽい、奇妙な雰囲気もあるけど、見終わった後には、心の中にふと浮かんでくる切なさと、それから、拍子抜けしたような明るさを感じられる。


 マイクの母親を探す旅の途中で、二人で焚火を囲みながら、話をするあのシーンがこの映画のクライマックスと言えるだろう。マイクは、スコットに抱いている友情以上の感情を伝えるのだが、スコットはそれを遮る。でも、自分以外に頼れるものがいないマイクの境遇に同情し、マイクを抱きしめる。
 もうね~ここが切なすぎるんだよね。全映画の中でトップテンに入る切ないシーンだと思うね。(と、大学生になってからぼちぼち映画を見始めた女が申しております)


 スコットは、男と寝るなんて金稼ぎ以外でやっちゃいけないと思ってる。もうこの時点で完全にすれ違ってるし、それに、実はスコットって、いいとこのおぼっちゃんなのよね。父親が市長かなんかで、自分も次の誕生日を迎えたら、その世界に戻ろうと考えている。マイクは、スコットのことを自分と同じ目線で世界を見て、理解してくれる最高の仲間だと思ってる。でもスコットからしてみたら、ほんの一時の父への反抗、そして、マイクは本来関わることのない、有象無象の中の一人でしかない。もしスコットがこういう立場じゃなかったら、マイクのことを抱きしめたりしなかったと思う。これは、持てる者が見せる、弱者への哀れみ的なやさしさだと思う。
 焚火に照らされたマイクの悲しそうな顔を見ると、なんだかやるせなくなっちゃうよ。



 そしてスコットは元の世界に戻る。仕立ての良いスーツを着込んだスコットと、いつもと変りない服装のマイクが出会う。二人の目が合う。おそらく気づいているのだろうけど、何も言わない。二人の世界は完全に隔てられてしまった。いったい何に?会おうと思えば、話そうと思えば、できないことはないだろう。でも、そうしないのが大人の世界なのだ。冷たいようだけど、そうやって私たちは、自らの幸せを守っているのだとも思う。


 マイクは、アイダホの長い長い道の上にいる。道の先は、「殴られた人の顔に見える」 ナルコレプシーが発症して、道路の上で眠ってしまう。それを誰かに拾われる。(後で調べたら、彼を拾ったのは兄だという)
 そして最後に、「have a nice day」



 これは誰に向けてのメッセージなのか?マイク?スコット?不良少年たち?

 これは、それぞれの道で、それぞれうまくやれよ、という、私たちみんなに向けられたメッセージだと思った。マイクはスコットと一緒にいられなかったから、不幸なのか?彼と同じような恵まれた生活を送れないのは不幸なのか?最後に、マイクは兄に助けられた。そして、マイクはスコットのいない元の生活に戻る。

 人の数だけ生きる道がある。だから、人と違う道でも決して不幸ではないのだ。その人だけの経験や、感情があれば、もうそれで十分だと思う。有名人やお金持ちは幸せそうに見えるけれど、その人は決してそれ以外の人生を経験することができない。まったくの一般人が、朝起きて日の光を浴びた時の幸福や、眠い目をこすってかじる焼き立てトーストのおいしさとか、湯船につかって、一日の疲れをいやす瞬間の安らぎは、その人個人のものであって、ほかの人が行動を真似ても、完全に同じ心境に至ることはできない。

 だからこそ、その人がその人である限り、それ以上の幸福は望めないんじゃないかと思った。

 それでは、この辺で、さようなら。

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