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2つのふるさと


私には2つのふるさとがある。

1つは生まれてから今も生活の拠点にしている「長崎市」。
もう1つは、15年前にふるさとになった「伊万里市」だ。

両親が定年をきっかけに、弟が働き住んでいる伊万里に新しく家を建て移住することになったからだ。
長崎では典型的な坂の上に家があったので、平地のある伊万里は同じ長崎市内でも平地で生まれ育った母にとっては憧れでもあったのかもしれない(多分父親も)。

両親から移住を聞かされたのは、私が再就職してからだった。
その頃職場の飲み会があったら飲み屋街から遠い郊外の自宅より、タクシーで1000円台で帰れる実家は私にとっては最高の武器だったが、それも引っ越しの数か月前に使ったのが最初で最後だった。

自身の実家が県外にできたために「帰省」ということをするようになった。
が、一応旦那の本家だったこともあり、そこは優先しなくてはいけなかったが、私が大晦日前日にインフルエンザにかかった2014年頃から帰省しやすくなった。

2019年に旦那の両親が亡くなってからは、旦那にとっても実家&ふるさとになった。

伊万里という街は長崎だとどこに似てるかを考えたことがある。その時に浮かんだのは「時津・長与」という長崎のベッドタウンだった。
確かに工場があったり、郊外向けのショッピングセンター。いろんな特産品もあるし、高規格道路も整備されつつある。海もある。だから似ている。と思うのかもしれない。

また

佐賀でもあり長崎でもある。

不思議な空気感がある。

昔は松浦鉄道で「長崎スマートカード」というバスのICカードが使えたこともあり、伊万里の観光協会にチャージ機があった。佐世保を往復する西肥バスの一部車両でも使えた。今は「Nagasaki nimoca」に変わった伊万里市内を歩いていると時々佐世保ナンバーの車と遭遇する。それに私の働いている生協の配達トラック(別支所です)も走っているのだ。
なぜ佐世保ナンバーの車と遭遇するのかというのは、西隣の自治体が長崎県松浦市(最近だとTBSの朝の情報番組「THE TIME」の出張アズミが行くで中継するはずだったところ。コンビニ強盗でぶっ飛んだ回)。
また、伊万里と北隣の玄海町を通らないと行けない長崎県が存在(一応松浦市)するため仕方ない(私の友人が時々業務で行ってるようですが)。

また長崎資本のお店も立地していて…

スーパーだと私もお世話になっている「エレナ」
もう一つエレナと同じく佐世保資本の「まつばや」
長崎では美味しいお寿司屋さんで有名な「若竹丸」
極めつけは私の取引銀行の「十八親和銀行」(元々は親和銀行。合併で十八親和銀行に。私は十八と取引)。
スーパーに行っても長崎の商品が陳列されているのが普通だし、不思議な街。

もう一つのふるさと伊万里が、私の中で「都会化」している。

なぜかというと

私の生活圏よりお店が多い

私の生活圏は俗に言う「人口減少地域」で確か住んでいるところは地域おこし協力隊もいない(隣の地域にはいます)ビミョーなところ。将来は地域の小中学校は小中一貫校になる計画だとか。
私の生活圏にはニトリない。TSUTAYAなくなった。ファミレスも1軒になった。しまむらあるけどアベイルない。ケンタッキーもモスバーガーない(マクドナルドはあるにはあるけど…)。
共通してあるのはシャトレーゼくらい。

完全に伊万里が私の中では都会化している。

両親が長崎を離れてから一層ふるさとの歴史を学んでみたいと思うようになった。
生活している長崎はもちろん15年前からふるさとになった伊万里についても学びたい。特に長崎くんちの「お花」に似たものが伊万里の秋祭りにあるのにはなにか関係があるのではないかと思っている。

2つふるさとがあるって贅沢かな?







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