【感想】永遠のようだった二十五、二十一が終わりました。
4月3日、ずっとずっと見守ってきた「二十五、二十一」が最終回を迎えました。
この作品のテーマは「一瞬の青春」
私のこの視聴後の感情も永遠ではないので、こうして書き残しておきたいと思います。
私自身はちゃめちゃにロスっているのですが、これを書くことで一旦自分の中で消化したい!
受け止め方を迷っている方はこんな受け止め方もあるのだな〜と参考にしてみてください。
あ、もちろんネタバレありの感想なのでまだ最終回まで見ていない方は見終わってから読んでくださいね。
15.16話(最終話)はヒドイジンのすれ違い、別れが描かれました。
記者イジンはヒドが恋人になったことで「ヒドへの客観性を失った」と、スポーツ部のフェンシング担当を降り、社会部に移ります。
社会部に移ったことでスポーツ部時代の何倍も忙しくなってしまった。
まず、「ヒドを傷つけないためにした選択が結果的に2人を別れさせてしまった」と言う事実に辛すぎて胸が痛いです。受け入れ難い。
デートの約束をしてもドタキャン、遅刻の日々が続き、イジンの仕事を理解し応援しようとしているヒドももやもやを募らせていく。
ヒドにはエンカーの母がおり、母は速報のために父の葬儀に出席しなかった過去があるため、「期待してがっかりしてを繰り返すこと」により敏感だったのだと思います。
9.10はイジンヒドの交際600日の記念日。
2人で旅行に行く予定だった。お揃いのスーツケースを買って。
しかし2001.9.11、アメリカ同時多発テロが起き、イジンはニューヨークに行かなければならなくなりました。
イジンは報道の場で人の死に直面するたびに心を痛めてきたから、テロの現場は凄惨なものでそんな中で取材し続けることに限界を感じてしまっていた。
イジンのメンタルはもうボロボロで、ヒドのことを考える余裕も無くなってしまいました。会いたくても会えない。帰りたくても帰れない。
ヒドはそんなイジンの状況を知りません。イジンはヒドに心配をかけたくなかったから。
そこのズレですね。
ヒドは「不幸も2人で共有しよう」
イジンは「不幸の先に君がいたとしたら…」
お互いを思うからこそ、不幸の最中では頼ると言うことを知らなかった。
25歳21歳の時の幸せな2人と
1年後の2人。
同じ年越しの瞬間でも一年でこんなに心の距離が離れてしまうのかと苦しくて苦しくてたまらない…
ヒドに話さず勝手にニューヨーク特派員に志願し、採用されたイジン。
一時的に帰国したイジンにヒドは別れを告げる。
トンネルでの会話。
ヒド「私たちはいい時だけ愛で、不幸な時はお荷物だ。」
「一緒に幸せになろう」と誓った2人だからこそ、「一緒に不幸になる」ということはできなかったのかな。
喧嘩別れになってしまった2人だけど、イジンの出発の日、この別れ方はよくないと、ヒドイジンはもう一度最後に会うために走る。
話したい話はそんな話じゃなかった。
病気してほしくないし、怪我もしてほしくない。
辛い時はきちんと病院に行って、試合を頑張って。
イジンがヒドの靴紐を結ぶシーン。
トンネルでのバイクから守るシーンもそうだったけど、イジンのヒドへの愛がずっと溢れていてとてもとても苦しかった。
その愛がそういう「愛」かはわからないけれど、確かに2人はずっとお互いを思い合っていると思います。
どうしても、このシーンだけは「なんで、なんで別れなくてはいけないの?(ガチ泣)」になってしまったよ…
だけれど、きっと2人はこれから続く長い遠距離恋愛で少しずつ距離が離れていって、少しずつ別れを悟ると言う過程は踏みたくなかったのかなって。お互いのために今はまだ大好きだけど、良い思い出として記憶するためにここで終わりにしたのかなと消化することにしました。
ユリムジウンは「一緒に不幸に」
ヒドイジンは「一緒に幸せに」
対極にある2組の想いがこんなに結末をわけた。
2622の春にお別れした2人。
ヒドは2009年までスター選手として活躍し、引退した。結婚して子供もいる。
イジンは若きエンカーとしてニュース番組で活躍していた。家族も元通りになった。
青春の日々は一瞬で過ぎ去り、取り戻すことはできないけれど、輝いていたあの日々は確かにある。
その日々がこれからの長い人生を輝かせてくれる。
これがこの作品の伝えたかったことですが。
あまりにもつらくて、視聴後は受け入れ難かったです。
非現実的ともいえる眩しく美しい青春の日々と、現実を突きつけてきたラストはあまりにも高低差がありすぎて。
しかし、一晩寝てまた考えてみると、少しだけ受け入れ始めている自分がいました。
「この世界には自分の思い通りになるものがそんなにない」
ヒドのこの言葉のように、この世界には自分でなんとかなるものってそんなにない。
今の私たちも、イジンもヒドも「時代」に翻弄されてきた。
でも本当に失ったものだけなのかな?
ヒドはIMFでフェンシングのチャンスを手にした。
イジンは9.11で出世のきっかけを手にした。
「時代」は私たちから容赦なく何かを奪うし、逆に与えてもくれる。
ヒドイジンが諦めたものが「恋愛関係としての愛」であったことがまだ悲しくて悲しくてやりきれないけど。
2009年にあった2人がいつでも応援していると言っていたように、2人は「虹」の関係だから。
「あなたがどこにいても、あなたがいる場所に私の応援が届ける。私が行って届ける。その時会おう。」
一瞬で消えてしまうけど美しく記憶に残る虹。
あの日の海は確かに「5人のもの」だったし、青春は永遠ではないけど、あの思い出は永遠に残り続ける。
この作品を20歳を目前とする今の年齢で見ることができてよかったなと心から思います。
私はまだこんなにも騒々しい友情も、熾烈な恋も、経験していないように思えるけれど。
青春というのは、もしかしたら最中にいるときは青春だと知ることはなく、大人になって時間が経てば「あれが青春だったのか」と知ることができるものなのかもしれない、という風にも思いました。
今の私のこの感情もそのまま私の中で受け止めてあげて、また何年か後にもう一度見たい作品になりました。
その時はこの結末への感じ方が少し変わっているかも。
大好きで大好きで、永遠のようだった二十五、二十一。
このドラマを追い続けた2ヶ月間も私の中での「青春」の一つなのではないかと思うくらい揺さぶられた作品でした。
この作品を見ているみなさんと共に笑って泣いて怒って。
一瞬で過ぎていく日々を大切に過ごしていく力をもらいました。
「二十五、二十一」本当にありがとう。
そして一緒に見て一緒に楽しむことができたみなさんにもありがとうを言いたいです。
アンニョン、ペクイジン。
アンニョン、ナヒド。
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