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姑、および子育てについて思いを巡らせる


僕の夫にはきょうだいがいる。

夫もきょうだいも
穏やかでおとなしい子どもだったのだろう。

森羅万象に批判をして
生きている義母だが、
子どもたちの養育についての
愚痴を言ったことは一度もない。


穏やかな子どもたちだった上
抑圧して育てていたので、
大変な思いをしなかったのだろうと思う。


さて、その義母が、
甥っ子・姪っ子の
養育について口を出しているのを
先日聞いてしまった。



子どもの問題行動について
ぼやいている夫のきょうだいに対して、

「ママとパパの声かけの仕方が
良くないのもあると思う」

と発言していたのである。


ちょ
待てよ

である。





子育てというのは難しいものだ。



夫のきょうだいに
子どもへの接し方で工夫できる点がある、
というのは確かだろうと思う。


そんなの誰だって
完璧じゃないのだから当たり前だろう。


はじめての子育てなんて
誰だってまごまごしながら
なんとなく走り抜ける、
そんなものじゃないのだろうか。



話を聞く限りではあるが、
甥っ子・姪っ子は
子育てを難しくさせそうな
気性を持っているように感じられた。


そういう子どもの親というのは
どう接したらよいものかとか
この先落ち着いてくれるのだろうかとか
いろんな不安を抱いているものだと思う。

自分たちが悪いのかなあ
だとしたらどう直せばいいのかなあとか
そういう風に考えてもいるものだと思う。

現に、夫のきょうだいは
「どう接したら良くなるのかなあ」と
僕たちに意見を求めてくることもあった。


彼らなりに
子どもに向き合い
親として悩んでいるのだろう。



それを
自身の子どもの気性が穏やかで
子育てに苦労したことのない義母が、

「親の接し方で直せると思う」

とか言ったら
駄目くない?

よくなくない?



おとなしくて聞き分けのよい
優しい性格の子どもたちを
不機嫌やヒステリーで抑圧し、
思うとおりに行動させていた義母からすると

「子どもの問題行動なんて
親が適切に叱れば収まるものだろう」

「子どもをコントロールできない
親の力量不足がいけないのだろう」


と感じるのかもしれない。





ところが、である。


そんなもんじゃおさまらない
異常なエネルギーを持つ子どもも
世の中にはいるものである。


僕もそうだった。


母親がどれだけ工夫しても
行動は止まらなかったし、
やんちゃでうるさかった。


今思えば母は
「あなたが甘やかすから
さくらはあんなにわがままなんだ」
といつも周囲から言われていて、
気の毒だった。


ただただ、
僕自身がわがままで
好き勝手に動いていただけなのだ。

むしろ自分をコントロールする術も
わからない状態で、なぜ自分が
こういう振る舞いをしてしまうのかも
ぜんぜんわからず
不安だったし苛ついてもいた。


僕にも悩みや葛藤があったが、
それを育てる母親も
しんどかっただろうなと思う。


甥っ子・姪っ子が
僕のようなケースだと
断言することはできないが。

すべての子育てには
子どもの性格や
親の性格や環境という
違いがあり、
当事者にしかわからない事情がある。



義母の体験した子育てと
夫のきょうだいが直面している子育ては
全くの別物である。


義母が訳知り顔で
口を出してよいことではないと思う。


これは義母以外にも言える話で

他人の子育てに
(明らかに虐待だとか
問題行動を助長しているだとか
そういった兆候が見られていないのに)
親が悪いんだとか
子どもが発達障害なんじゃないかとか
口を出すもんじゃないと思う。


僕もなるべく
夫のきょうだいに対して
(いつでも力になるぜ)という
気持ちを抱きつつも、
口も手も、物も出さないようにしている。


本当はかわいい・かっこいいお洋服だの
おもしろいおもちゃだの
ありとあらゆる甘やかしグッズを
月1で贈りたいと思ってはいるが、

夫から「そうやってあれこれ
物を贈ったり、口を出したりすることが
かえって相手の負担になるかもしれないからね」
とやんわり注意を受けて
こらえているのである。


物を贈る
口を出す、手を出す

というやり方で
自身の持つ親切心を示すのは
非常に簡単だし、楽だ。

僕はそうやって
自分にとって楽で
自分の欲を満たせる方法で
誰かに関わるのは怠惰だし、
相手のリソースを奪う
良くない行為だと思っている。


何もしないで見守る。
ただし助けを求められたら
いつでも手をさしのべられるようにしておく。


それが僕
子どものいない成人女性にできる
精一杯の子育て支援方法である。































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